--対中投資は80年代末から90年代中頃にかけてのコストセンターをもとめての進出、というモデルから、90年代後半以降の、勃興する中国市場そのものを目指す在り方へと大きく変化してきた。いまの中国市場の特質とは、どのようなものか。

中国市場はいま、世界市場そのもの、ともいうべき状況だ。私が大学を卒業したてのころ、月給は55元から始まったが、90年代中頃までは、圧倒的な平均主義が支配していた。北京でも、西安でも、地域的な格差がほとんどなかったのだ。ところがいまでは、中関村のIT企業だけをみても、月収で10万元(約150万円)を超える高所得層が数多く存在する。政府機関で仕事をしていた当時、中関村のソフトウェアパーク内に立地する企業に務める人々の個人所得税還付に関する業務があったが、わずか数年の間に、納税額が年間300万元を超える高所得者が飛躍的に増えた。いまでは年間納税額1000万元(約1億5千万円)を超える人々も出てきているが、こうした高所得者は産業界全体、例えば山西省の「炭鉱王」などまで加えれば大変な数になることだろう。

ところが、良く知られているように、月収500元、年収6000元程度、あるいはそれ未満の層も千万規模で存在するのがいまの中国だ。これを、「二極分化」という表現でいうことがしばしばあるわけだが、現実には、「二極」などという単純なことではなく、それらの間にそれぞれ異なるセグメントが数多く存在しているのが実態だ。

かつて、トヨタが最初に中国ビジネスを検討したころ、中国市場の可能性を測る物差しに「一人当たりGDP」指標を用いたと聞いている。たしかに「唯一成功した社会主義」とでも言うべき日本市場で考えるのなら、こうした見方もできよう。あらゆることが中国より、遥かに平均化されているからだ。

しかし、中国には中国の特色がある。例えば、同じ20000ドルの使い勝手だ。身近な例でいうと、中国で理髪店にいくと、10元で事足りる。米国では10ドル(約80元)としよう。しかも中国には、膨大な公務消費市場(政府機関市場)が存在する。かつてのトヨタは、完全にこれを見誤った。その結果、公務消費市場をアウディにさらわれ、「高官が乗るべき車」という、中国ではもっとも死守すべきであったブランドイメージを、半永久的に競争相手に譲らざるを得なくなった。中国国内の自動車市場規模は、今や米国に次ぎ、世界第2位。絶対人口が巨大であるので、各セグメントの規模も巨大なものになるのだ。

私が実際に中国市場の特色を知ったのは、NEC在職時代に華為(Huawei)の市場戦略を目の当たりにしたときだ。中国のような後発市場には、世界の最新技術、最新製品、最新ソリューションが一挙に押し寄せる。電話交換機市場など、その最たるものだった。NEC、富士通、Bell、Nortel、Siemens、Lucentなどがほぼ同時期に進出し、競争を繰り広げた。まさに、世界の企業オリンピックだ。

こうしたなかで、華為の戦略は、中国の現実にもっとも深く根ざし、これを徹底的に研究し尽くしたものだった。

華為は、毎年、信息産業部情報研究所が出す全てのレポートを入手し、国内の専門家の手を借りて、中国政府の情報化投資計画を研究していた。このため、政府が「村村通電話」プロジェクト(中国国内全ての郷村に電話を引く、という国家プロジェクト)を発表した時、われわれNECには為す術がなかったが、かれらはローエンドの、安く、劣悪な環境下でもそこそこ使える-農村ではそもそも電話を掛けること自体がまれなので、たまに一日稼動しなくても構わないのだ-設備をすでに用意していた。ローエンドの低価格機でも、数千万回線の需要となれば、一大プロジェクトだった。華為は、その後「校園電話」プロジェクトも受注している。