変化の激しい現代において、未来を予測することはますます困難になっている。そんななか、イノベーションを起こせる企業とはどのような組織なのか。

3月23日~24日に開催された「TECH+データ×イノベーション エキスポ 2026 Mar. データ駆動型組織を定着させるために、活用のその先へ」に、武蔵野大学 アントレプレナーシップ学部 学部長の伊藤羊一氏が登壇。自らのキャリアや人材育成の経験を基に、イノベーションを生み出すアプローチについて語った。

なぜテクノロジーだけではイノベーションは生まれないのか

伊藤氏はMusashino Valley代表として活動するほか、オンラインコミュニティ「FLAGS」を主宰する人物だ。代表作『1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術』(発行:SBクリエイティブ)は71万部超のベストセラーとして知られる。

今回の講演テーマは、「組織でイノベーションのタネを拓くには - 個を活かし、チームを動かすコミュニケーション」というものだ。ただ、組織や個人の話の前に同氏が触れたのが、そもそも社会全体の大きな流れについてだった。

伊藤氏が示したのは、1900年と1913年のニューヨーク・マンハッタンを写した写真だ。たった13年で、ニューヨークを走る乗り物は馬車から自動車に様変わりしており、大きな転換があったことが分かる。

  • 1900年と1913年のニューヨークの様子の違い

    1900年と1913年のニューヨークの様子の違い

続いて、2005年と2013年のバチカンの写真も比較した。2005年には人々がローマ教皇を見つめているのに対し、2013年の写真では、多くの人がスマートフォンを手にローマ教皇を撮影している。

  • 2005年と2013年のバチカンの様子の違い

    2005年と2013年のバチカンの様子の違い

同氏はiPhone(2007年発売)とiPad(2010年発売)、そしてTwitter(現X)やInstagramといったSNSの普及により、人々の行動が8年間で劇的に変化したことを説明した。

さらに、より最近の大きな変化として伊藤氏が挙げたのが、2020年の新型コロナウイルス流行に伴うパンデミックだ。

「当時、立教大学の先生からオンライン授業に関する相談を受け、TwitterとFacebookで協力者を募集。30人が集まり、わずか5日間の準備で全国の大学教員向けオンラインカンファレンスを実施しました。Peatixでは300席のチケットが30分で完売し、その後NECネッツエスアイの協力で1,000人規模に拡大できたんです。使ったテクノロジーは、Zoom、Facebook、Twitter、Peatixのみ。それで確信しました。テクノロジーは大事だけども、もっと大事なのはそれを使う人間の想いなのです」(伊藤氏)

なぜ1995年が転換点だったのか、日本が成長を逃した理由

そんな伊藤氏が見据える次のトレンドは「AI」、そして「インターネットがスクリーンの外へ出て全てのものとつながる」ことだという。例えば、空調やデスク、ドアといったものがインターネットに接続する時代が来るのだという。

以前は「IoT(Internet of Things)」といった言葉で説明されていたテクノロジーだが、それがさらに進んで「Internet of Everythingへ広がっていく」と同氏は説明する。

「全てのものがインターネットにつながり、そこにAIが乗ってくると、いわゆる“ドラえもんの世界”が実現するわけです。そんな時代に、過去の常識ややり方は通用しません。自分たちで自由に問いを立て、仕事をつくっていく必要があります。そんなことができる組織やチームが求められていくでしょう」(伊藤氏)

一方で、解決すべき課題もある。伊藤氏は名目GDP推移グラフを用いて、日本、米国、中国の経済成長を比較した。

それによると、1995年ごろまで日本は米国に近い軌道で成長し、名目GDPは米国の約7割に達していた。だが、1995年を境に日本の成長は停滞。その後の“失われた30年”につながったのだ。

「1995年はWindows95発売の年であり、インターネット民主化元年です。米国では、AmazonやTwitter、Airbnbなどのテックジャイアントが誕生しましたが、日本はそうしたイノベーションを起こせなかった。だから成長できなかったのです」(伊藤氏)

  • 名目GDPの推移(1980~2024年)

    名目GDPの推移(1980~2024年)

日本と米国のテック企業では規模が違いすぎるから仕方ないと考えるかもしれないが、同氏は「それは違う」と指摘する。

例えば、Amazonは「Walmartは遠いから商品を届けてほしい」という想いから生まれ、Twitterは「140字で世界中と情報交換したい」という想いから誕生した。いわば、「個人が抱いた妄想を、テクノロジーを使ってかたちにした」のがテックジャイアントの本質なのである。

イノベーション人材に必要な「Lead the Self」とは何か

さらに、伊藤氏は同時期に社会構造が変化したと続ける。1995年以前は、改善を繰り返して「正解」をすばやく導き出し、大量にものづくりすることが求められていた。いわば「縦の社会」だったわけだ。

一方、1995年以降はものづくりから「サービスづくり」へ、改善よりも「創造と変革」、大量生産よりも「意味」が重要になってきた。言うなれば、「横の社会」へ変化してきたのだ。

こうした時代の変化に合わせて、求められるマネジメントも変わりつつある。

上意下達のヒエラルキーではなく、対話と議論の場をつくり、フラットな関係性で多様性を尊重する考え方が大切なのだ。

そこで伊藤氏が掲げるキーワードが「Lead the Self(自らを導く)」である。同氏曰く、これは「滝に打たれるような精神論ではなく、“汝自身を知る”こと」だという。

現在の自分を知るために重要なのは、それまでの過去を振り返ること。そこで伊藤氏が推奨するのが、ライフラインチャートの作成だ。横軸を年齢に置き、縦軸をテンションやモチベーション、メンタルの状態に置く。こうして人生の浮き沈みを可視化することで、自分が何を大事にしてきたかを理解できるのである。

伊藤氏自身のライフラインチャートは特徴的だ。特に25~26歳ごろ、同氏は深刻なメンタル不調に陥っていた。銀行に就職したものの、研修で落第点を出し、飲酒や自堕落な生活を繰り返して会社にも行けない状態になっていたという。

「そんななか、とあるマンション会社さんの融資案件がうまくいって回復できたんです。上司も仲間もサポートしてくれました。完成したマンションから出てくる家族の笑顔を見たときは思わず涙が出ました」(伊藤氏)

この体験を通じて同氏が気付いたのは、「人の笑顔に貢献することが自分のモチベーションの源泉」だということだった。

以後、伊藤氏はこの信念に基づいて仕事をするようになったそうだ。

伊藤氏の強い想いが表れたのが、2011年の東日本大震災の復興支援だ。当時、オフィス用品メーカーのプラスで物流復旧リーダーとして活動していた同氏は、何よりも東北を最優先してサポートを継続した。その結果、他社より1~2週間早く東北の物流ネットワークを回復させることができ、2年後には新たな物流センターの建設や、売上増、雇用創出にもつながったという。

「この経験で気付いたのは、リーダーの仕事は“決めること”だということです。決めるといっても多数決ではありません。リーダーが自分自身の信念や使命感や譲れない想いで決めるのです」(伊藤氏)

  • 伊藤羊一氏のライフラインチャート

    伊藤羊一氏のライフラインチャート

なぜ「夢を語る組織」はイノベーションを生むのか

そんな伊藤氏の想いに基づいて設立されたのが、武蔵野大学 アントレプレナーシップ学部である。

実践中心のカリキュラムで、現役実務家が教員を務め、1年次は全員が寮生活で共に学ぶという特徴がある。設立にあたっては、4カ月という短期間での申請書類の作成、教員の確保、カリキュラム設計、学生募集、寮管理など多くの困難があった。さらに、設立後も学生の問題行動や教員の入れ替わり、予算の問題、保護者からの連絡対応など課題は尽きない。ただ、そうした困難も全て、「譲れない想いがあれば乗り越えられる」(伊藤氏)のだという。

学部で実践している学習方法は、「刺激を受ける」「気付く」「やってみる」という3つのステップで構成されるサイクルだ。そのうえで、気付きを深めるために、自分の頭で考え、みんなで話し合うことが重視されている。このサイクルを繰り返すことで、イノベーションを生み出すための思考が育まれていくのだ。

伊藤氏は職場でのコミュニケーションについて、業務報告だけでなく、「夢を話す」ことの重要性を強調する。

「『こんなのが欲しい』、『あんなのがあったらいいな』という夢を話すところから、『それいいね』『やろうぜ』『どうやってやろうか』という議論が生まれて、イノベーションにつながります。夢がないと、現在の延長線上の未来しか生まれませんが、夢を描くことで新しい未来と行動の変化が生まれるのです」(伊藤氏)

同氏はイノベーションの原点として、スティーブ・ジョブズ氏の「心と直感に従う勇気を持つこと。それ以外は二の次だ」という言葉を引用しながら、「個人が夢を抱く」「夢をみんなで共有する」「個人の夢を笑わない文化をつくる」の3つ以外はすべて二の次であると強調。

また、アラン・ケイ氏の「未来を予測する最良の方法はそれを発明することだ」という言葉も紹介し、一人ではなくチームで挑むことの重要性を示し、講演を締めくくった。