MP3、P2Pによる違法コピーのやりとり、iPod、iTunes Music Storeによるダウンロード販売の普及、音楽におけるYouTubeの台頭、Sotifyによるストリーミングサービスの普及。20年弱の間に音楽の楽しみ方は紆余曲折の変化を経てきた。SpotifyとApple Musicの成功で今は一息ついているような状況だが、これからも変わり続けていくだろう。次に変化があるとしたら、そのきっかけはブロックチェーンになるかもしれない。ビョークが11月24日に発売する新作「Utopia」で暗号通貨をサポートする。
ビョークのレーベル「One Little Indian」が運営する公式ストアBjork Storeでは、USドルといった通貨 (クレジットカードまたはPayPalで購入)のほか、Bitcoin、AudioCoin、Litecoin、Dashで購入代金を受け付ける。それだけではない。同ストアからの購入者に100 AudioCoin (ADC)を提供する。
AudioCoinという通貨を初めて聞いたという人も多いと思う。USドルやユーロ、GBP、他の暗号通貨との交換が可能だが、先月までUSドルとの交換レートが0.002ドルを下回っていた。アルトコインの中でもマイナーな存在だった。それがUtopiaでの採用が明らかになると0.0075ドルにまで跳ね上がった。
とはいえ、AudioCoinをもらっても「使いようがない」と思うかもしれない。今のところAudioCoin自体の通貨としての価値は「ほぼない」に等しい。USドルやBitcoinと交換できることがAudioCoinの価値になるけど、AudioCoinを扱っている取引所はYobitなどごく一部。AudioCoinを交換するために、そうした取引所にアカウントを作る人はいないだろうから「使いようがない」と言われても仕方がない。
AudioCoinが目指しているのは、現状でSpotifyやApple Musicといった音楽配信プラットフォームに縛られたアーティストにより自由なビジネスモデルを提供すること。ビョークからの正式な発表はないが、AudioCoinの取り組みでOne Little IndianのパートナーとなっているBlockPoolによると、今後2年の間にビョークは紹介やコメントといったアクティビティ、ライブイベントなど、ビョークの作品や活動との交わりを通じてファンがAudioCoinをさらに入手できるようにする。ビョークほどメジャーなアーティストが継続的にサポートすれば、AudioCoinの価値の上昇を見込めるし、ビョークと直接的な結びつきサポートするためにAudioCoinを保有し続けるというファンも出てくるだろう。
ブロックチェーン技術に基づいたAudioCoinはスマートコントラクトによって、ダウンロードだけではなく、ストリーミングからもアーティストとファンがAudioCoinを得られる。もしAudioCoinの通貨としての価値が高まったら、SpotifyやApple Music、YouTubeのようなプラットフォームに頼らず、アーティストやレーベルが独自に、そして直接的にファンとつながって作品を提供し、それを収益につなげられる。
かつてP2Pは人々が音楽に触れる機会を増やしたが、作品を聴いてもらえても違法コピーのやりとりはアーティストの売上を減らし、ファンを泥棒にするという困った状況を生み出した。iTunes Music StoreやSpotfyはデジタル時代に、音楽ファンにとっては便利で、そしてアーティストが作品から収益を上げられるビジネスモデルを確立したものの、そうしたプラットフォームにアーティストやファンが囲い込まれるのが難点である。アーティストとファンの直接的な結びつき、アーティストの作品に由来するトークンベースの経済、トークンを発行してアーティストが活動資金を調達するICO (initial coin offering)のようなモデル等々、ブロックチェーンはこれまでになかったアーティストとファンの関係を築けるかもしれない。
今、自ら進んでAudioCoinを購入しようという人は皆無である。AudioCoinの価値を上げていくには、少しでもAudioCoinを保有する人を増やすこと。「使いようがない」と言われても保有者を増やすことである。その点で、ビョークの作品を通じて多くの人がAudioCoinを保有するようになるインパクトは大きく、音楽におけるブロックチェーンの可能性に注目を集めるきっかけにもなるだろう。ただ、ビョークがAudioCoinを選んだのはAudioCoinにとっては大きな前進だが、音楽の前進のための正しい選択だったのかどうかは分からない。
そこでBjork StoreでUtopiaを予約してみた。Bjork StoreはBlockpoolのチェックアウト・プラグインを用いてブロックチェーン技術に基づいたAudioCoinの報酬システムを組み込んでいる。残念ながら、その購入体験は分かりづらくて快適にはほど遠く、しかもストアの処理で安全面に不安を覚えることがいくつかあった。正直なところ、危なっかしくてオススメできない。素晴らしいコンテンツがあるのに、それをきちんと提供する技術とノウハウが備わっていなくて残念なことになっている。NetflixやAppleなど、テクノロジー企業がコンテンツ配信に乗り出すと、必ずと言ってよいほど「コンテンツを持っていない」と指摘されてきたが、それの逆のパターンである。コンテンツはあっても技術やサービスが伴っていない。問題なのは、テクノロジー企業はコンテンツ獲得に熱心になるのに対して、CBSにしても、HBOにしても、コンテンツホルダーはどこか技術やサービスを軽んじる傾向がある。結果、使いづらいサービスを提供して失敗してしまう例が枚挙に暇がない。
ブロックチェーンに関してアイディアが語られるだけで形になってないものがあふれる中で、私たちが実際に試し、可能性の片鱗でも体験できるビョークとBlockpoolの試みは評価したい……のだが、レーベルやアーティストが直接サービスを提供できることの課題がすでに浮き彫りになっている。