その昔、とある航空機事故のせいで「逆噴射」が流行語になったことがあった。それはそれとして、逆噴射に限らずジェット・エンジンの推力の向きを変える話はいろいろ出てくるので、今回は、その辺の話題をまとめてみた。

ちなみに、プロペラを使用する場合にはどうするかというと、エンジンごと向きを変えてしまうという大技がある。V-22オスプレイがそれである。

逆噴射装置

まず、最もポピュラーな逆噴射装置の話から。英語ではスラスト・リバーサという。推力(スラスト)を逆方向に向ける(リバース)ためのメカなので、こういう名前がついている。

ジェット・エンジンはナセルと呼ばれる覆いの中に収まっており、通常は真後ろに向けて燃焼ガスを吹き出している。だから、その反動で飛行機は前に進む。ということは、燃焼ガスを吹き出す向きを逆にすれば、逆方向の推力を発生させることができる。

旅客機に乗っていると、着陸した直後にエンジンの音が大きくなることがある。スピードを落とさなければならないのに音が大きくなる(=推力を増している)のはなぜかというと、逆噴射を作動させているからだ。

今の旅客機は高バイパス比のターボファン・エンジンを使うのが普通だから、逆噴射の主役は中心部のジェット・エンジンではなく、その周囲を取り巻くファンのほうである。バイパス比が大きいので、ファン部分だけ推力を逆方向に発生させれば事足りる。

実際にどうやるかというと、ナセルの途中の部分から後ろを、後方にスライドできるようにしている。そして、ナセルをスライドさせた時に、後方の排気口はふさいでしまう。ナセルを後ろにスライドさせると、その前方の固定部との間に隙間ができるが、そこにガイドベーンを設けて、空気の流れを前方(正確には斜め前方か)に向けるようにしている。

では、実際にスラスト・リバーサを作動させている様子を御覧いただこう。機体はボーイング787だ。

着陸直後にスラスト・リバーサを作動させたボーイング787。ナセルの後方を後ろにスライドさせているので、排気が吹き出すための隙間が側面に現れている

これだけではよく分からないから、スラスト・リバーサを作動させていない状態の写真も。

ボーイング787のアップ。これはランプアウトするところだから当然、スラスト・リバーサは作動させていない。上の写真と比較してみよう

低バイパス比のターボファン・エンジンやターボジェット・エンジンでは、排気ノズルの後方に上下から板をせり出させてふさいでしまい、推力を前向きに偏向させる方法を使う。バイパス比が低いと、ジェット部の推力を偏向させないと十分なブレーキにならない。

垂直離着陸のための推力偏向(1)

スラスト・リバーサは、着陸時に早く速度を落として、着陸滑走距離を短くするためのものだ。さらに着陸滑走距離を短くしようとすると、行き着く先は垂直着陸となる。

滑走する通常型の飛行機なら、滑走によって速度を得ることで主翼が揚力を発生してくれるが、垂直離着陸では水平方向の速度はゼロだから、主翼は揚力を発生してくれない。垂直離着陸を行う場合、機体の重量を上回る推力を下方向に向けて発生させる必要がある。機体の重量は、すべてエンジンで支えないといけないからだ。

垂直離着陸ができるジェット機というと、ホーカー・シドレー社(後にブリティッシュ・エアロスペースを経てBAEシステムズ)が開発したハリアーの一族が有名だ。この機体は胴体内にターボファン・エンジンを1基内蔵しているが、排気ノズルは通常のように胴体後部に設けるのではなく、側面に突き出ている。しかも後方向きから下向きまで、連続的に向きを変えられるようになっている。

排気ノズルを下に向けた状態のAV-8BハリアーⅡ。胴体側面で、排気ノズルが下を向いている様子が見て取れる Photo:US Navy

ハリアーのエンジンを整備している様子。左右に2基ずつの排気ノズルが突き出た様子は、なにやら「手足をもがれた人体模型」のようでもある Photo:US Navy

垂直離着陸の時は、排気ノズルを下に向けて機体を支える。そのため、排気ノズルが発生する推力(浮揚力)の中心と、機体の重心位置が一致する設計になっている。これが一致していないと、中心線が重心より前なら「頭上げ」になってしまうし、重心より後ろなら「頭下げ」になってしまって具合が悪い。

また、細かい姿勢を調整するため、エンジン抽気を機体の端から吹き出す仕組みも用意している。例えば、左右の翼端から抽気を吹き出せば、左右の微妙なバランスを調整できる。前後端についても同様。

推力偏向ノズルの向きや抽気の調整により、意図的に機種を上げたり下げたりすることもできる。確か1991年に行われた厚木基地の一般公開だったと思うが、米海兵隊のハリアーが「お辞儀」をして見せたことがある。ただ、ハリアーの垂直離着陸はとんでもなくうるさい。

なお、滑走による離着陸や水平飛行では、排気ノズルは後方に向けておく。間を取って斜め下に向けることもできて、短距離滑走で離陸する時はその手を使う。推進力と浮揚力の両方が必要になるからだ。

垂直離着陸のための推力偏向(2)

そのハリアーの後継機として開発が進んでいるのがF-35ライトニングⅡだが、エンジン周りの構造はハリアーとはまるで異なる。通常のジェット戦闘機と同様にエンジンは尾部に付いており、その先の排気ノズルは下向きにできる。

ところが、それだけだと機首の方を支える力がないので、つんのめってしまう。そこで、コックピット直後にリフトファンを設けている。これはエンジンから伸ばしてきた駆動軸で回るファンで、排気は下方向に向けて吹き出す。それを使って機体の前方を支えている。

F-35Bの推進系統はこうなっている。後部の排気ノズルは常時使用しており、推力偏向。前部のリフトファンは、普段はクラッチで駆動軸を切り離してあり、短距離離陸や垂直着陸のときだけ使用する Photo:DoD

垂直着陸モードに入ったF-35B。エンジンの排気ノズルが下を向いているだけでなく、前方でも胴体下面の扉が開いて、リフトファンの排気を吹き出せるようになっている様子が分かる Photo:DoD

面白いのは排気ノズルの向きを変える仕組みで、円筒形の排気管の途中を2カ所、斜めに削ぎ切ったような形になっている。そこにベアリングを挟んで回転できるようにしており、結果として排気管が真下を向く。ちなみにこのメカニズムは、もともと旧ソ連で考案されたもので、それを冷戦崩壊後にアメリカが導入した。

こうすることで、普通の戦闘機と同様にアフターバーナー付きのターボファン・エンジンを胴体後部に搭載できるようになり、超音速飛行と垂直着陸を両立させることができた。

なお、F-35Bはハリアーと違って、垂直離陸はやらない(できない)。垂直に行えるのは着陸だけだ。垂直離着陸はVTOL(Vertical Take-Off and Landing)というが、F-35Bみたいな形態は短距離離陸・垂直着陸(STOVL : Short Take-Off/Vertical Landing)という。

離陸時の方が燃料や兵装を積んでいる分だけ機体が重いから、それを支えるだけの浮揚力を発揮させるのは難しい。実現できたとしても、今度は実用的な量の燃料や兵装を積めない。そこで垂直離陸はやらないことにして、短距離離陸・垂直着陸という形を取った。実はハリアーも、通常のオペレーションではそうやっている。