仏教というと、禅寺でいかつい和尚さんが「喝!」と叫んでいるイメージを思い起こす方も多いかもしれませんが、今週はそんな「喝」についてのお話です。
大きな声を出して相手を怒鳴りつける「喝」。初めて「喝」を用いたのは中国・唐の時代の禅僧、馬祖道一(ばそどういつ)禅師と言われています。馬祖禅師の「喝」はすさまじい迫力があり、これを受けた弟子は3日間耳が聞こえなくなったと伝えられるほどのものでした。
そんな馬祖禅師の何代も後の弟子で、中国で臨済宗を開いた臨済義玄(りんざいぎげん)禅師は、弟子を指導するのに「喝」を頻繁に用いたことで知られています。臨済禅師の問答は「臨済録」という本にまとめられているのですが、その中にも「喝」を使ったやりとりの場面が度々登場しています。
大きな声を浴びせると言っても、ただ相手を怒ったり怖がらせたりするのではなく、きちんと意味があって行われるものです。
臨済録の「勘弁」(禅僧が相手の力量を試す問答のこと)という章からは、臨済禅師が自らの「喝」を下の4つの働きに分類していることが読み取れます。(これを「臨済四喝」と呼びます。)
- 鋭い剣のように迷いを断ち切る喝
- 獲物を狙う獅子のような、内に秘めた威厳を示す喝
- 魚をおびき寄せる道具のように相手の力量を探る喝
- 喝の形を取らない喝
あれこれ理屈をこねる隙を与えず、相手の迷いを断ち切る。いきなり大きな声を浴びせられると、ぐるぐると迷いをもたらしていた思考は吹っ飛び、瞬間的とはいえ心が「無」の状態を体験します。
特に禅宗では、重要なことは言葉や理屈にできないものであるという考え方をしていますから、短い音と大きなインパクトでやり取りをする「喝」はそれ自体が真理を体現しうるものでもあるのかもしれません。
この4つの役割を説明した臨済禅師は「お前にはこれらがわかるか?」と修行僧に問い、答えに詰まる相手にすかさず一喝を浴びせ、その意味を体験させています。
どんなに論理的に考えてもまだ迷いがある時、自分の中で答えは決まっているのにそれを実感できない時、迷いを振り払って進む決め手や最後の一押しとなるのは、直感などの言葉にできないものであったりします。
やるべきことを人に話したりして気合を入れる、優れた作品に触れて自分を鼓舞する、それこそ「喝」を入れてくれる人物と交流したりアドバイスを求める...
あなたにとって、もやもやとした迷いや不安を断つ起爆剤となる体験とは、どんなものでしょうか?
■こむぎこをこねたもの、とは?
■著者紹介
Jecy
イラストレーター。LINE Creators Marketにてオリジナルキャラクター「こむぎこをこねたもの」のLINEスタンプを発売し、人気を博す。その後、「こむぎこをこねたもの その2」、「こむぎこをこねたもの その3」、「こむぎこをこねたもの その4」をリリース。そのほか、メルヘン・ファンタジーから科学・哲学まで様々な題材を描き、個人サイトにて発表中。
「週刊こむぎ」は毎週水曜更新予定です。