人手不足の現在、ITエンジニアは引く手あまたであり、辞めたくなってもすぐに職が見つかり、あくせくしなくてもよい状況ともいえる。そうした中、LINEヤフーのエンジニアは現状に甘んじることなく、個性に合わせたキャリアアップを図っているそう。

そこで、本連載では同社のエンジニア陣にキャリアップにおける工夫や成果について聞く。初回に登場いただくのはLINEヤフー研究所 上席研究員の岩崎雅二郎氏だ。令和6年度 厚生労働省主催「卓越した技能者(現代の名工)」表彰を受賞した同氏は、研究所を立ち上げたばかりで研究員を募集していたヤフーに44歳で転職してきたという経歴を持つ。

  • LINEヤフー研究所 上席研究員 岩崎雅二郎氏

LINEヤフー株式会社 LINEヤフー研究所 上席研究員


岩崎雅二郎


19 +87年、早稲田大学理工学部工業経営学科卒業。1989年、同大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。2007年、ヤフー(現LINEヤフー)株式会社入社後は、画像認識・高次元データ検索の研究開発に従事。博士(工学)

自分の手だけで画面上に何でも作れるプログラミングに夢中に

岩崎氏は高校時代に友人のPCでプログラミングに夢中になり、その時、モノづくりは材料が必要だけど、プログラミングは自分の手だけで画面上に何でも作れるという魅力に気づいたという。

大学時代はプログラミングのバイトに熱中し、卒業後は国内メーカーの汎用機のOS開発部隊に配属されたが、「『最先端の技術を身に付けたい』と思い、1年目で辞めました」と岩崎氏は話す。

その後、大学時代のバイト先である国内メーカーの研究所に転職してOSの研究開発に従事したが、全文検索に路線変更した。そして、全文検索が商品化され、テキストの次のステップとして画像検索へシフトした。ここから、岩崎氏の類似検索技術の探求が始まった。

岩崎氏が開発した画像特徴量(ベクトル)は後にMPEG7に一部採用され、さらには大量画像に対処するため、類似画像検索(木構造型ベクトル近傍検索)に着手。「今はAIが特徴量を抽出していますが、当時は難しかったです。特徴量を数値化(ベクトル化)していました」と同氏。

開発した画像検索技術を自ら売り込み、Yahoo!オークションで採用

ただし、類似画像検索を国内メーカーのどの製品に適用するかが課題となったという。「類似画像検索は主力製品であるコピーと結び付かないということで、デジカメ用の写真管理ソフトに搭載されましたが、それ以上の出先はありませんでした」と岩崎氏は話す。そこで、同氏は社外に画像検索技術を売り込みに行き、Yahoo!オークションで採用された。当時はECサイト創成期であり、「楽天、DeNA、ソニーなど、いろいろな会社に行きました」と同氏。

研究者自らが技術を売り込みに行くのは珍しく感じ、聞いてみたところ、「珍しいと思います。私の場合、『開発した技術を形にしたい、使ってもらいたい』という気持ちが原動力になっています」と、岩崎氏は笑いながら答えた。

岩崎氏は自分の性格について、「プログラミングに限らず、作ること自体が好きで、誰かに使ってもらえるとなおうれしい」と話す。常にこの気持ちが同氏を動かしているようだ。

「私は自分のやりたいことをやるために努力してきました。最初の会社はプログラミングができるからと入社しましたが、先端技術に触れたいと思ったので転職しました。納得感のない仕事については、上司を説得することもありました。就職して以来、プログラミングを続けたい気持ちの下、おもしろいと思える技術をやろうとがんばってきました」(岩崎氏)

44歳でヤフー(現LINEヤフー)に研究員として入社

その後、管理職になったことで、また岩崎氏に転機が訪れた。一般的な日本企業は管理職になると現場からは遠ざかる。数年、会社のレールに乗って働いていたが、ある日、管理職の仕事に疑問を感じて、ふと、同氏は転職することを思い立ったという。

当時、ヤフー(現LINEヤフー)で研究所が立ち上がっていた。「転職の応募がWebサイトで完結するので、チャンレジしました。44歳と年齢が年齢だったのでダメだろうと思っていましたが、社長から内定をいただいて『さあ、どうしよう』となりました」と岩崎氏。

ヤフー(現LINEヤフー)に研究員として入社した後は、国内メーカー時代に売り込んだ類似画像検索エンジンをすべて書き直し、置き換えた。さらに2019年にYahoo!ショッピングに類似画像検索技術が採用された際、やっと自分の思った通りのもの(人間が似ていると思う画像をきちんと出せるようになった)ができたと満足感を得たそうだ。

加えて、AIによる画像特徴量とベクトル近傍検索(NGT)による類似画像検索がYahoo!ショッピング、ブラウザアプリに採用されており、Yahoo! JAPANトップページでも類似画像検索が始まっている。

岩崎氏は現在も類似画像検索技術に携わっており、生涯の仕事となったが、「類似画像検索がここまで通用し、長く使えるものになるとは思っていなかった」と話す。

ヤフー(現LINEヤフー)に転職して感じた苦労とは

ところで、伝統的な日本企業からヤフー(現LINEヤフー)に転職して苦労はなかったのだろうか。

岩崎氏は「44歳という比較的高い年齢で転職し、企業文化が異なったため苦労しました」と当時を振り返る。ヤフー(現LINEヤフー)に転職する直前はプロジェクトリーダーを担当しており、プログラミングは数年やっていなかった。それが、プレーヤーである研究者として、再びソフトウェア開発からスタートすることになり、最初は苦労があったという。

また、前職は研究計画を立てるのが当たり前であり、1年以上のスパンで研究開発の計画を決めていた。しかし、当時のヤフー(現LINEヤフー)は3カ月でアウトプットを出し評価が行われており、時間軸がまったく異なっていた。しかし、「元は自由にやってきた人間なので、ヤフー(現LINEヤフー)のやり方に慣れていきました」と岩崎氏は語る。

企業文化としては、オフィスはパーティションがあり、静かでびっくりしたという。その裏には、コミュニケーションはYahoo!メッセンジャーで行われ、それで仕事が進んでいるという事情があった。そして、想像通り、若手が多かったが、「フラットな関係を築けてよかったです」と岩崎氏はいう。

面白いと思える仕事ができるように努力を

最後に、岩崎氏が長いエンジニア生活で心掛けてきたことをお伝えしたい。

1つ目は、面白いと思える仕事ができるように努力してきたことだ。これは若手へのアドバイスにもつながる。「仕事に費やす時間は膨大なので楽しい仕事をしたいものです」と岩崎氏。

2つ目は、社内へのアピールのために社外へアピールすることだ。「社内の技術は低く見られがちです。だからこそ、実用に近いデモを開発して、サービスへの導入のために技術の実用性を立証するのです。こうした活動により、社外における認知が上がります」と岩崎氏はいう。この背景には、開発した技術を形にしたいという岩崎氏の強い気持ちがあるように思う。

例えば、岩崎氏はベクトル検索エンジンをアピールするためにブログを書いたという。また、パテントの問題はあるがOSSにすることで、海外にもアピールできたそうだ。「GitHubに英語で公開したので、結果として、日本人も英語で書き込んでいました」と岩崎氏は語る。

岩崎氏は自分のやりたいことを貫くために、技術の開発に勤しむ傍ら、その技術の価値を認知してもらえるような活動も行ってきたというわけだ。どんなに素晴らしい技術も世の中に知ってもらえなければ、使ってもらえない。

研究者と聞くと、ひたすら研究開発に打ち込んでいるイメージがあるが、それだけでは実用化に結び付くとは限らないようだ。岩崎氏は現在、量子化により大規模データに対応する研究開発に取り組んでおり、同氏のエンジニア人生はまだまだ続く。