スマートフォンを、命を守る救急医療に活用している病院がある。千葉県印西市にある日本医科大学千葉北総病院だ。スマートフォンと映像配信を組み合わせて救命率を向上させようという同病院救命救急センターの取り組みについて、同センターの医師 本村 友一氏に話を聞いた。
現場の医師から病院へ映像を配信
千葉北総病院は、千葉県の災害拠点病院であり、北総地域の基幹救急医療施設としての役割を担う総合病院だ。2001年10月には、全国の病院に先駆けてドクターヘリを正式導入。これにより、重篤患者を中心に早期の初期治療・搬送を実現している。
ドクターヘリは救急車と比較して、交通事情に左右されることなく早期に医師が救急患者の元へ駆けつけられる。一般的には、救急車が患者を乗せて病院に搬送するが、救急医療の現場では、救急車搬送では間に合わない重篤な患者がいる。ドクターヘリには医師が同乗しているため、患者接触後、すぐに治療を開始できるメリットがある。
これまでにもドクターカーなどの医師派遣システムは存在しており、同様に現地で治療を開始することはできたが、「直線距離を時速200kmで飛ぶため、圧倒的にヘリコプターが速い」(本村氏)。これによって医師が早期に患者に接触できるようになり、救命率が高まるという。
そのドクターヘリの活動を行う救命救急センターで導入されたのが、NTTドコモによるスマートフォンを使った「現場モバイル映像伝送システム」。これによって現場の医師が撮影したスマートフォンの映像がリアルタイムに病院に送られ、早期に治療準備などが可能になったという。
これまでの救命医療の課題
ドクターヘリでは、患者に近い野球場や公園といったキャパシティの大きい指定した場所に着陸して、救急車が搬送した患者の所見をとる。そして患者をヘリに乗せ、千葉北総病院や、所見によっては別の病院に搬送する。「怪我や発症から治療を始めるまでの時間を短縮し、救命率を向上させるために最も重要なことは、いかに正確な情報を病院へ伝えるか」(同氏)という点だ。
病院では、搬送される患者の容態に応じて専門医師の手配や医療器具の準備が必要になる。手術が必要なのか、早期に救命措置が必要なのかといった判断が必要で、患者の到着前にその情報が伝わっていると、治療開始までの時間が大幅に短縮できる。
この「正確な情報伝達」について、従来はヘリでの搬送中に医療無線で行っていた。しかし、ヘリに搭載している無線機は運航上のやりとりにも使われるため、常時利用するわけにはいかない。「せいぜい1分程度」(同氏)の時間で必要な情報を伝達しなければならず、さらに一方通行の音声だけの無線通信では、細かなニュアンスを伝えるのが難しかったという。
そうした状況下で、本村氏は「なるべく早く、客観性がある情報を送りたい」という要望と、「救急医療に携わる医師の教育にも活用できるように記録を残したい」という希望があり、ITを活用した取り組みを開始した。
当初は、Skypeのようなビデオ通話システムをテストしていたが、医療の現場ではセキュリティ・プライバシーの面からも運用が難しく、病院としての要望を伝えやすいような「顔の見える関係」(同氏)の相手を探していたという。
その後、他キャリアと共同でシステムのトライアルを行って学会で発表した本村氏だが、そこでドコモ関係者と知り合うことになった。ドコモの提供するシステムが本村氏らの要望に近く、それをドクターヘリの現場に即した形にカスタマイズして導入したのだという。
導入にあたっては比較試験を行い、特に「"つながる率"で差が出た」(同氏)。音声と動画の送受信において、ドコモは90%程度の接続に成功。もう一方は7割程度だったということで、ドコモを採用するにいたった。「接続率は、最近はもっと高まっていて95%程度になっている」(同氏)そうだ。なお、千葉県内でドクターヘリが着陸できるポイントは約1200カ所存在し、どの場所も接続には問題がないという。
システム導入の効果は大きい。従来の無線では、到着5分前に届けられていた患者の情報が「19分前」に短縮。救急医療の現場では「全然違う」(同氏)というほどの速さになった。同病院では、2013年6月から試験導入を開始し、半年間の試験運用に続いて本導入にいたった。
現場モバイル映像伝送システムで問題を解決
千葉北総病院に導入されたのは、ドクターヘリに同乗する医師の胸ポケットに収められたスマートフォンと、映像配信アプリ、映像受信用の病院側装置。スマートフォンにはクリップ付きのケースが装着されており、胸ポケットに入れると、ちょうどポケットから背面カメラが覗く位置に収められる。
朝の段階でこれを装着した医師は、細やかな操作を気にすることなく医療活動に従事し、ドクターヘリの要請があると病院を飛び出してヘリで現場に急行できる。ヘリが到着すると、パイロットが病院内の運航管理室に連絡。そこで、管理室に待機していた別の医師が、携帯電話のSMSやタブレット端末の専用アプリを使って医師のスマートフォンにメッセージを送信する。すると、出動現場にいる医師のスマートフォンのカメラが起動し、撮影を開始。そのまま携帯ネットワークを通じて病院に映像が配信される、という仕組みだ。
受信側には専用ソフトウェアが導入されており、最大で9画面の映像表示(=9台のスマートフォンと連携)ができるほか、1画面を最大化して表示することもできる。映像はすべて保存されているので、保存された映像を視聴することも可能だ。
現場の医師にとっては、スマートフォンを触らなくても映像が配信できる。この点が最も重要だと本村氏は強調する。
現場に到着した医師は、患者のことで頭がいっぱいで、スマートフォンを操作する余裕がない。スマートフォンを取りだしてロックを解除してアプリを立ち上げて……という操作は、早期からの情報通信が特に重要となる重症患者の対応時ほど難しい。
「逆に言うと、その余裕がある症例ではこのシステムがいらない」と本村氏。実際の所、このシステムが本当に必要になるのは「20例に1例、多くて10例に1例ぐらい」(同氏)。しかし、そういう緊急の時こそ、現場の医師にはスマートフォンを操作する余裕がなくなるが、このシステムが必要な時なのだという。
そのため、医師の操作を1つでも減らそうと追求した結果が、今回のシステムだ。起動と撮影は、病院側からの指令で自動的に行われるため、医師はこのシステムのことを忘れていても、自動的に撮影されている。撮影された映像は、運航管理室の他、治療室や医局など複数の場所で閲覧できる。現場の医師は、撮影する意志を持って撮影しているわけではないので、映像自体はめまぐるしく動き、常に患者を映しているというわけでもない。
しかし、それを閲覧する医師にとっては、現場の医師らの声、そして時々で映る患者の状態を見れば、現場で何が行われ、どういった処置が必要か、といったことが分かるのだという。現場では、心電図モニターなども使って患者の状態を確認し、その数値は、カメラを通して病院にも伝えることができる。
現場からの音声も常に病院側に送られており、病院から話しかける双方向のやりとりも可能。通常、現場への指示などは行わないというが、病院側から現場に対して、重複した救急救命の要請が入っているといった情報提供は行われ、そうしたリアルタイムのやりとりが可能な点も大きなメリットだという。
携帯回線はドコモのXiを使っており、高画質ではないが状況は伝わる。「細かい診断をしようとしているわけではない」(同氏)という点で、画質に関して本村氏は十分と判断している。遅延が発生したり映像が固まったりすることもあるが、「(救命のためという)第一の目標を達成するという意味では問題ない」との評価だ。
接続率は9割を超えるが、それでもまれに映像が送られない場合もあり、同じ場所でも映るときも映らないときもあるそうだが、「原因はよく分からない」(同氏)。携帯回線のため、電波が悪い場合は繋がらないこともあるが、頻繁にあるわけでもなく、管理室から繰り返しSMSで起動を試みるなどの対応も行う。
映像はリアルタイムで閲覧できるとともに、データとしても保存されているので、学会での発表や新人医師などの研修にも活用されているそうだ。当初の目的である、「病院側で情報を吸い出して準備をして、措置までの時間を短縮する」という点に関して、今回のシステムは「十分な役割を果たしていて合格点」と本村氏。
こうして初期治療と同時に、病院側には必要な情報が具体的に伝わる。それを踏まえて病院側で準備を進めることができるようになったため、効果は大きいと本村氏は言う。支給されているスマートフォンは、トライアルの時はGALAXY S III αだったが、現在はビジネススマートフォンを使用。端末の変更でバッテリ駆動時間が延びて防水機能が追加されたほか、ソフトウェアの改良でバッテリのもちがさらに向上したという。
ドクターヘリが稼働するのは朝8時30分から日没までで、その後は同様に医師を乗せたドクターカー(ラピッドカー)が23時まで出動するが、この間、充電をしなくても乗り切れるようになったそうだ。
装着場所も、Bluetooth接続の耳かけタイプのカメラも検討したが、ヘリではヘルメットやシートベルトを装着するため、結局胸ポケットに収めるのが一番使い勝手がよかったという。その反面、カメラのアングルが胸の位置で固定されるため、もう少し広角レンズが欲しい、という要望はあるという。ただ、具体的な要望はそれぐらいで、「バッテリがもつ」「複数の場所で映像が見られる」といった要望は順次改善している。
これまでも、救急医療の現場では、心電図を伝送する、救急車に固定カメラを設置する、PCで映像を送る、といったシステムが検討されてきたが、「いずれも現場活動に即していない」と本村氏。費用も高価で、研究費で試験導入しても、その後本導入されないという事例もあったという。
今回のスマートフォンを使ったシステムは、導入費用もこれまでのシステムの「5分の1~6分の1」(同氏)になり、ランニングコストも低廉化を果たした。現場の医師にとっても持ち運びに苦労せず、操作の手間もかからない。かつては携帯電話のテレビ電話機能もあったが、ドクターヘリが全国で本格導入されたのはここ数年で、こうしたシステムのニーズが高まっているときに、スマートフォンを活用したシステムが登場したのだという。
同病院のある印西市では現在7台の救急車が配備されているが、今回のシステムを試験的に導入し、救急隊員にもスマートフォンを持たせた。重篤な患者を同病院に搬送するときは、要請があった段階で病院側から隊員のスマートフォンを起動して映像送信を開始するようにした。病院側はすぐに患者の状態を確認できるとともに、救急隊が措置を医師に相談できるようにもなり、効果は現れているという。救急隊員と医師へのアンケートでは、「システムは効果的だ」とした回答が約8割に達したそうだ。
今後、本村氏はシステム導入の効果を具体的に取りまとめて学会に発表していきたい考え。具体的な数字の出しにくい分野ではあるが、さまざまな観点から分析しているという。また、ヘリ到着時に、地上の救急隊員が着陸の安全確保に出てこない場合があっても、このシステムを救急隊員も持っていれば、ヘリ側に病院から状況を伝えるといったこともでき「副産物がいろいろある」としている。
こうした取り組みは、ドクターヘリを所有するほかの病院から注目を集めており、新たに2病院が導入を決めたほか、問い合わせも増えていると本村氏はその成果を語っていた。