
イランにも威嚇の声が…
トランプ大統領の威嚇は続く。ベネズエラの隣国・コロンビアも麻薬を米国に運び込んでいるとトランプ政権から非難されている。さらに、イランとも米国は微妙な立ち位置。イランのイスラム政権も専制的で、今、一般市民による反政府デモが燃え盛っている。
1979年、日本で言えば昭和54年にイスラム革命が起こり、パリに亡命中だったホメイニ師が帰国し、最高指導者に就任。それ以来、イスラム組織による統治が続く。50数年が経ち、その体制も揺らぎ始めたということだ。
日本とイランは友好関係にあるが、産油国でもある同国との間ではさまざまな事件が起きてきた。
1953年(昭和28年)に起きた日章丸事件。イランは当時、英国の石油メジャー『アングロ・イラニアン社』(現BPの前身)に石油利権を握られていた。イランは1951年に石油国有化を宣言し、英国と対立。英国は現地に海軍を派遣し、海上封鎖に出る。
その危機の中、日本の新興石油資本・出光興産が日章丸をイランに派遣し、石油を日本に運んだ。
当時、最強国の1つであった英国軍の監視をくぐり抜け、イラン産石油を日本に持ち帰ったのは、出光佐三(出光興産創業者、1885―1981)。エネルギー不足に悩む日本にとって、石油確保は国家課題であり、当時のイラン国民の困窮も考慮して、出光佐三はそうした行動に打って出た。
危機時における〝国と企業の関係〟を考えさせられる一大事件であった。
IJPC事業の挫折
しかし、そのイランで日本企業が多大な損失を蒙る事態も発生した。1970年代初め、三井物産が同国の石油資源を活用して一大石油化学プロジェクトを敢行しようとしていた。
当初の投資額は1000億円台であったが、世界的なインフレ気運で、投資額が6000億円台に膨れ上がり、同事業に参加していた三井東圧化学(現三井化学)や東洋曹達工業(現東ソー)など、日本企業の頭を悩ませた。
二度にわたる石油危機で経済が混乱する中、当時のパーレビ国王体制は崩壊。イスラム信徒主導の反政府デモで体制がひっくり返された(ホメイニ革命、1979)。
ついにパーレビ国王は海外に亡命。50年近く経った今、同国王の息子(当時皇太子、米国在住)が、「現政府打倒」を国民に呼びかけている。まさに歴史は因果を巡るという感じだ。
それまで三井物産グループはイランでの一大石油化学プロジェクト(IJPC事業計画)を進めてきたが、イラン・イラク戦争(1980)にも巻き込まれ、大変な痛手を受け、ついに事業からの撤退を決断。
無資源国・日本の〝ナショナル・プロジェクト〟と位置付けられたIJPC事業であったが、このプロジェクトの失敗は三井物産の屋台骨を揺るがすことにもなった。
企業が政治動乱に巻き込まれることは往々にしてある。グローバル化が進む今、国と企業の関係はどうあるべきかを考えさせられる昨今である。