1971年7月、イリノイ大学の学生だったマイケル・ハート氏が大学のXerox製メインフレーム「Sigma V」に米国憲法の元となった独立宣言書「The Declaration of Independence」を入力し、誰でも無料で共有できるようにした。インターネットが普及する前の時代、約100人いた利用者のうち6人がダウンロードした。著作権の切れた本を電子化し、できるだけ多くの人が本を読めるようにする世界初のデジタル図書館「Project Gutenberg」の始まりであり、ハート氏による独立宣言書は"電子書籍の始まり"ともされている。
そうだとすると、今年は電子書籍の誕生から50年である。
そのアニバーサリーを迎えて電子書籍は大きく成長した。米国出版協会(AAP)によると、2020年の米国の電子書籍売り上げは21億2000万ドル、前年比11.7%増だった。2014年以降、電子書籍の売り上げが減少傾向にあったものの、新型コロナ禍で書店が閉まり、外出自粛による巣ごもり消費も重なって、これまでデジタル形式の書籍を体験したことがなかったたくさんの人達が電子書籍やオーディオブックを手にした。
ハート氏は「May The Source Be With You,」というブログ記事で「私は本という物質的な形より、本に書かれている言葉を大切にしています」と書いていた。
ハート氏が「Project Gutenberg」を始めた頃に比べると、インターネットを通じていつでもどこからでも電子書籍を入手でき、スマートフォンやタブレットで簡単に電子書籍を読める。近年、電子書籍リーダーデバイスの種類も増えている。著作権が切れていたり、無料で読める本については、紙の本の制約を超えてより多くの人が簡単に読める環境が整っている。同氏による独立宣言書から50年でマイルストーンに達したと言える。しかし、著作権で保護された本については、紙の本よりも読める機会が狭まっている。
2020 Public Library Technology Surveyによると、米国の公立図書館の93%以上が電子書籍の貸し出しを行っている。米国を中心にグローバルに図書館向けの電子書籍プラットフォームを展開するOverdriveによると、2020年に公立図書館および学校図書館から同社のシステムを通じて、前年比33%増となる4億3000冊の電子書籍が借りられた。2020年は5億冊を超えると予測している。電子書籍版を図書館で借りて読みやすい環境が整い、利用者も増えている。だが、そうした普及拡大の裏で、紙の書籍より図書館の負担が重い電子書籍に図書館が悲鳴を上げ始めているのだ。
公立図書館で電子書籍は、Webサイトやアプリで利用者番号を使って簡単に借りられる。利用者カードは基本的にその地域住民のみへの発行なので、住民のみに貸し出す仕組みになる。また、デジタル書籍だからといってコピーが無限ではなく、紙の本と同じように図書館に置かれている冊数が決まっている。利用者は、Webサイトやアプリで蔵書を検索し、貸し出し中ではない本を借りるか、貸し出し中の本の順番待ちに登録しておく。借りられる期間は2週間ぐらいから1カ月程度とさまざまだ。
紙の本は年月を経て痛み、いつかは読めなくなる。紙の本が有限であるのと同じように、図書館が購入する電子書籍にも貸し出せる回数が設定されていて、それを超えたら図書館は購入し直さなければならない。
図書館にしてみたら、紙の本と違って、電子書籍は大切に扱えば寿命が延びるわけではない。そして、紙の本と電子書籍には「ファーストセール・ドクトリン(First-sale doctrine)」の有無という違いがある。合法的に購入されたものから知的財産権が消尽し、著作権者の許諾なく販売・貸与できるようになる。権利者が貸与や再販を支配する権利を制限する著作権法の例外規定であり、ファーストセール・ドクトリンによって図書館は購入した本を無償で自由に貸し出しできている。それが電子書籍には適用されない。
これは電子書籍に限らず、音楽でもそうだが、オンラインストアからデジタル版を購入しても、そのデータは購入者の所有物にはならない。購入者が購入するのは利用する権利である。「購入したのに所有できないのはおかしい」という意見があるが、デジタルコンテンツは同一コピーを作れるという性質から、DRM(デジタル著作権管理)で保護し、またコピーの販売・貸与を規約で制限しないと知的財産権を十分に保護できなくなる。
ファーストセール・ドクトリンが適用されないことで、紙の本では図書館側にある自由が失われ、電子書籍はパブリッシャーによるコントロールが強い。現在の取り引きだと、図書館は限られた予算の中で十分な電子書籍を購入できず、利用者の要望に応えて電子書籍の増加させるほど図書館の財政が圧迫される。また、話題作が発売からしばらく図書館が購入できなかったり、購入できるようになっても販売数が著しく制限されるといった問題も報告されている。
そのため、メリーランド州で「合理的な条件」で図書館にライセンスを提供するように求める法案が6月に成立、2022年1月に施行される。ニューヨーク州でも同様の法案が提案され、マサチューセッツ州やロードアイランド州にも広がっている。そうした動きに対して、米国出版協会は「"影の著作権法"を作り出す連邦著作権保護に反する法案」と指摘。メリーランド州の法律を覆すための訴訟を起こした。
これからしばらく、おそらく10年のような長い期間、出版社、電子書籍サービス、図書館、Amazonの間で、流通や価格設定について熾烈な争いが繰り広げられることになるだろう。しかし、この問題は価格や貸し出し可能回数の調整では解決が難しいと見られている。
現在の電子書籍の貸し出しは、紙の書籍の仕組みを電子書籍とネットで再現しようとしてさまざまな歪みに直面している。だが、再現ではデジタルやオンラインの長所を引き出せない。例えば、電子書籍アプリの初期には、それが何であるか一目で把握できるように本や本棚を再現したデザインが採用された。分かりやすかったものの、物理的なもののUXはモバイルアプリで使いやすくはなく、モバイル機器で操作しやすく、コンテンツを操作しやすいデザインに変わっていった。音楽や映画・ドラマの消費も、いつでもどこからでもアクセスできるモバイルブロードバンドの普及と共に購入からストリーミングへと変わった。
物理的なメディアの時代に囚われることなく、デジタルコンテンツの消費に即した仕組みに移行してこそ大きな普及につながる。公立図書館も紙の書籍の仕組みを引きずられず、デジタル図書館のあり方を模索する必要性が指摘されている。
「私は本という物質的な形より、本に書かれている言葉を大切にしています」というハート氏の言葉の意味が再び問われる。