ビジョナリーカンパニー・ソニーの凋落

ヒルズ族の代表格とされたサイバーエージェントの藤田晋社長。女優と結婚して離婚した社長というより「アメブロ」や「アメーバピグ」の運営会社の社長というほうがピンと来るかもしれません。その藤田社長が学生時代に感銘を受けたという書籍が『ビジョナリーカンパニー』。18年前(邦訳は17年前)に出版され、今なお版を重ね、信奉者を増やし続けています。

ビジョナリーカンパニーとは「未来志向」や「先験的な」という語感と、長期間にわたり卓越し社会に影響力を与え続ける企業で、藤田社長によれば「時を超えて生存しつづける企業」となります。そのビジョナリーカンパニーに唯一日本から選ばれた企業が「ソニー」です。

ここで首をかしげる人もいるでしょう。ソニーの株価は32年ぶりに1,000円を割り込み、2000年のピーク時に15兆円を超えた時価総額は、今や1兆円です。お笑い芸人の「すぎちゃん」風に「ビジョナリーだろぉ」と自虐的に語りたくなる凋落ぶりです。しかし、その姿は「ビジョナリーカンパニー」で指摘されていたことでもあります。

渋谷ではたらく社長は一人じゃない

シテム開発会社のU社長も『ビジョナリーカンパニー』に魅せられた1人です。正しくは、先の藤田社長に憧れて読んだ著作『渋谷ではたらく社長の告白』からの孫引きですが。U社長は関西の中高一貫校から東京の大学に進み、「就職氷河期」のなか金融機関に就職します。そこで企業の金の流れをみているうちに、「自分ならもっとうまくやれるのでは」と錯覚し、折しも拓銀の破綻以降吹く金融業界への逆風に嫌気がさし、会社を辞めて「経営コンサルタント」として起業しますがすぐに挫折します。「金の流れ」と「経営」はイコールではないのです。そして、食べていくために契約社員として入社した「営業代行」の会社でIT業界と出会います。ちなみに「営業代行」とは、コピー機やファックスのレンタルを電話でしつこく粘ってくるアレです。

これを言っては身も蓋もないのですが、一般的な技術、特にネットのそれはほぼすべての情報が「オープン」にされており、あちらこちらのノウハウを拝借すれば商売が成立し、端的に言えば「コピペ」だけでシステムを組むことができます。U社長は小遣い稼ぎのつもりに、ほぼ「コピペ」で構築した求人サイトでひと山当て「再起業」に成功します。

チャレンジも残すべきものが生まれなければダメ

プロ野球球団の買収などで「ホリエモン」が世間を騒がせていた頃、同じIT業界に身を置き、少し下の学年のU社長が彼らを目指したのは自然な流れです。ただ、批判も多かった「ホリエモン」より、女優と結婚した先の藤田社長への憧れが強く、心の師と仰ぎます。そして、師が目指した「ビジョナリーカンパニー」を自分も目指します。

同書では「大量のモノを試して、うまくいったを残す」と章を割いて説明します。機会があればわたしが手がける別の連載「ビジネス書カスタマイズ」でも取り上げる予定ですが、実戦向けにカスタマイズするなら「果敢にチャレンジし、成果が出たモノを大きく育てる」といったところです。しかし、U社長はその言葉を「鵜呑み」にします。

コンテンツ事業、薬品販売、日伯友好事業、そして本業のシステム開発と、言葉通りに大量のモノを試します。今年に入ってからは、オリジナルキャラクターによるファンシーグッズ製造販売に傾注します。アルバイトを入れても10人ちょっとの企業にとっては手を広げすぎの「ビジョナリーカンパニー0.2」です。なぜなら、残すべき成功事例が生まれてこないからです。

成功は金が支える

今やすっかり、IT企業の冠にふさわしい会社となった藤田社長率いるサイバーエージェントですが、もともとは「ネット広告」の「営業代行」でした。インターネットの広告枠を企業に売りつける営業集団で、足で稼ぐ体育会系の企業だったことは先ほどの著書で本人が「告白」しています。それが、「アメブロ」「アメーバピグ」と、「IT企業」の名に恥じない看板を手に入れることができたのは上場で手にした莫大な資金があったからです。

 サイバーエージェントのサイトから辿れるもっとも古い資料によれば、株式公開から間もない2002年9月末には、すでに57億8,000万円の現金を持っています。翌年が赤字決算となっていることから、株式公開時の上場益であることは間違いありません。つまり、この潤沢な資金を使って実現した「ビジョナリーカンパニー」です。「

ヒルズ族」と呼ばれた多くの企業が、さまざまな事業にチャンレンジできた理由も同じで、求人サイトの小さな成功とは桁が違います。彼らが「ビジョナリーカンパニー」となるか「成金の道楽」と揶揄されるかはいずれ歴史が評価をすることでしょう。

さて、日本唯一のビジョナリーカンパニー「ソニー」。『ビジョナリーカンパニー』では「基本理念を維持し、進歩を促す」と定義します。2003年4月25日の「ソニーショック」でも株価は3,000円を維持していました。そこからコツコツと値を戻し、2007年5月には7,000円まで回復します。しかし、それが最後のピークです。その前月、ソニーが世界を席巻した「トリニトロン」の国内生産終了と相前後して、株価は下がり続け10,00円にタッチしても反転する兆しすら見えません。「独自規格」というソニーらしさを放棄した時点で、ビジョナリーではなくなったのかもしれません。

エンタープライズ1.0への箴言


「ビジョナリーと戦力の分散は違う」

宮脇 睦(みやわき あつし)

プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」