今回のテーマは、「前(昔)の方が良かった」という心無い発言と、それに対する対処についてである。

漫画家の「絵の変化」と「ファンの反応」

何年も漫画を描き続けていると絵も内容も変わってきてしまうもので、ファンの中にはその変化を良しとしない人もいる。「アンチは最大のファン」と言うが逆もまたしかりで、それまで好意的だった人が、手のひらを返したように批判的になることもある。 別の業界の例でいえば、好きなアイドルの熱愛が発覚した途端、山ほど買ったCDやDVDを木材粉砕機にかけて海に撒いてしまったりすることもある。好きだった分、「裏切られた」という気持ちが大きいのだろう。

自分の意にそぐわなくなったものは全て「劣化だ」だと言うのはいささか乱暴だと感じるが、変化に対して「前の方が良かった」と思うのは仕方ないし、自由である。

とは思っているものの、直接「前の方が良かった」と言われたりすると、正直なところ暴力で黙らせたくなる。非力な私でも、遠くから攻撃できる武器を入手すればイケるはずだ。吹き矢つきのドローンの登場を心待ちにしている。

しかし、法治国家の国民として、物理的な攻撃を行うのはあまり好ましいことではない。よって、暴力は抜きで、「前のほうが良かった」と言われた時のスマートな対処法を考えてみる。「前の方が(略)」と言われた作家は、くわえていた葉巻を灰皿に押し付け、「これが今のオレのベストだ。それに君がついて来られなかったと言うなら、残念だが仕方がない」と細い煙を吐きながら言い残し、マントを翻しながら読者に背を向け颯爽と去ることで、穏便に場を収めることができるだろう。これが、己の作品に自信とプライドを持った一般的な作家の態度である。

では、私が「前の方が(略)」と言われてどうするかというと、「今すぐ前の作風に戻すから、ファンを辞めないでくれ」と言う。実を言うと、「お前らに言われなくても、俺が一番前の方が良かったんじゃないかと思っている」のである。現に、数字の上でもデビュー作が一番売れているため、一刻も早く初期の作風に戻すべきだとさえ考えている。

しかし、はっきり言ってしまえば、作風というのは「前のものに戻そう」と思って戻せるものではないのである。アラフォー女が「ハタチのころの方が良かったから、ハタチに戻る」と言ったところで戻れないのと同じである。20代の頃の発想力を取り戻すのはもちろん無理だし、絵に関しても、当時の絵をマネして描いたとしても、場数を踏んだことで変に小手先の技術が上がってしまっているため、「デビュー作の劣化コピー」などという凄惨な評価を受けることになりかねない。

今思えば、初代担当の「絵は上手くならなくていい」というアドバイスは、かなり的を射ていた助言だったのかもしれない。だが内容はともかく、少なくとも絵は描いていくうちに変わっていってしまうものだ。急に絵を上手くすることはできないが、急に下手にすることもできない。わざと下手に描いても、読者には見透かされてしまうだろう。

そのため、わざとらしくなく、絵を当時のレベルに戻そうとしたら利き手を負傷するしかない。毎回ブレが出てはいけないので、連載中は常に一定のレベルで利き手を負傷する必要がある。軽すぎてもいけないし、勢い余って骨を折ったり、作家生命を絶ってしまったりしてもダメだ。

連載漫画が「迷走」する”しくみ”

しかし、昔に固執しても先がないというのも確かだ。デビュー時の方が売れていたと言っても、それは今が「極端に売れてない」からであり、それに比べれば「普通に売れてない」デビュー作の方がマシだった、というだけだ。

では、今のままではダメだと思った作家が何をするかというと、とりあえず今の作品には無い要素を取り入れようとするだろう。それは「美少女」だったり「イケメン」だったり、はたまた「パンチラ」だったりするが、こうした行いこそが、既存読者に「前の方が良かった」と言われてしまう一番の原因なのだ。

何せ作家も試行錯誤の段階であるから、要素の追加が正しい判断だったのかは分からない。そこで読者に「前の方が良かった」と言われてしまったら、「やっぱそうっスよね、自分もそう思ってました!」と、慌てて前に戻そうとしてしまったりする。だが、その時点ですでに「美少女」や「イケメン」、「パンチラ」は作中に登場してしまっているため、そこからまた前に戻そうとすると、まさに「迷走」という言葉がぴったりな惨状になってしまうのだ。やはり商業漫画というのは人気商売なので、「読者の意見は気にせず、自分の信じる物を描く」というのは、余程の自信と鉄の意志がなければ不可能なのである。

では、変に新しいことに挑戦などせず、同じ物をずっと描きつづけていれば問題なかったのかと言うと、それはそれで、絶対に「飽きた」と言う人間が出てくるのだ。漫画家でも芸能人でも、人気商売で世に出ている以上、ガタガタ言われる運命なのである。全くガタガタ言われなかったら、誰もそいつのことを知らないだけだ。

なので、「前のほうが良かった」という感想に限らず、作風について何か言われた時の対処法は「とにかく落ち着く」ことである。まず仕事場の窓を開け、シーブリーズを裸の胸にパーンと一発叩きつけ、ここは六本木ヒルズの最上階で、自分はIT企業の若き社長だと思うようにしている。IT企業の社長はシーブリーズを使わないかもしれないが、それだけクールになれということだ。

確かに「前の方が良かった」と思っている人はいるだろうが、その意見一つで読者全員がそう思っていると思いこんでしまったり、焦るあまり描きかけの原稿に意味のないパンチラを入れてしまったりしてはいけない、ということである。

逆に、読者は悪意がなくても「前の方が良かった」と作家に言わない方が良い。私のように病み気味の作家の場合、勢いあまって利き腕を負傷しに手近な車道に飛び出したり、あるいは吹き矢付きドローンを読者めがけて発進させたりするからだ。

カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中、9月18日よりWeb連載漫画「ヤリへん」を公開開始。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は10月20日(火)昼掲載予定です。