「デジタル化を徹底すればするほど、人の力が必要になる」——。三菱マテリアル CIO(最高情報責任者)の板野則弘氏は、そう断言する。3月4日に開催された「TECH+セミナー 情シスの業務改革 2026 Mar. for Leaders ITリーダーのための突破口 複雑化するIT環境に挑む、情シスの実践ロードマップ」において板野氏は、同社のDX推進の取り組みや、生成AI時代におけるIT戦略の展望を語った。
製造業としてのDXを再定義 - MMDX 2.0への進化
三菱マテリアルは、「人と社会と地球のために、循環をデザインし、持続可能な社会を実現する」という目指す姿を掲げ、金属、銅加工、電子材料、再生可能エネルギーなどの事業を通じて社会に貢献する非鉄金属メーカーである。創業150年以上の歴史を持つ同社だが、近年は「循環をデザインする」というビジョンの下、デジタル技術を活用した変革に力を入れている。
同社のDXは2020年に「MMDX(三菱マテリアル・デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション)」としてスタートした。板野氏は2021年に入社し、事業系テーマが中心だった活動を、製造業としてのDXという観点で再整理し、MMDX 2.0へとバージョンアップ。「事業系」「ものづくり系」「研究開発」の3本柱を立て、実行体制を強化するとともに、ボトムアップ活動の活性化を重点施策とした。
具体的な成果として板野氏が紹介したのが、廃電子基板などのE-Scrap取引プラットフォーム「MEX(Mitsubishi Materials E-Scrap Exchange)」だ。世界中から回収される廃電子基板には金やレアメタルなどの有価金属が含まれており、精錬前にサンプリング分析で含有量を確定する必要がある。従来は電話やFAXで行っていた取引先とのやり取りをWeb上のプラットフォームに置き換え、出荷予約から進捗管理、分析結果の通知までを一元化した。
もう1つの事例は、切削工具の選定を支援するプラットフォーム「Tool Assistant」である。加工形状に応じた最適な工具と加工方法を、熟練工のノウハウを反映したかたちで提案するサービスで、「多くのお客さまに利用いただいている」と板野氏は話す。これらの取り組みが評価され、同社は3年連続でDX銘柄の注目企業に選出されている。
トップダウンとボトムアップ、両輪で回す三菱マテリアルのDX推進
板野氏はIT戦略の基本方針として、「ガバナンス」と「シナジー」の2つを掲げる。「トップダウンでガバナンスを利かせるのは当然だが、その施策が現場まで行き渡り、従業員1人1人が納得しているかというシナジーの部分が意外と落ちやすい。それがない施策は長続きしない」と指摘する。
トップダウンアプローチでは、当事者意識の醸成が鍵だという。初期ステージでは有識者やエース人材でスペシャルチームを組成するが、最終的に成果を出すのは現場のユーザーである。F/S(フィージビリティスタディ)のフェーズで、リスク低減だけでなく、現場が「自分たちのテーマだ」と感じるマインドチェンジを起こすことが重要だと板野氏は強調した。
一方のボトムアップアプローチでは、「DXチャレンジ制度」を設けている。やる気のある従業員が力を発揮するために必要なのは、「予算」「セルフラーニングの仕組み」「専門家の伴走」「DXツールなどの環境」の4つだと同氏は説明する。
ただし、現場では新しい取り組みに対する周囲の反発も生じる。「忙しいのになぜあの人だけ自分のやりたいことをやらせてもらえるのか」という妬みの声が上がることもある。そこで重要なのがマネジメントの関与だ。工場長や事業部長がその取り組みの意義を言葉にして伝えることで、周囲の理解と協力が得られるようになる。
さらに、孤立しがちな推進者を支える仕組みとして、500人超のコミュニティを構築した。「ボトムアップは現場が勝手にやることだと思っている人が多いが、ボトムアップこそマネジメントがきちんと仕組みをつくってあげないとうまく動かない」と板野氏は語る。
DXの本質は、“気付きの種”と人の創造性
板野氏がDXの本質として提示したのが、デジタル化の推進と可視化された“気付きの種”に対する1人1人の創造性の発揮という考え方だ。
デジタル化により見えなかったものが可視化されると、人の“気付く”という能力が働き、新たなアクションにつながる。そして、この「1人1人」はIT人材やデータサイエンティストに限らない。「誰が気付くかは分からない。IT担当ではない人が気付くケースのほうがむしろ多いのでは」と板野氏は指摘する。
その考えを裏付ける事例として同氏は、日本酒「獰祭」で知られる旭酒造と、あるスーパーマーケットの事例を紹介した。
旭酒造では徹底的なデジタル化を進めているにもかかわらず、製造スタッフ数は同規模の酒造メーカーの倍になっている。「デジタル化を進めるとデータによって細部まで見えるようになり、人が対処すべきところが見えてくる」という同社 会長の言葉を板野氏は引用した。
スーパーマーケットの事例では、AIベースの自動発注システムで商品の約9割が自動化された一方、残りの8%はパートスタッフの勘と情報がベースになっている。そしてわずか2%の「人の意思で発注する」部分が、売上の2割・利益の3割に関与しているという。
「『これを売りたい』という店員の熱意や工夫が込められた2%が、売上の2割、利益の3割を生み出しています。デジタル化が進めば進むほど、効率化された時間を使って人間が何を考え、何をしたいかを追求することが、ビジネスの差別化につながるのです」(板野氏)
「ITコスト破壊」とベンダーとの新しい関係
最後に板野氏は、生成AIがもたらすIT業界へのインパクトとして「ITコスト破壊」という刺激的なキーワードを提示した。生成AIを活用すれば、システム開発や運用のコストを劇的に下げられる可能性があるためだ。ただし、これはITベンダーの売上減を意味するわけではない。
「2030年には約79万人のIT人材が不足すると言われています。コストと工数を下げることができれば、これまでリソース不足で断らざるを得なかった案件も受託できるようになり、結果として案件総数は増え、業界全体の売上も維持・拡大できるはずです」(板野氏)
さらに、これからの事業会社とITパートナーの関係性についても提言を行った。
「日本の企業のグローバル競争力を高めるためには、事業会社と外部パートナーが発注者と受注者の関係であってはなりません。共に戦う“戦友”としての対等な関係を築くべきです。日本の現場力・技術力は世界でもトップレベルです。この優秀な人材と最新のデジタル技術を組み合わせることこそが、これからの日本の勝ち筋になると信じています」(板野氏)


