コンプレックス――。この厄介なものを抱える人には、それを弱みだと感じる人と、それを強みに変える人の2種類に大別される。オンライン学習塾「アオイゼミ」を運営する葵 代表取締役 兼 塾長の石井貴基氏は後者のタイプだ。

オンライン学習塾「アオイゼミ」を運営する葵 代表取締役 兼 塾長の石井貴基氏

石井氏が感じるコンプレックスは大学受験。函館の有名私立高校を卒業後、1年間の浪人生活を経て福島大学に進学したが、第一志望の大学ではなく、心のどこかで「東京へ出る」ことへの強い思いを持ち続けていた。

大学受験が思った通りにいかなかったこと、そして上京できなかったことに悔しさを感じていた一方で、「僕は地方のことに関して同世代の起業家の誰よりも知見があると思っています」とも語っている。

石井氏のこの経験は、高校・大学受験向けサービスとなるアオイゼミに色濃く反映されている。石井氏によると、「中学受験向けのサービスはしないのか」とよく尋ねられるが、そのたびに「その予定は一切ありません」と答えるのだそうだ。

「東京で起きている中学受験競争は特殊です。確かに東京には1,000万人規模の人口が集中していますが、日本全体で見ると1割以下の人口に過ぎません。残りの9割の人はというと、公立の中学校・高校に入ることを目指しているケースが圧倒的多数です。僕は地方を長く見てきた経験や見識を活かして、10%よりも、90%の人の課題を解決したいと思いました」(石井氏)

こう語る石井氏とはどんな起業家なのか。これからどこへいこうとしているのか。会社立ち上げまでの経緯やお金に苦労した思い出を紐解きながら、詳しく話を聞いた。

富裕層も貧困層も、高額な教育費に頭を悩ませていた

―― 起業を決意したきっかけは何ですか?

石井氏 : 新卒でリクルートに入社して2年、北海道支社で不動産事業の広告営業を担当しました。その後、ソニー生命保険から声をかけてもらい、札幌支社で1年営業として働きました。計3年、会社員として営業経験を積みました。

昔から「起業したい!」という強い思いがあったわけではありません。ただ、独立して起業する人が多いリクルートにいた当時から、いつかは僕もここを離れるだろうなとは、ぼんやり考えていました。

起業に到った最大のきっかけは、ソニー生命保険時代にファイナンシャルプランニングの業務を経験したことだと思います。ソニー生命保険は、「30歳・子ども1人・年収500万円」というベースが同じ人であっても、生き方はまったく違うものであることを前提に、お客さま一人ひとりに合ったライフプランの設計と提案を大事にしていました。

賃貸派か持ち家派かといった住まいに関する考え方の違いでも、家計のキャッシュフローは将来的にまったく異なったものになります。教育面でも同じです。子どもの面倒を見るのは高校までと考える家庭から、私大でも海外留学でも子どもが望むことなら何でも叶えたいと考える家庭まで、保護者の考えは千差万別です。

そういった将来に対する考えや要望はもちろん、旦那さまのお小遣いに到るまで、事細かくヒアリングさせていただいた上で、家庭ごとにライフプランを考えていきます。僕が担当したのは、世帯年収2,000万円クラスから150万円クラスまでと幅広かったですね。

衣食住だけを見ると、やはりそれぞれの年収で違いが見えてきます。ですが、年収に関係なく、唯一支出の負担割合が変わらないのは、学習塾を主とした学校外の教育費でした。支出のシミュレーションを組むと、お子さんが高校・大学受験をするタイミングで通常のキャッシュフローでは回らなくなり、家計がバーストすることがよくあります。

受験時には今まで予期しなかった費用がかかることから、教育費は年収の10%ほどのボリュームを占めるケースが大半。どんな家庭であれ、大きな負担としてのしかかってきます。これはどうしてだろう……と不思議に感じたのが、アオイゼミというサービスを作るきっかけになりました。

バイトとアオイゼミを掛け持ちした1年半

―― 2012年3月に会社を設立していますが、その前後のエピソードを教えてください

事業やビジネスモデルを考えていた2011年頃、ニコニコ生放送やUstreamなどの生放送技術が普及し始めたことがヒントになりました。動画を一方的に配信するだけだと、既存の通信教育と何ら変わりません。ですが、ネットの力を活用して、講師や生徒と生でコミュニケーションを図れる授業を提供すれば、実際の塾と同じような学習体験をお届けできて、受講生の感動を生むのではないだろうかと。

画面の向こうにはリアルタイムで授業を行う講師がいて、わからないことを質問すればその場で答えてくれたり、自分と同じ瞬間に授業を理解する友だちがいたり、時にはわからないと言った仲間がいて安心したり、というような人と人とのコミュニケーションがライブ授業の醍醐味だと思っています。ITで便利さと安さを実現し、コミュニケーションで受講生の感情を動かすサービスを作りたいと思いました。

オンライン学習塾「アオイゼミ」公式Webサイト イメージ

そんな話を高校・大学時代からの友人二人に話したところ、ビジネスにできるのではないかとポジティブな意見をもらいました。ただ、三人で起業したときは全員27歳で、本当にお金がなかった時期でした。みんなで資金をかき集めても100万円くらいにしかならず、さぁどうするかと話して、昼間は全員で出稼ぎ(アルバイト)に出ることにしました。

僕が週4回、朝から夕方までバイトしていたのはコールセンターです。出稼ぎのあと、夕方から夜にかけてはアオイゼミの事業を行う生活が1年半ほど続きました。

初の資金調達後は「おもちゃを与えられた子ども」そのもの

転機が訪れたのは、2013年8月にiOSアプリをリリースしたタイミングでしょうか。インターンで入ってくれていた優秀な大学生エンジニアが3人で作ってくれたものです。それから、1日の会員登録数が10倍になるなど、一気にユーザーが増えていきました。

その2カ月後、一回目の資金調達に成功しました。「おもちゃを与えられた子ども」というと例えがよくないかもしれませんが、今まで金銭的な理由でできなかったことを次々と実現していったのを覚えています。エンジニアに週5回出勤してもらえるようになったり、5人ほど入ると狭く感じるオフィスからやや広いオフィスに移ったり。

新たに人も採用できました。2013年10月には10人ほどの組織でしたが、2014年4月には約20人、2015年4月には約40人、2015年11月には約50人までに仲間が増えています。

―― 環境が激変しましたね。振り返って、失敗したなと思うことはありますか?

資金の使い方としては間違っていないと自負しています。ただ、僕ら役員や現場のマネージャーたちも、マネジメント経験が豊富にあったわけではなかった。そういう意味で、人が急に増えたときに、適切な動きをとれていなかったと思います。

仲間が5人程度であれば、全員とコミュニケーションを図っても、十分スムーズな意思疎通はできます。でも、組織が20~30人規模になると、意思決定ルートを明確にしておかなければ、各所から依頼が飛び、現場社員も誰から頼まれた仕事を優先すべきなのか、戸惑うでしょう。

正直、それに気づいたタイミングは遅かったなと反省しています。それからは組織構造を整えたり、マネージャー層に裁量権を与えたり、属人性の高い仕事をフォーマット化して業務効率を上げたり、人材育成フローを整えたりと、一つひとつ手探りながらも、会社っぽい組織を作ってきました。

僕自身は経営にシフトした、と言うとカッコイイですが、いまは採用や資金調達、新規事業の仕込み、業務提携など、体外的な動きを主に担当するようになりました。失敗を踏まえて、ようやく会社として整いつつあるのかな、と感じています。

利用者と支払い者が異なるサービスでは対象を絞ったマーケティングを

―― サービスの認知を広げるためのマーケティング戦略についても、お話を伺っておきたいです

サービスの受け手とお金の払い手が違うため、マーケティングのハードルが高いのではないかと、よく言われます。僕は、マーケティングをする上で、お子さまと保護者のどちらを対象にするかを分けて考える必要があると思っています。

その上で、僕たちは受け手にフォーカスしています。10代以下の子どもにもスマホが普及していますし、「塾より分かりやすい」と言ってくれる受講生や、通っている塾をやめて「アオイゼミ1本にしました」という生徒もいます。まず、生徒自身に無料プランを使ってもらい、成績が上がったから「もっと勉強したい」「有料プランを申し込みたい」と保護者に話してもらう流れが、僕たちの理想とするところです。

―― 価格設定についてはどう考えていますか? 現状のプラン(月900~5,000円)を見ると、リアルの塾と比べて大幅に安いのは明らかです

起業の大本にある「教育における経済格差をなくしたい」という思いと、利用者の課金ハードルをギリギリまで下げたい、といった考えで価格設定しています。一般的に課金率5%といわれるフリーミアムモデルですから、まず無料プランを使い、有料プランでたくさん勉強したいと思ってくれる受講生が出てくると成り立つ金額感です。

文部科学省が平成26年1月に発表した「子供の学習費調査 」(平成24年度)によると、「学校外活動費」(学習塾、習い事などへの支出)は、学年別に年額で見ると、公立では中学校3年の約36万4,000円、私立では小学6年の約72万4,000円が最多となっています。アオイゼミはこれを10分の1以下に、一番高額なプランでも4分の1にすることを目指しています。

起業家=投資家。最悪の状態とリスクを想定してから踏み出そう

―― 最後に、起業を目指す人たちへ、アドバイスをお願いします

僕は賢い人間ではないし、コンプレックスもありますし、いまも自分に自信がありません。ここまで自信がある風に話してきただけです(笑)。でも、そのぶん、心がけていることがいくつかあります。

まず、情報収集を欠かさないこと。次に人に頼ること。正直、頼りっぱなしです。自分が決してできる人ではないと自覚しているので、できないことは理由を話した上で、素直にお願いしています。

最後にもう一つ、常に最悪の事態を想定して、それを自分が受け入れられるか否かという基準で意思決定するようにしています。そうすれば、万が一最悪の事態に陥った時も精神的に楽になるはずです。

僕は27歳で会社を作りました。2年くらいすれば会社として何かしらの結果は出るだろうと考えていました。もし失敗しても29歳。自分の営業経験があれば、どこかの会社でも月給20万円くらいで雇ってくれるだろう、という感覚はありました。

良い部屋に住みたいとか、外車に乗りたいとか、そういった欲があれば話は別ですが、僕は月に20万円ならそれなりに幸せに生きていけるなと感じました。要はどちらを取りたいか、なのです。

僕はやりたいことに挑戦して、万一失敗しても、その次の人生を受け入れる覚悟がありました。起業して「教育における経済・意識・地域の格差をゼロにしたい」といった目標を実現する方がリターンは大きいです。たとえ失敗しても月20万円で暮らす日々が待っているだけで。

それならやるしかないでしょう。起業家は投資家でもあるのです。リスクを明確にした上で、どこまでなら挑戦できるのかを考える点では、一般的な投資の発想と同じだなと感じています。