10月1日にeBayが英国で、OpenAIとのパートナーシップによる「AI Activate」プログラムを発表しました。AIを活用した中小企業のスキルアップを支援する300万ポンド超規模のプログラムです。‌「テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏」の過去回はこちらを参照。

プログラムの参加者は最大12カ月間、「ChatGPT Enterprise」とeBayが開発したカスタムGPT生産性向上ツールに無料でアクセスできます。さらに、中小企業向けにカスタマイズされたトレーニングも無償提供されます。

具体的には以下のような、中小企業の運営の“ペインポイント”における改善が期待できるということです。

  • 管理および財務タスクの自動化
  • プロモーションコンテンツとキャンペーンを生成の効率化
  • 売上・カテゴリーデータを分析し、事業戦略の立案や新しい取り組みを支援
  • 商品リスティングを改善し、時間短縮と精度向上を実現

最初の参加枠は最大1万社となっています。ChatGPT Enterpriseの料金は契約規模によって異なりますが、業界関係者の間では1人あたり月額60~100ドル程度が目安とされています。ざっと見積もっても年間数億円規模のコストであり、トレーニングまで含めれば、投資額はさらに膨らみます。eBayがこれほどの費用をかける経済合理性はどこにあるのでしょうか。

  • テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏 第44回

    米カリフォルニア州サンノゼにあるeBay本社

これは一見すると、よくある支援プログラムに見えますが、この動きの背後には、マーケットプレイスプラットフォームの根本的な事業モデル転換が隠されています。プラットフォームの価値提案そのものが変わろうとしているのです。

「場所貸し」だけでは生き残れない時代

従来、eBayのようなマーケットプレイスの価値は明快でした。買い手と売り手を結びつける「場所」を提供し、多くの顧客を集め、安全な決済システムを備える--。これだけで十分な価値がありました。

しかし、この伝統的なモデルは今、2つの大きな変化によって揺らいでいます。

1つはトラフィック集約機能の相対的低下です。強力な検索エンジン、TikTok ShopやShopping on Instagramのようなソーシャルコマースの台頭、そしてShopifyのようなネットショップ構築サービスの普及により、売り手は顧客にリーチする手段を複数持つようになりました。

もう一つは決済インフラのコモディティ化です。かつて、安全な決済処理機能は重要な差別化要因でした。しかし今日では、StripeやPayPalといったサービスが広く普及し、信頼できる決済システムは「あって当然」の基本機能となっています。もはや特別な価値ではありません。

こうした変化の中で、プラットフォームは新たな価値を提供しなければ、売り手を引き留めておくことができません。単に「場所を貸す」だけでは、手数料を正当化できなくなってきているのです。

そこで主要プラットフォームが選んだのが、売り手のビジネス全体を支援する総合的なツール提供です。マーケティング、物流、財務、顧客対応、データ分析など、事業運営のあらゆる側面をサポートする統合環境へと進化しようとしています。

そして、この新しい価値の中核を担うのがAIです。AIは複雑な作業の自動化、データの分析、パーソナライズなどを可能にし、かつては中小企業では手が届かなかったレベルの運営を実現します。

他の主要プラットフォームも、同様の動きを見せています。Amazonは在庫管理から経営戦略の立案、商品ページの作成まで、売り手の運営を包括的に支援するAI機能を展開しています。

Shopifyは「Magic」や「Sidekick」といったAIツール群で、ブランド構築やマーケティングをサポートしています。Etsyは、手作り品を扱うクリエイターの個性を尊重しながら、その創造性を引き出すAI支援に力を入れています。

プラットフォームの価値は「セラー支援」へとシフト

これは、マーケットプレイス業界全体で競争の軸が変わりつつあることを意味します。「どれだけ多くの買い手を集められるか」ではなく「どれだけ売り手を成功させられるか」が重視されてきているのです。

この変化を別の角度から見ると、プラットフォームの主要顧客が消費者からセラーへとシフトしているとも言えます。もちろん最終消費者は今も重要ですが、競争の焦点は売り手のロイヤルティ獲得に移っています。

最高のビジネスツール、最適な事業環境を提供できるプラットフォームが優秀な売り手を引きつけ、つなぎ止める。そして優秀な売り手は、質の高い商品と体験を消費者に提供する。その結果、さらに多くの消費者と売り手が集まる--。こうした好循環を生み出すことが、新しい成功の方程式なのです。

eBayの場合、Amazonのように自社でAI技術を一から開発するのではなく、OpenAIという最先端のパートナーと組むことで、莫大な研究開発費をかけずに市場をリードする技術をセラーに提供することを可能にしています。

  • テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏 第44回

    eBayは1月にOpenAIとの提携を発表し、AIエージェント「Operator」のリサーチプレビューに参画。エージェント型Eコマースに向けて戦略的パートナーシップを深めていく意向を示していました。

最大1万社に絞り込まれるAI Activateプログラムについては「実験」という指摘もありますが、戦略的な「選別」が有力視されています。

優良セラーに集中投資することで最初の成功事例を作り出し、「AI活用で成長できる」というストーリーを他のセラーに示す狙いです。おそらく他の競合プラットフォームも、eBayに対抗する同様のプログラムを展開するのではないでしょうか。

マーケットプレイスの進化か、終焉の始まりか

では、マーケットプレイスプラットフォームはAI導入によって新たな繁栄を迎えられるのでしょうか。

短期的には、AIによってeBayのようなプラットフォームは再び価値を高めることができるかもしれません。しかし、より長期的に見ると、AIの進化は逆に「中間業者の不要化」をもたらす可能性もあります。

たとえば、セラーがAIを活用して自社サイトで接客・販売・マーケティングまで完結できるようになれば、eBayを介さずともビジネスが可能になります。そうなれば、プラットフォームそのものの存在意義が問われます。

逆説的ですが、eBayが今AIに大きく投資しているのは、まさにこの未来を見据えているからかもしれません。プラットフォームが不要になる前に「成功をともに作るパートナー」としての関係を構築し、売り手を深く囲い込む。単なる「場所」ではなく「なくてはならない存在」になろうとしているのです。

AIは中間業者を救うのか、それとも新たな脅威になるのか。セラーとの新たな関係性構築はプラットフォームの新たな価値となりうるのか。答えはまだ見えてきていません。ただ一つ確実なのは、「場を提供するだけ」のモデルでは、もはや生き残れないということです。

eBayの取り組みはその危機感の表れであり、同時に次世代プラットフォームへの進化の試みでもあります。1万社のセラーがどのような成果を出すか、そして他のセラーや競合にどう波及するのか--。その行方はEコマースのビジネスモデルの未来を占う、重要な試金石となりそうです。