「(2020年の大統領選挙の)投票用紙には『科学』への投票という意味が含まれると思います」。
米カリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授が「Axios on HBO」のインタビューで語った。同氏は、独マックスプランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長と共に2020年のノーベル化学賞を受賞した。
現代の米国で、今年ほど政治と科学の関係が問題として表面化した年はなかった。2回行われた大統領候補討論会では、新型コロナウイルス対策、感染対策と経済の両立、気候変動対策が大きな討論テーマになった。
4年前にトランプ大統領が誕生した際には、科学が経済に好影響をもたらすという見方を大統領が示す可能性も期待された。だが、トランプ氏はそうではなかったばかりか、科学者の意見を拒絶した。
"Make America Great Again"(MAGA)の一環として環境関連規制の緩和を押し進めて「パリ協定」から離脱。近年米国では巨大なハリケーンが頻発し、西海岸地域では大規模な山火事の被害が年々悪化している。それでも大統領は気候変動の影響を認めない。気候変動との関係を指摘する専門家の見解を一蹴し、山火事はお粗末な森林管理が原因だと言い放った。
新型コロナウイルス対策でも、経済回復を急ぐあまり、厳しい感染対策を主張する専門家と衝突。その結果、米国の感染者数の増加に歯止めがかからず、10月末時点で米国の感染者数が890万人を超えた。
公衆衛生を守る機関がトランプ政権に沈黙させられているとして、米疾病対策センター (CDC)の現職員や元職員が、政権の科学軽視に懸念を表す公開書簡に署名を開始し、その数が10月に1,000人を超えた。また、同じ理由で米科学誌「Scientific American」が2020年の大統領選においてジョー・バイデン候補を支持すると発表した。同誌が特定の候補を支持するのは175年の歴史で初めてのことだ。「Scientific American Endorses Joe Biden」の中で編集スタッフは「根拠と科学を拒否したドナルド・トランプが、米国とその国民にひどい損害を与えてきたことを根拠と科学が示している」と批判した。その一週間後に、The New England Journal of Medicine (NEJM)も「われわれのリーダーは落第だ」とトランプ大統領を痛烈に批判。208年の歴史で初めて、NEJMが政治に介入した。
科学にとって今は最悪の時期と言える。ただし、見方を変えると、近代の大統領選挙において科学がこれほど注目されたことはなかった。冒頭のダウドナ教授は、次のように述べている。「私はプロの科学者として30年間、科学に取り組んできました。その期間を通じて、私は科学と科学者への不信が増していくのを目にしてきました」。近年の政治と科学の関係は良好ではなかった。民主党政権下においても、基礎科学のような短期的な利益に結びつかない研究への資金提供は敬遠されてきた。
トランプ政権に至って、科学関係者が声を上げざるを得なくなった。「対立候補に投票したら『対立候補は科学者の言うことを聞くぞ』と、それが何か恐ろしいことであるかのように現職大統領が支持者に語る…、私達は今、極端なケースに直面していると思います」(ダウドナ教授)。バイデン候補は「科学者の意見を聞く」と明言している。トランプ政権の4年を経て、「科学を受け付けない候補」と「科学に耳を傾ける候補」が相見える大統領選になった。だから、「Science is on the ballot」なのだ。米政権の方針は、少なからず世界中の研究者に影響を与える。日本にとっても対岸の火事ではない。
今回の選挙では、情報操作や誤情報が選挙に影響する可能性を考慮してFacebookやGoogleが政治広告を制限する。そうしたIT産業の倫理的な問題への対策について、「Axios on HBO」でダウドナ教授はメディカルやバイオテクノロジー分野から学ぶべきだとも述べている。Facebookはかつて「move fast and break things」(すばやく行動して破壊せよ)をモットーとしていた。「やってみろ」はITの産業哲学のようにもなっているが、結果を予測し難い破壊がより良いものの構築につながるとは限らない。混乱も生じさせてきた。
今IT産業は、社会に大きな影響を与える産業としての責任と安定を模索している。誤りに気づくのが難しいAIや機械学習のような分野へと踏み込んでいるのだから、制御できなくなるような混乱を未然に防ぐアプローチが求められる。それはかつてバイオロジーやメディカルが経験してきたものだった。「バイオロジーには困難な倫理的問題と闘ってきた長い歴史があると思います」とダウドナ教授は指摘している。