先週、Googleがリリースした「Nano Banana Pro」が大きな話題になりました。同社の最新AIモデル「Gemini 3 Pro」が組み込まれて、画像の生成をより詳細かつ柔軟に制御できるようになり、日本語も巧みに扱えるようになりました。‌「テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏」の過去回はこちらを参照。

  • テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏 第49回

    Nano Banana Proでテキストを処理する能力が向上し、資料やインフォグラフィック、広告などに活用しやすくなったGoogleの画像生成AI

Nano Bananaの進化もそうですが、他のAIツールを含めて、コンテンツ生成は驚くべきスピードで進化しています。コンテンツ生成のコストは劇的に下がりました。かつては専用ソフトを駆使し、数時間かけて作っていた凝ったイラストや資料、広告、ビデオクリップなどが、今ではテキストによる指定だけで簡単に生成できるようになりました。

あえて「画質の悪い写真・動画」などを公式クリエイティブに採用

ところが最近、米国のSaaS系スタートアップや一部のコンシューマー向けアプリのSNS運用において、この流れに逆行するような現象が起きています。

あえて「画質の悪い写真・動画」や「ミームのような雑なコラ画像」を、公式クリエイティブとして採用するケースが増えているのです。

たとえば、“オープンソース版Firebase”として知られるSupabaseです。新機能発表イベントのトレーラーや告知動画を洗練されたブランド映像ではなく、ネットミームや、開発者なら思わず笑ってしまう「あるあるネタ」を多用した、手作り感満載の動画で提供しています。

同社 CEOのポール・コプルストン氏は、社内で「ミームワークショップ」を開くほど「雑な面白さ」を重視しています。

他にも、Cal.comのCEOのピア・リッヒェルセン氏やThe Browser CompanyのCEO、ジョシュ・ミラー氏などは、頻繁に自撮り動画で開発の進捗を報告します。これが「Founder Mode(創業者モード)」のスタイルの一つとして定着。完全ワイヤレスイヤホンを装着し、通勤や散歩の途中で撮影した「手ブレだらけの動画」による新機能発表が珍しくなくなりました。

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    AirPodsを耳に、自撮りで「Dia」ブラウザの機能を紹介するジョシュ・ミラー氏

アイデアとスピードで勝負する“Lo-Fi”コンテンツ

こうした作り込まず、アイデアとスピードで勝負する“Lo-Fi”コンテンツは、これまでTikTokなど若年層向けのマーケティング手法とされてきました。しかし今、テック企業がこれを採用する理由は別にあります。マーケティングにおける「不気味の谷」対策です。

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    AIブラウザ「Dia」のAIアシスト機能の紹介。開発者が操作している様子を横で撮影、時々焦点がボケるビデオクリップをそのまま宣伝動画に使用しています

SNSのタイムラインには今、完璧な照明の製品写真、隙のない構図の広告バナー、流暢な(しかしどこか空虚な)キャッチコピーが溢れかえっています。

皮肉なことに、私たちはそうした「完璧な画像や動画」を見た瞬間、無意識にスワイプして飛ばすようになりました。「どうせAIだろう」「キレイだけど、心が動かない」-- そう反射的に判断してしまいます。

かつては「見た目のクオリティが低い」ことが不信感の原因でしたが、今は逆です。ミスや欠点のない“完璧さ”が、かえって違和感や不信感を生む。私たちは今、マーケティングの「不気味の谷(Uncanny Valley)」に足を踏み入れているのです。

フロントエンド開発者のためのクラウドプラットフォームを提供するVercel CEOのギレルモ・ラウチ氏は、派手なプロモーションビデオの代わりに、自身が実際にツールを操作するデモを好みます。

画面収録そのままですが、そこには実際にAIと対話し、コードを生成させている“試行錯誤のプロセス”がそのまま映っており、作り物ではない「本当に動く機能」として強い説得力を持ちます。

  • テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏 第49回

    AI時代において「アイデア」の価値が非常に重要であるというギレルモ・ラウチ氏。Vercelの生成AIツール「v0」を使って、スタートアップアップのアイデアを数時間で形にするプロセスを紹介

ノイズ、手ブレ、画質の粗さ、もたつきやミスといった人間らしい雑さが「そこに生身の人間が存在している」という証明(Proof of Human)になっているのです。AIが「完璧な嘘」をコストゼロで量産できる時代において、私たちは不完全さの中に「真実」を見出すという皮肉な逆説が生まれつつあります。

生成AIには、デザインやライティングなどの専門スキルがなくても優れたアウトプットを出せる「民主化」の側面があります。それが十分に使えるレベルに達したのに、「創造的な作業」として認めることに抵抗を感じる人が少なくありません。では、高品質なコンテンツの価値はこのまま下がっていくのでしょうか。

“人の存在をどう可視化して示すか”が問われる

そこで重要になるのが“Proof of Process”(プロセスの証明)です。

AI生成コンテンツに欠けているのは、画力や文章力ではなく「文脈」です。完成品だけを公開するのではなく、その背後にある過程、つまり「人がAIをどう使いこなしたか」という“痕跡”を示すことで文脈を補填できます。

たとえば「オープンキッチン」戦略です。レストランがお客さんから調理場が見えるようにして安心感を提供するように、制作の裏側を公開する手法です。AIとどのような対話を重ね、どの案をボツにし、なぜこの最終案を選んだのか。その「試行錯誤のログ」が、コンテンツに人間的な重みを与えます。

また「サンドイッチ構造」も効果的です。AIを用いたアウトプットを中心に据え、その前後で「意図」と「確認」を人間が提供する方法です。前段では「なぜこれを作るのか」という企画意図や思いを示し、後段では「人間が主導し、最終判断を行ったこと」を明示します。

制作意図のコメントを添えたり、編集者・制作者としての一言を加えるだけでも十分です。それによって高品質な具材が、人の手で仕上げられた「サンドイッチ」というメニューに変わります。

生成AIが今後さらに普及していくと、クリエイターは「ディレクター」としての役割を強めていくでしょう。単に「作ること」だけで評価されるなら、AIの浸透とともに人間のハンドメイドは埋もれてしまいます。

しかし、たとえAIが描いた絵であっても「なぜそのプロンプトを選んだのか」「なぜその色でなければならなかったのか」という選択の意図を語れるなら、それは人の手による作品になり得ます。

完璧なアウトプットはAIでも生み出せますが、そこに至る理由づけや選択の軌跡は人間にしか残せません。だからこそ、これからのクリエイティブやマーケティングでは、結果に触れる人に対し、意図・判断・試行錯誤といった“人の存在をどう可視化して示すか”が問われるのです。