『わたしの「対話人生」』国際社会経済研究所理事長・藤沢久美「決める経営者から設計する経営者へ」

経営者の役割は長らく、「最後に決める人」であると語られてきた。情報が十分でなくとも判断を下し、組織を前に進める。その決断力や胆力が、企業の成長を支えてきた。

 しかし、環境変化の速度と複雑性が増す中で、その前提はいま大きく揺らいでいる。技術、市場、規制、社会情勢が同時に変化し、正解は固定されたものではなくなった。

 先日、若手の経営者やベンチャーキャピタリストと対話する機会があった。その場で出たのが、「いまのリーダーは、かつてのように一人で決めて引っ張ることはできないし、するべきでもない」という意見である。

 むしろ、複数の視点を前提とした集団指導体制の方が現実的だという。社会情勢の変化があまりに速く、一人の判断に依存していては対応しきれないという指摘は、率直で説得力があった。

 この議論を聞きながら、私はかつて上梓した『最高のリーダーは何もしない』という書籍を思い出していた。そこで私は、リーダーが明確なビジョンを提示し、それを組織の隅々にまで伝えることで、最も変化に敏感な現場が臨機応変に対応できるようになると述べた。

 リーダーが逐一指示を出さなくとも、現場が自律的に動くことで、組織の柔軟性と変化対応力は高まる。

 同時にその書籍では、リーダーは周知を集めた上で、一人で決めることを恐れてはならない、とも書いた。では、集団指導体制の経営において、「一人で決めるリーダー」は不要になるのだろうか。私はそうは思わない。

 経営者の仕事が「設計」に移行したとしても、CEOが最終的に決める責任から逃れることはできない。むしろ、集団体制だからこそ、誰がどこで最終判断を下すのかは、より明確でなければならない。集団指導体制とは、決断を放棄することではなく、決断に至るまでの質を高める仕組みであるべきだ。

 さらに、その集団体制を構成する人材をどう育て、どう配置するかまで含めて、経営の設計だと思う。一人ひとりの社員の強みや限界を見つめ、その成長を支援する。そして、集団体制の構成員をバイネームで決めることまでが、経営者の責任ではないだろうか。

 集団指導体制は、責任を曖昧にするためのものではない。むしろ、誰がどの判断を担い、最終的に誰が決めるのかを、これまで以上に明確にするための体制であるCEOは決めるという仕事から逃れられない。

 しかし、すべてを一人で決め続ける必要もない。その境界線を引き、組織として意思決定できる状態をつくることこそ、これからの経営者の仕事なのだと思う。

【著者に聞く】フリー専務執行役員CHRO・川西 康之『freee 成長しまくる組織のつくりかた』