Enigma暗号の解読法については、2次大戦前にポーランドの数学者のMarian Rejewskiが研究し、Bombaというシステムを開発しており、Alan TuringとGordon Welchmanはこの研究をベースにしてBombeというシステムを作った。といっても、理論家の両氏が設計を行ったわけではなく、実際にマシンを作ったのはパンチカードシステムを製造していたBritish Tabulating Machine社であり、設計を主導したのは、同社のHarold Keen氏である。

Enigmaの右ローターは一文字ごとに1ポジション回転するが、文字の対応が1ポジションずれるだけであり、文字の変換には規則性がある。また、構造図の例のようにQをNに変換するように回路が構成されると、入力がNの場合はQに変換されるというように変換には可逆性がある。そして、QがQというように同じ文字に変換されることはない。

暗号の解読は、まず、解読の専門家がCribと呼ぶ、平文に頻繁に出現する文字列(天候に関する記述や将軍の名前など。但し、これらも略号化や暗号化されているので、素人には平文には見えない)を暗号化したと思われる部分を見つけ出す。この例を次の図に示す。

Cribと書かれた平文がどのように暗号化されたか(Cipher Text)の例。(出典:Bletchley ParkのTechnical Article F.Carter氏の"From Bombe 'stops' to Enigma keys")

4文字目でTがAに変換されており、そして、7文字目ではMがTに変換されているが、これは可逆であるので、7文字目ではTはMに変換されている。このように、Cribの平文と暗号文の対応を分析したのが、次の図である。

前掲の例の暗号化の解析例。4文字目でTはAに変換され、7文字目ではTはMに変換されているというように図示している。(出典:Bletchley ParkのTechnical Article F.Carter氏の"From Bombe 'stops' to Enigma keys")

Turing Bombeは、Enigmaのローターをコピーしたローターを作り、それをモーターで駆動して高速に全てのローター初期セッティングをしらみつぶしに当たって、上記の対応関係に矛盾しない初期セッティングを見つけ出す装置である。次の写真に示すように、縦に3個ならんだローターがEnigmaの3つのローターに対応し、横方向にならんだ12組が文字順に1文字づつを担当し、並列に処理を行ったという。(2次大戦当時のTuring Bombeとオペレータ。(Wikipedia))

解析された文字の対応関係はメニューと呼ばれ、Bombeの裏側に設けられたパッチパネル(タッチパネルではない。イヤホンの差込コネクタの大型のようなものが多数並んでおり、差し込む位置で接続を変える)でこのメニューをマシンに入力する。そうすると、Bombeはモーターでローターを廻して組み合わせをチェックし、メニューに矛盾しない組み合わせが見つかると、モーター駆動を止め、ベルを鳴らしてオペレータに知らせた。

当時のBombeのスピードで、全ての初期設定を総当りで試すには6時間かかったが、ランダムであるので平均的には所要時間は3時間であったという。6時間で17576通りのチェックを行うのであるから、一つの組み合わせのチェックに約1.2秒を要した計算になる。(復刻途中のTuring Bombe。(Wikipedia))

一般的にはCribの長さが十分ではないので、一つのセッティングまで絞り込めるケースは少ないが、矛盾しない初期セッティングが数十個程度まで絞り込めると、解読班にその情報を渡し、ドイツ軍の暗号メッセージを解読していた。

Bombeの心臓部は、ローターとそれを駆動するメカニズムで、現代ならば、各ローターにパルスモーターを1個づつつけて駆動すれば簡単であるが、当時はそんな重宝なものはないので、1個の大きなモーターで水平方向のシャフトを廻し、傘歯車でローターの列ごとの垂直方向のシャフトに回転を伝え、最終的にローターを廻すかどうかは電磁クラッチで制御していた。

このような複雑なメカをもつマシンであるので、復元のためには大量の専用の機械部品をつくる必要があり、復元は困難を極めたが、John Harper氏を中心とする多数のボランティアの献身的な努力と、AutoCADを用いたメカ設計、コンピュータコントロールによる型の製造など、当時は無かった技術を活用して、このほど完成に漕ぎ着けた。着手が1995年であるので、実に12年の歳月を要した大プロジェクトである。

第2次大戦中はBombeは大活躍で、合計200台以上が製造され、2000人以上のオペレータが働いていたという。当時は、男性は殆どが兵隊として前線に赴いており、Bombeのオペレータも多くはWrenと呼ばれる英国海軍婦人部隊員であった。

また、Bombeの設計は同盟国であった米国にも提供され、 NCR(National Cash Register)社のJoseph Dayton氏によって設計が改良され、終戦までに100台以上のマシンが製造された。この改良された米国製のマシンは、英国のマシンと較べて格段に動作速度が速かったという。

この米国で製造されたBombeの最後の号機は、米国メリーランド州にあるNational Cryptologic博物館に保存されている。なお、この博物館は米国で最も秘密度の高い、暗号解読を含む情報収集機関の総本山であるNational Security Agency(NSA:米国国家安全保障局)の管轄である。