「祖国に奉仕する」という言葉がハッカーの口癖
10年前の中国は、インターネットがまだ本格的普及の段階には至っておらず、したがって「黒客」という言葉も、一般人にとっては訳の分からない、聞き慣れない言葉であった。しかしこうした事情が、技術的なチャレンジに魅力を感じる少数のネットワーク愛好者を黒客の世界へ引き付けたのだった。
彼らの中には20歳そこそこの大学生も混じっていたが、彼らが黒客集団に入った理由は至極簡単。自分のパソコンを買えず、学内の実験室の席取りのために寝食を忘れるような技術者の卵たちが、ネットワーク技術の共有と相互扶助のために集まったのである。当時の黒客たちは、共産主義運動のなかで人民解放軍の模範兵士とされた雷鋒を崇拝することさえあり、暴利をむさぼるどころか、いたずらなハッカー攻撃をおこなうことを恥じたものだった。
1998年、インドネシアで華僑排斥事件が起きた時、よちよち歩きの中国の黒客たちは、被害を受けた華僑を支援しようと、インドネシアの主要サイトの攻撃を始めた。ここで初めて、中国黒客は公衆の面前にその姿を現すこととなった。しかも当時は彼らが掲げた「愛国」という大義名分に呼応する者、支持を表明する者が多かった。攻撃を組織した「緑色兵団」はにわかに人気を博し、若い黒客たちは一部で民族英雄とさえ呼ばれたものだった。
ちなみに緑色兵団の設立起源は、1997年に上海のハッカー*蔚(goodwell)が海外のあるサイトで無料スペースを申請し、中国国内でミラーサイトを作ってハッカー間の交流に使用たことに遡る。*蔚は当時を振り返り、「全てが趣味と興味によるもの。別のハッカーと勝負を決する時の快感もあり、利益など考えなかったし、政治とも全く関係がなかった」と話している。
*は「龍」の下に「共」
華僑排斥事件が起きた翌年の1999年、今度は、内戦が続いていた旧ユーゴスラビアでNATO軍による在ベオグラード中国大使館誤爆事件が起きた。中国の黒客は新たに大同団結し、相次いで米国サイトへの攻撃を仕掛けた。「中国紅客連盟」「中国鷹派連盟」「中国黒客連盟」の3大黒客組織が、当時の米中黒客合戦の中国側主力軍を形成した。一時期のことではあるが、紅客連盟の「lion」、鷹派連盟の「万濤」は中国黒客の英雄と呼ばれた。
当時の黒客は自らを「紅客(Honke)」と呼び、政治的立場の「正当性」に拠り頼み、黒客攻撃という行為を正当化しようとしていた。実際のところ、本当の動機についての憶測は、こうした状況のなかではさして重要なことではなくなっていた。だが民族主義、愛国主義の高揚が、中国の黒客の急成長を促したことは事実である。「祖国に奉仕する」という言葉が、当時の若い黒客たちの口癖だった。