国立歴史民俗博物館では8月31日まで企画展「旅-江戸の旅から鉄道旅行へ-」を開催している。江戸時代の人々も旅を楽しんでいたさまがよくわかります

千葉県佐倉市には、壮大な規模を持つ国立歴史民俗博物館がある。ここは素晴らしい博物館で、一般の人にもわかりやすい展示や資料で、日本人の民俗世界という難しいテーマを容易に理解させてくれる。"民俗資料館"というものは、全国至るところに存在していて、「ああ、そういうところね」と否定的に思われる方も多いと思う。たしかに、ごくごく普通の民俗資料館には、家庭で使われていた家具、道具が雑然と並べてあったり、出土品の壷、石斧、鏃などがガラスケースにただ並んでいたりするだけだ。貴重な民俗資料なのだろうが、これらの羅列からは何も伝わってこない。

国立歴史民俗博物館は、資料や展示に「体系」が感じられるところが他の博物館と違う。たとえば、ある展示室では、日本の文化と生活を探るのに、貴族、武士、庶民など、それぞれの階層の立場から説明したり、別の展示室では、都市、農村、山村、漁村そして南島というそれぞれの生活空間を使って説明している。言い換えれば全体像が明らかにされており、その中で説明のストーリーがあるからわかりやすいのだ。

企業全体にとってみても、情報システムにとってみても、このような体系は必要である。特に企業を支える業務、情報システムの対象となる業務については必須と言える。

第1の理由は、システム化の対象が業務であるので、それを漏れなく、重複なく、粒度をそろえて把握できるからだ。ひとことで言うと、情報システムは「業務活動の機械化」である。したがって、情報システムを語ろうとすると、対象となる業務の体系が必須となる。たとえば、どこまでコンピュータが使われているか、どういう連携をしているかということを知るためには、体系化された業務を使って、全体像を把握することが必要だ。前回、エンタプライズアーキテクチャの話をしたが、業務体系はここでも必須の概念である。漏れなく、重複なく企業の業務が描けるということは、同じ用語で企業の全体像を描けるということであり、企業の業務改革の大事なフレームワークにもなる。

第2の理由は、業務を普遍的な体系として、論理構造で捉えることができるからだ。つまり業務体系は、会社の定款に書かれている生業(なりわい)が変わらない以上、大きく変わることがない。したがって、物理的な会社組織図を描くことと少し似ているが、それとはまったく異なる。たとえば入金確認という論理的業務は、金額によって経理部と営業部の2部署に分担して行っているとする。ここでは1つの論理的な業務に対して、2つの物理的組織が関与しているということになる。担当部署が経理部の一部と営業部が営業企画部に変わったとしても、論理的に捉えている業務はなんら変わりない。ここに業務体系の素晴らしさがある。

ところが業務を物理的組織で捉えてしまうと、部門間の宗教戦争に巻き込まれ、情報システムのコンセプト自体が曲がってしまうことも少なくない。組織の切り口だけで検討を進めると、部品在庫を管理するという論理業務は正しい、とわかっていても、「これは調達部がやるべきだ」「いや工務部がやるべきだ」という不毛な局地戦が、至るところで、しかも早い段階で発生する。社長から見るとどちらかがやれば良い話だが、当事者はそうもいかない。この宗教戦争の勃発をぎりぎりまで食い止めるのが、業務体系の論理構造の良さである。

3つ目の理由は、業務を体系化する際に、用語も定義されて揃っていくということである。企業で使われている用語は、体系の中できっちりと定義されていく。これで同じ話を同じ言葉で理解できることになるのだ。議論白熱の会議を行っても、言葉の明確な定義がされないまま議論しても不毛である。その定義のためにも、業務の体系化が前提となる。

実は仕事のバイブルであるはずの、業務体系がまったく意識されていない企業も少なくない。そういう企業は、会社規則を見るとすぐにわかる。規則が物理組織名で埋め尽くされていて、体系も組織名で区切られている。しかし、年を経るごとに組織改正によるメンテナンスが追いつかず、奇妙奇天烈な矛盾だらけの規則となってしまうのだ。業務改革においても、まずは論理的に業務を設計し、物理的などこの部門でそれを担うかを決めていくことになるはずだ。この体系がないままに、業務の改革はありえない。

情報システムも同じである。業務体系を意識することなく、物理的な部門の要望を言わば場当たり的に対応していくと、組織改正のたびに、業務やシステムの重複/欠落が発生し始める。これを補うために、人手でデータの再投入をしたり、整合性を取るための裏方で動くプログラムを作成したりする。こうしてさらに事態は複雑怪奇になる。それがイヤで、日夜、改善に明け暮れたとしても、根本が直っていないわけだから、先ほどの規則の例と同様に、さらに事態は深刻化する。

物理的なモノがそのまま並んでいる"民俗資料館"と同様、物理的な組織が乱雑に存在するだけの企業も、体系的に考え直さねばいつまでも気持ちが悪いまま、かもしれない。

企業活動と同じく、個人のスケジュールも"体系化"することなく、場当たり的に仕事を受け入れていると…周囲からは"いい人"と思われるかもしれないが、いつか(プライベートを含めて)破綻するときがくるかもしれない!?

(イラスト ひのみえ)