BNPパリバ証券チーフエコノミスト・河野 龍太郎が解説【 世界秩序の動揺の根源 】

2026年は米軍のベネズエラ急襲で幕を開けた。トランプ政権は25年12月に公表した国家安全保障戦略で、西半球を重視するモンロー主義への回帰を宣言していた。西半球重視は、米国に地理的に隣接する同地域からの大量の移民と違法薬物の流入が国益を損なうと考えると同時に、自らの勢力圏への中国やロシアの介入を防ぐことも目的だ。

 筆者が昨年から懸念していた通り、米国は覇権から降り、第二次大戦以前の伝統に戻ったのだ。反グローバル化の流れも続くのだろう。

 冷戦が終結した1990年前後に「国境の壁」が低くなると、ヒト、モノ、カネが自由に世界を行き来し、大きな一つの自由市場が生まれ、民主主義という共通の価値観が広がって、世界経済は繫栄するという理想が語られていた。

 結局、大きなメリットを受けたのは、高い教育を受けて高いスキルを持ち、国境を自由に行き来する一部のエリートだ。先進国でも庶民は同じ場所に留まり、製造業の衰退などで、中間的な賃金の仕事が失われた。高い賃金の仕事と低い賃金の仕事への二極化が進み、地域社会が疲弊すると共に、中間層の瓦解によって、リベラルな国際秩序やグローバル化を重視する中道派の政治勢力は退潮した。グローバル化の推進役だった米国の社会そのものがグローバル化によって蝕まれていた。

 米国が内向きになるだけでなく、自由化に舵を切ったはずの新興国でも権威主義化する国が増えている。それは冷戦終結後、米国が推進した市場万能主義の新自由主義的政策が、新興国でも既存の社会契約を損ない、政治が不安定化したためだ。

 振り返れば、新自由主義的政策の嚆矢(こうし)は1980年頃のサッチャー・レーガン時代だった。それ以前のグローバル化や市場化は極めて限定的に行われていた。大戦後の自由主義体制は、国際政治学者の故ジョン・ラギーがいう「埋め込まれた自由主義」であり、貿易自由化にせよ、資本自由化にせよ、民主主義体制の補完と位置づけられていた。伝統的社会と結びつく農業や商業は自由化の適用除外とされ、各国の民主体制の動揺回避を旨としていた。それは、二度の世界大戦をもたらした1910年代の超グローバル化の反省に立ったもので、戦後秩序は、国家と市場を対立させるのではなく、民主制の下で市場を制御していた。

 しかし、冷戦終結以降、市場万能主義がこの均衡を破壊した。資本移動は全面的に自由化され、WTO(世界貿易機関)は国内政策に土足で踏み込むことが可能な枠組みとされた。日本の長期停滞が始まったのは90年代以降だが、資本の自由化をもっとゆっくり進めるべきではなかったか。

 必要なのは極端な自由化でもなく、内向きの政策でもない。国家が社会契約を維持しつつ、国際協調を進めることができる体制だ。国家と市場が互いを補完する制度が不可欠だが、既に我々は手遅れか。