本コラムでは、企業で働くプログラマーだった筆者が、起業するまでの道のりや起業してからの日々についてお話します。当社は全国各地に散らばる在宅の技術者やデザイナーをチーム編成して、顧客に技術を提供していますが、筆者は在宅作業による技術供給を目的に会社を興しました。今回は、筆者が在宅という働き方にこだわる理由についてお話します。

結婚しても続けられる仕事=在宅の仕事?

「働き始めたとしても、いずれは結婚して、旦那様の仕事の都合で仕事を辞めなくちゃいけない時が来るなら、在宅でやれる仕事がいいんだろうなぁ」

私はそんなことを10代の頃から漠然と考えていたのですが、それは父が転勤族だった影響かもしれません。20代中ごろのある日に自分の中で決定的な"気づき"が起きるまで、ぼんやりと「在宅でちゃんとした収入が得られる仕事って何だろう?」という疑問に対する答えを探していました。

そして、若気の至りで短大卒業後は就職もせずに23歳まで音楽に没頭していた私がいざ就職してみようかと思った時、一番先に心に浮かんだのはやっぱり「将来、旦那様が転勤しても辞めなくていい、在宅でも続けられる仕事がしたい」ということでした(卒業前に就職活動をしていなかったのに厚かましい話ですが……)。

音楽のためにアルバイトで得たお金で買ったMacを使って、パソコン通信をしたり、当時はまだ売り手市場だったデータ入力や簡単なチラシを作成する仕事を経験していたりしていたので、プログラマーという職業なら在宅という選択肢も可能なのではないかと、漠然としたイメージでソフトハウスへの面接を決めました。

解説書を見ながら遊びでMacのExcelで作った簡単なマクロを作成したことがある程度なのに、"プログラミングができる"と勘違いして面接で自分を売り込んだ結果(!)、就職が決まり、新人指導をしてくれるクライアントのところへCOBOL技術者として出向することになりました("そんなことでいいのか!"とツッコミやお叱りの声があちこちから聞こえてきそうですが・笑)。

同年代の母親とその子供との遭遇が転換のヒントに

COBOL技術者として3年働き、私は26歳になっていました。とうとう"気づき"が起こります。それは世田谷区の大きな小児科病院施設の傍に住む友人の家をたびたび訪れていた時のこと。いつ行ってもその近所では、治療を受ける5歳くらいの子供と付き添いのお母さんが近所を散歩していたり、近くのバス停から通院したりしている姿が当たり前のように見られました。

子供に付き添い、なだめたり笑わせたりして看病をしているお母さん達は、自分より遥かに年上でもなさそうなことに驚くとともに、自分も結婚して子供がいても当たり前な年齢、つまり、そのお母さん達の立場にいてもまったくおかしくないということに気づいたのです。

「今の私は我が子にずっと付き添っていられる母親になれるだろうか?」、「結婚相手は子供の治療費を100%賄える経済力を持っているだろうか?」、そんなことを真剣に考えるようになり、自分の中で1つの結論が出ました。

「見えない未来に不安になったり、経済力で未来の夫を決めたりするよりも、自分がいつでも準備万端な女になろう」

当時ソフトハウスから出向していた私は早速、自分の会社の人事に在宅で働けるようにしてほしいと願い出てみましたが、「え?!」というビックリしたような返事が担当者の第一声でした(笑)。ただ、人事担当者の中にも同じように「プログラマーなら自宅で作業できる」と思っていた人がいて、在宅勤務に関するプロジェクトが進んでいました。しかし、結果的に時期尚早ということでそのプロジェクトは打ち切られてしまい、私は在宅勤務へ向けての準備をするために転職を決意したのです。

執筆者プロフィール

藤城さつき(Satsuki Fujishiro)株式会社タンジェリン代表取締役。
在宅勤務に重点を置き、全国各地の技術者やデザイナー(在籍250名以上)を臨機応変にチーム編成しながら、豊富な質と量の技術力を提供する。今のところ、在宅勤務に対する障害・偏見は多いが、今の日本人にとって絶対に必要なワークスタイルの1つと信じて日々邁進中。
一方、会社員時代に設立した、コンピュータ関連業界で働く女性のためのコミュニティ「eパウダ~」を運営。男性が多いこの業界における女性の人間関係・働き方・生き方についても日々模索中。旦那1頭と兄弟猫2頭の4頭家族。