
オーナー企業では、オーナー社長自身に何かがあることは会社自体の問題でもあります。社員を動揺させないためにも父のガンが再発し、先が長くないことは、ごく一部の社員にしか知らされていませんでした。
ですから、殆どの社員は、社長もまだ若いのに(当時64歳)、なぜ急に社長の息子が会社に入ってくるのか分からないという雰囲気でした。しかし、時間は待ってくれません。主治医の診断では父は1年ももたないとのことだったからです。
当時、弊社には経営企画室という部署があり、私はそこに副係長として配属されました。管理職ではなく、通常の組織に入らないため「副」が付いたのです。そこでまず勉強して下さいということでした。
私は「Xデー」に向けて早急に社内を把握するため、工場や営業の現場研修を強く希望したのですが、幹部社員からは「あなたは10年社外で働いてきたと言うけれど、あなたの能力は当社から見れば未知数です。
しかも音大しか出ていないわけですから、まともに仕事ができるとは思いません。本当はもう一度大学にでも入って勉強してもらいたいくらいです」と言われて、社会人大学への入学を勧められました。
今までの会社では、最初の頃こそ「音大卒」という目で見られましたが、仕事をするうちに関係なくなり、学歴の話になると、逆に良い意味で驚かれることもあったくらいでした。ですので、改めて音大卒の位置づけを再認識させられたわけです。
そこで私としては当時の経営陣に対して初めて反逆したのです。「勉強が足りないと言うなら、いくらでも勉強するが、どの方面の勉強が効果的かは自分で決めたい。そのためには、自社の現場を知るのが最も効果的ではないか」と社内で説いて回ったのです。
あとで分かったのですが、なぜ私の現場研修に対して抵抗があったかと言うと、余りにも問題の多い現場だったので、私に真実を知られるのを恐れたということもあったようです。
それならば、ということで、工場研修となりました。弊社では通常、新入社員の工場研修は工場のある成田近辺のビジネスホテルから通うことが一般的ですが、このときは許されませんでした。
「自己都合なのだから勝手に行け」ということです。嫌がらせのようにも感じましたが、当時片道2時間かけて通う電車内では三菱化成で覚えた英会話のテープを聞いたり、ビジネス書を読んだり、結構充実していました。
工場現場では研修ではなく、実際の作業でした。ある社員は「藤井さん、これ持てますか」と20㌕の原料が入った袋を指して「オレたちは毎日これを持ち上げてんですよ」と。
当時のレポートを読むと、自分でも驚くほど詳細に現場を見て、しかも問題点も指摘していました。当然、当時の幹部社員には、そのような指摘は見向きもされませんでしたが。