将来的に我々は、AI(人工知能)と無縁でいることが難しくなるだろう。

直近のビジネスソリューションに欠かせないと言われるAIだが、「AIで顧客満足度を高める」「仕入れ在庫の傾向もAI判断で最適化」「AIを利用して人が介在しないサポートシステム」と、AIの可能性は枚挙に暇がない。本稿をご覧の読者諸氏も、AIが今のビジネスを変えつつある、ということは重々承知のことだろう。

だが、「AIって何?」と問われて正しく返答できる方は決して多くない。キーワード自体は米国のコンピューターサイエンティスト(計算機科学者)かつ認知科学者であるJohn McCarthy(ジョン・マッカーシー)氏らが1956年に開催されたダートマス会議で定義付けたもので、文字どおり"人が持つ知能を人工的に作り出そう"という学術的アプローチに端を発している。そこから多様なアルゴリズム(計算方法)や数学的理論が生まれたものの、1970~80年代のコンピューターでは性能的限界があり、コンピューターと会話するチャットボットは存在したものの、言語的解釈の乏しさや語彙の乏しさから「人工無能」と揶揄されることも当時は少なくなかったことを覚えている方も少なくないだろう。

2000年代に入るとRay Kurzweil氏の「シンギュラリティ(技術的特異点)」といったキーワードに続いて、IBMはコグニティブ(認識)コンピューティングシステム「Watson」も登場し、社会的に認識されるようになった。このように実用レベルの可能性が見えてきたのはつい最近だ。著名な研究者は「まだ人と同等の五感や感性、感情を実現するに至っていない」と現状を分析しつつも、実状を見渡すと人の舌・評価を介した味覚や、単なるデジタルデータに過ぎない画像に対して「馬に乗る男性」といった視覚を備えつつある。例えばMicrosoftはコグニティブ(認知)サービスを、他のソフトウェアが利用可能にあるAPI(プログラムを簡潔に記述するためのインターフェース)として提供中。これを用いたビジネスソリューションが国内でも生まれつつある。

他方で前述のシンギュラリティは、AIが人間の能力を超えるタイミングを指し、それに伴う失業者が多発する可能性は否定できない。第二次産業革命で生まれた自動車の普及前後を例にすれば、それまで移動・運搬の主流だった馬車及び運用に携わる業種は皆無だ。このような流れはさまざま業種で発生し、ライターを生業とする筆者を含めて皆他人事ではない。遠くない将来はパータン化された文章程度ならAIが人の代わりに言葉を紡ぎ出すだろう。

この変化はデータサイエンティストに脚光を浴びせたように、新たな需要も生み出すが、技術進化に伴う環境の変化に窮する方は必ずいる。それは貴方かも知れない。

画像は女子高生AIとして話題になったMicrosoftの「りんな」。会話だけではAIと実在の人間が区別できなくなりつつある。身近なところでも、人工知能が囲碁や将棋で人間に勝利する話題もよく目にする。シンギュラリティはもはやSFの言葉では無い

阿久津良和(Cactus)