横浜市では今、「イノベーション都市・横浜」を宣言し、産学公民の連携基盤となる「横浜未来機構」を中心にスタートアップ企業の支援に注力している。では実際、起業家たちはそのサポートをどのように活かし、自らの発想を新たなビジネスへと昇華させているのだろうか。
今回お話を伺ったSHO-CASE社 代表取締役の高村勇介氏は、起業前の段階でスタートアップ支援プログラム「YOXO Accelerator Program」に応募し、そのビジネスアイデアが見事採択されたという。同社が提供するのは、オフィスや展示会場、文化施設など、さまざまな場の内装を手掛けるディスプレイ業界をターゲットにした労務管理サービス「SHO-CASE」だ。
フリーランスだった高村氏が起業に至った経緯や横浜市を拠点にしたことのメリット、受けた支援を足がかりに今後描くビジョンについて聞いた。
1つ目の転機:興味本位で参加したビジネス講座
高村氏は高等専門学校卒業後、乃村工藝社で商業施設や展示会のブースなどを施工する制作職として、5年間現場に携わった経験を持つ。近年、建設現場ではIT化やDXが進んでいるが、「ディスプレイ業界の現場はそうではない」と話す。例えば、新築のビル建設現場ではスペースが広く、事務所や職人のための休憩所などが設けられる。作業期間も長い場合が多く、職人の入退管理には顔認証や静脈認証といった管理システムが採用されていることも多いそうだ。しかし、内装工事の現場やイベント会場はそもそもの空間も狭く、作業を行える時間にも限りがある。同氏の経験では、職人の入退管理は紙の書類を使うアナログな現場が多かったという。
そんな現場で働く高村氏に1つ目の転機が訪れたのは、乃村工藝社を退社し、フリーランスとして現場管理の仕事をしていた際、偶然立ち寄ったコワーキングスペースで開催されていた無償のビジネス講座を見かけたときだ。
「面白そうだなと興味本位で参加しました」(高村氏)
講座では起業する前の人を対象に、財務諸表の見方からマーケティング、SEOといったビジネスの初歩を全7回の講座で学ぶことができた。とは言え、高村氏はこの段階では起業をすることは考えておらず、フリーランスでやっていくための勉強の気持ちで、特別なゴールを見据えず、受講していたそうだ。だが、この講座の最後には、自身が考えるビジネスアイデアを発表する機会が設けられていた。そこで生まれたのが、現在のSHO-CASEにつながるアイデアの種である。
「この講座で初めて、『社会課題を解決する何かをビジネスにする』という発想を経験しました」(高村氏)
2つ目の転機:オリンピックの現場にプロトタイプを導入
その後高村氏は、2019年1月から第32回オリンピック競技大会(2020/東京)の会場設営に携わる東京2020大会組織委員会 マーケティング局に所属する。時を同じくして偶然見かけたのが、建設業界向けのマッチングサービスのTVコマーシャルだった。興味を持った同氏がWebサイトなどで調べると、そのサービスを提供する企業の経営者がエンジニア起業家養成スクール・G's ACADEMYの出身であることが分かった。
「プログラミングを学ぶと、こういうサービスがつくれるのかと、勢いで入学しました」(高村氏)
そこから、大会組織委員会の勤務と並行し、プログラミングを学ぶ生活が始まる。これが2つ目の転機だ。しかし高村氏はこれまでプログラミングの経験はなく、「最初は楽しかったものの、バックエンドやインフラの話になると、ちんぷんかんぷんで……」という状態だったという。そこで支えになったのは、同校で共に学んでいた元エンジニアの存在だ。
「在校時に仲良くしていた方が元エンジニアというキャリアの持ち主でした。そこで、ビジネスアイデアは共に考え、開発は彼に任せることにしたのです。ただ、プログラミングを学んだことはとても役に立ちました。元々、建設現場では作業工程に対し、どれくらいの人数が必要なのかを判断して、指示を出す必要があります。また、何がどれくらい大変で、どこに時間がかかっているのか、自分自身が工程を経験していないと、その判断をする感覚は身に付きません。これと同様に、プログラミングを学んだことで、ビジネスの全容を掴む助けになりました」(高村氏)
こうしてディスプレイ業界向けの労務管理サービスのアイデアを少しずつかたちにしていった高村氏は幸運にも、オリンピックの会場設営の現場で後のSHO-CASEにつながる、職人の入退管理をするアプリのプロトタイプを試す機会を得た。これをきっかけに本格的なサービス展開を見据え、2020年10月、SHO-CASE社の立ち上げに至ったのである。
起業翌年に応募したビジネスグランプリは何をもたらしたか
ではなぜ、横浜市での起業を決断したのか。実は元々、高村氏はかつて勤務していた乃村工藝社の寮が横浜にあった縁で、同市に居住していたという。なじみのある場所での起業を検討したのは自然な流れだった。起業前年の2019年には、スタートアップ企業を支援するために横浜市が募集している「YOXO Accelerator Program」に申し込み、見事、採択された。
「起業前にも関わらず、ビジネスアイデアを評価していただき、採択していただきました。(横浜市が運営するベンチャー企業成長支援拠点である)YOXO BOXの環境の良さや、YOXOを通じたスタートアップ企業同士のコミュニティのつながりの深さ、オフィス賃料の安さなどが決め手になり、横浜市での起業を決断しました」(高村氏)
さらに高村氏は起業からわずか1年後に応募した「横浜ビジネスグランプリ2021~YOXOアワード」にて、奨励賞を受賞した。
「絶対に優勝してやるという意気込みで取り組んだので、結果的に3位となり、ものすごく落ち込みました。ただ、1位の企業がすごすぎて、これは勝てなかったなと……。ただ、この賞をいただいたことで、当社に対する信頼を増すことができ、横浜銀行からの融資を受けられることになりました。本当に出て良かったなと思っています」(高村氏)
強みを生かし、業界全体を変えたい
現在、SHO-CASE社では労務管理サービスの提供と、内装工事や現場管理を請け負う建設業の2軸で事業を展開している。高村氏はこれが同社の強みだと話す。
「自分たちが現場と近しい立場にあるからこそ、課題をすぐヒアリングでき、理解しやすい環境です。現場で得た課題感を(SHO-CASEの)開発チームと共有し、より良いプロダクトにつなげていく。課題に対する解決策を見出して、業界全体を良くしていく仕組みをつくっていきたいのです」(高村氏)
この好循環を生み出すベースとなるSHO-CASEの登録ユーザーは1500人以上、契約企業も5社と順調な伸びを見せているが、高村氏はさらなる高みを目指している。
「(SHO-CASEは)自分が現場に立っていたとき、『こういうものがあったら良いな』という思いからつくったサービスなので、現場の人からは喜んでいただけています。しかし、これを現場でうまく運用できるかは別の話です。スマホで登録するだけで入退管理が簡潔に行えることがメリットではありますが、現場にはスマホを使い慣れていない高齢者や外国人労働者も増えています。そもそも入退管理が必要なことを理解してもらえない、登録の必要性を分かってもらえないというケースもあります。このハードルをプロダクト側でどう改善していくか、現場での理解をどう深めてもらうかが今の課題です」
では、今後、どのような展望を描いているのか、意外にも同氏は「SHO-CASEが単体で大きく拡大していくイメージはしていない」と言う。建設というプロジェクト全体を見たとき、「建設の現場」は工程の後半に登場するからだ。前半には計画や見積もり、発注といった工程があり、その部分の遅れのしわ寄せが現場に来る。つまり、現場の課題を根本的に解決するには、もっと広い視野で取り組まなければならない。
「建設プロジェクトのバリューチェーンの上流の課題を解決していかなければ、業界全体の改善にはなりません。その部分で活用できるシステムの開発なのか、建設DXを進めるためのコンサルティングなのか、かたちは分かりませんが、上流の課題解決もしていきたいですね」(高村氏)