「なんだか勿体ない報道だなぁ」
産業革新投資機構(JIC)の経営者の方々と経済産業省に関する報道を見て、そんなことを感じました。官民ファンドであるJICの役員が報酬水準をめぐって所管の経産省ともめ、田中正明社長をはじめとする民間出身の取締役が全員辞任するという出来事でした。
僕が勿体ないと感じた原因は、マスコミの多くが勝手に「偉いおじさんは悪い」という前提を設定したストーリーばかりで報道していたことです。こうした報道は、本来の報道のあるべき姿を逸脱しているのではないか、と僕は思うのです。
前時代的な「わかりやすい悪人」がいるストーリー
僕が子供のころは、子供が見る番組は味方と敵の関係が単純な作品ばかりでした(ちなみに僕は人口ピラミッドで一番多い45歳)。当時は、顔が青くて感情が無さそうな宇宙人や、見るからに悪そうな顔で悪そうな喋り方をする怪人が地球征服を企んでいるような作品ばかり。大して悪いこともしていない敵を爆破して、みんなで勝利を喜ぶという単純なストーリー展開が、敵役が可哀そうでどうにも好きになれない子供でした。
僕と同じように感じる子供も多かったのか、それとも作っている側の大人が飽きたのか、恐らく初代のガンダムくらいから、子供向きの作品にも、「主人公にも敵役にもそれぞれの正義が存在する」という価値観の作品が増えたように思います。
それから数十年が経ち、今や国民的作品であるワンピースに至っては、敵役の海軍の背中にデカデカと「正義」と書いてあります。子供向け作品でさえ、「どっちが正しいか」という子供じみた議論はせず、「正義vs正義」の構図で話が進んでいきます。平成に入って、「価値観なんてもんは人の数だけあるんだ」っていう当たり前の事実を子供でも知っている国になったわけです。
にも関わらず、何かあるたびに日本のマスコミの多くは、誰か悪役を仕立てないと報道できないルールでもあるかのように、単純なストーリーの報道ばかりしています。
正義を一つに絞らないと視聴者が理解できないと思っているのか、はたまた報道の形を取りながら自分の考える正義で日本を染めたいと思っているのか。どちらが理由なのかはわかりませんが、こういった人による価値観の差異を雑に扱うスタンスで届けられる報道を見るたびに、「このテレビ局の人たちは視聴者を子供以下の理解力の持ち主ばっかりだと思っているんだろうな」なんてことを感じるのです。
もう平成も終わるわけですが、いつになったら彼らは、怪人を爆破して喜んでいた時代の価値観で報道をしていることに気づくのでしょうか。
そこには本当に「悪役」がいるのか
そもそも、JICの経営陣は彼らが考えるあるべき姿と何が違かったのかを自分たちの言葉で発表していましたし、経産省も世耕大臣が代表して自分の考え方をしっかり述べていました。
登場人物が、それぞれの価値観でそれぞれの言葉で「日本をより良くするためにはどうしたらいいか」という意見を言っていたのです。これはとても立派な態度と行動だったと思います。
僕は、こうした健全で建設的な議論から逃げないことが、今の日本にとって最も大事なことだと考えています。しかし、世の中ではこういった議論がオープンになされたことそのものを問題視して、監督官庁である経産省を責める声も多かったように感じます。
論点を明確に定義して、オープンに議論して、混乱を詫びた上で辞任するって素晴らしいことじゃないですか。国の中枢のところでああいったオープンな議論が行われる国って、素晴らしい国だと僕は思うんですよ。揉め事は有ってはいけないのではなく、健全で建設的な議論をしようと思ったら、揉め事を避けてはいけないと思うのです。
せっかく、経済界で名前の通った人たちが個人的なレピュテーションリスク(企業の信用やブランド価値が低下し損失を被るリスク)を恐れず進退を賭けて問題提起してくれたのだから、短絡的にどっちが正しいとか、どっちが間違えているとかいう結論を出すことを目的としない、建設的な議論を続ける努力をするのが報道の役割だったのではないでしょうか。
しかし、実際のマスコミの報道を見ていると「なんだか偉い人がもっと給料くれって言って喧嘩している」的な、極めてクダラナイ議論に矮小化されて報道され、エリートが私欲で喧嘩している的なネタとして消費されてしまったことが、とても残念でした。
「正義と悪」を決めつける報道は、正義か悪か
ちなみに、同時期に話題になっていたニュースに、某自動車会社の有名な経営者が「莫大な社費を流用しているvsしていない」という報道もありました。テレビのワイドショー的にはこちらも「エリートが過剰に給料を多く欲しがっている話題」として一括りにされていましたが、こちらには建設的な論点は何もありません。
このような非建設的な話をダラダラと報道しみんなで議論しても、なんの意味もないと僕は思うのですが、こっちの件の方がマスコミ的「悪役」が設定しやすいからなのか、年が明けても未だに盛り上がってます。
なんだか「新たな国民の悪役」を皆が欲しがって消費している「残念な国」になっている傾向が、年々強まっているような気がしています。
ここで忘れてはならないのは、ワンピースが「正義vs悪」という対立軸を設定しないままでも、20年以上も国民の関心を引き続けているということです。少年ジャンプを読む小学生でも、あの何百人のキャラクターのそれぞれが有する価値観の差を理解できるのが、今の日本国民の認知レベルなんだと思います。
つまり、報道する側に尾田先生のような人物の価値観を魅力的に描き分ける技術があれば、JICの件でも視聴者を惹きつけるコンテンツは作れたはずなんです。
今回のように、対立する双方がそれぞれ建設的に意見を言っているコンテンツなんてそうはありません。前向きな議論やさまざまな立場の価値観を紹介するうちに、国民全体が日本経済をどうしていくべきかについて、一人一人が意見を持てる国に自然となっていくはずなのです。
毎月のように発掘されて、新たな国民の敵として設定されてしまう悪役に、毎日さらに新しい角度から悪口を見付けた人が頭が良く見えるような、そんな安易な報道コンテンツに逃げずに、いろいろな人の価値観を整理しそれぞれの価値観を魅力的に見せることが、優秀な人が高給をもらっているマスコミに期待すべき役割だと思うのですよ。
報道のストーリーメイク、4つの改善策
では、今回の件はどういうストーリーで報道すれば良かったのか、誰かに意見を言う時は「それじゃダメだ」に留めず「例えばこうしてみるとか」まで付け足すことをモットーに生きているので、勝手に4点考えてみました。
1点目:結論を出さないことを恐れない
報道の役割は「複雑な問題に、誰でも同意できるような短絡的な答えを提示すること」とかいう、おかしなプライドを持っているからコンテンツの魅力が減ってしまうのです。理解が難しい、しかし根源的に大切な問題は、短絡的な答えを出さず難しいまま放置しておく方がストーリーとしての魅力は増すのです。
ワンピースだって、「そもそもワンピースってなんぞや」「海賊王ってなんぞや」って根源的な命題には何ひとつ答えないまま、連載が続いているわけです。短絡的に答えを出す単純なコンテンツでは、もう子供でも楽しめないのです。
つまり、「官民ファンドってなんぞや」ってところがこの議論のラスボスであることは明示しつつも、「その説明は、どうやら登場人物によって理解が違うようだぞ」というままにする報道戦略であれば、このテーマはもっと人々の興味を引けたのではないか、と僕は思うのです。
2点目:論点は給料の「額」ではなく「出どころ」
官民ファンドとはなんぞやという本質をふんわりさせたままにしておく前提で、本件ステークホルダーの意見の相違の理由は、「ファンド運用者の給料は、元本から出されるのか、儲けから払われるのか」という点にあります。しかし、僕がみた限りの報道で、給料の出どころについての理解が違うことに言及した報道は一つもありませんでした。
具体的には「税金で用意した2兆円から給料を払うのだから一般的な公務員と合わせるべきだ派」と、「成功報酬は投資で儲けた額から払うのだから一般的な投資企業と合わせるべきだ派」に整理できたはずです。それから適切なタイミングで「給料の出どころは税金じゃないと思うけど、国で用意した2兆円がなければ投資成果も出せないんだから中庸が正解だ派」を登場させます。
それぞれの案に対して適切なキャラクターを設定できれば、サラリーマンの昼飯の話題だけでなく、高校生の部活の話題にまででき、それがあるべき日本経済のあり方を一人一人が意識するキッカケにまでできたはずです。この「そもそもどこから給料を払っているかの認識の差だよね」っていう整理をちゃんとしている報道、見かけましたか?
3点目:「2兆円なんてちっちゃい」という事実
そもそも「2兆円」という運用額の大小も重要です。無駄にデカイ数字が出てくると話が盛り上がる手法は少年ジャンプが発明した優れた手法ですが、これは小学生だけでなく、大人にも通用します。日本人は、「私はあなたより強いです」と言われるよりも「私の戦闘力は53万です」と言われるほうが、ストーリーに感情移入できるように調教されているのです。
ここで僕が皆さんと共有したいのは、国が運用するファンドとして、2兆円はかなり小さいということです。例えば、ソフトバンクビジョンファンドは10兆円規模、日本の15分の1のGDPしかないシンガポールの国営ファンドであるGICやテマセクは、それぞれ10兆円以上運用していると言われていますし、アメリカなんかでは二桁兆円のファンドなんてザラです。日本生命でも60兆円くらいは運用しているはずです。
「そうか、2兆円ってちっちゃいのか」って驚きが、この議論をより深めたはずなのです。
そうすれば、「あのおじさん達は、ちっちゃい規模のファンドなのに国のために頑張ろうとしていたのか」「ちっちゃいファンドだから成り手がいないのか」「ちっちゃいファンドなんだから給料安くていいんじゃない? 」「そもそも日本がそんなちっちゃいファンドサイズで恥ずかしくないのか」などなど、いろいろな議論が生まれたことでしょう。
4点目:本当の登場人物はみんな魅力的
最後に、そもそもこのストーリーに出てくる人を、全員かっこよく描くべきでした。だって実際かっこいいんだから。本物以上にかっこよくしたらそれはエンターテイメントの範疇ですが、だからといって、本物よりかっこわるく報道する必要はないはずです。
僕は経産省と産業革新機構、どちらの組織とも一緒に仕事をする機会が多いです。ここで繰り返し声を大にして言いたいのは、こういった組織で働くみなさんは本当に、日本の国を良くするためにいつも一生懸命だということです。
価値観や正義感は人それぞれですが、若い人からベテランまでどの人も、本当に一生懸命働いています。大衆が虐めることで消費すべき対象ではなくて、国のために奮闘するかっこいい人達なんです。にもかかわらず、時代錯誤の「エリートってのは悪いことしているに違いない」という大前提での報道が目についたのが、今回の最も残念なところでした。
それぞれが足を引っ張るような報道ばかりしているから、日本はいつまでもデフレマインドから抜け出せないんだよ、と思うのです。
「大物おじさん=悪」と決めつけては勿体ない
また、今回辞任された皆様とは直接面識はないのですが、彼らと同じような経済界の大物のおじさんたちと話をさせていただく機会は、僕の日々の仕事でそれなりにあります。こういった、双六でいえばすでに「上がった」ような人たちこそ、日本をより良くするために、人生の残り時間で何ができるかと本気で考えている人が多いと感じています。
こういった(大物)おじさんたちって、そりゃあ一癖も二癖もある人ばかりですよ。でも基本的には一本筋の通った面白い方々であることが多いし、だいたいみんな愛嬌があります。そう言ったおじさん達を、マスコミが嵩にかかっていじめて何か建設的なことが起きるのでしょうか。
「大物おじさん=悪人」と定義して消費してしまうのは簡単です。しかし、こういった人たちを愛して、彼らが何を言っているのかを少しでも理解しようとし、「本来どうあるべきだったのか」という観点で前向きな議論をすることが、この記事をうっかり最後まで読んでしまった皆さん一人一人の生活を、さらに楽しいものすると信じています。
さらには、近年の日本でよく見られる報道の姿勢が「誰かを悪役に設定し、複雑な議論に短絡的な結論を出す」ものから、「一人一人の価値観を整理し、単純な悪役を設定しない」ものに変わったとしたら、この国はもっとずっと楽しくなるのになぁ、と思うのです。
(文・イラスト=ふじたともひろ:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)