DXの重要性が叫ばれて久しいが、多くの企業でその推進を阻む最大の壁となっているのがデジタル人材の不足だ。経済産業省の調査でも、DXに取り組めない理由として人材不足やスキル不足が常に上位に挙がる。この問題は、単に人数が足りないという量的な側面だけでなく、求められるスキルセットを持つ人材がいないという質的な側面も深刻化している。

  • DXに取り組めない理由の一例

    DXに取り組めない理由の一例

11月18日~19日に開催されたウェビナー「TECH+セミナー デジタル人材不足の処方箋 2025 Nov. 変革を止めない組織へ」で、NTTデータ経営研究所 主席研究員 エグゼクティブ・コンサルタントの三谷慶一郎氏が登壇。日本企業が抱える人材課題の根源的な問題を解き明かし、その処方箋として「スキルベース」のアプローチを提言した。

深刻化するデジタル人材不足と3つの問題

講演の冒頭、三谷氏は経済産業省が公表するDXの定義に触れ、ビジネスモデルや組織そのものの変革を伴う“企業を丸ごと変えるに近い”ほどの大きな取り組みであると指摘。そして、デジタル技術がコモディティ化し、誰もが容易に使えるようになった現代において、その活用能力が企業の競争力を決定的に左右すると警鐘を鳴らす。

この不可逆な流れのなかで、日本の人材不足は悪化の一途をたどっている。同氏は情報処理推進機構(IPA)が公表するデータなどを引用し、DXを推進する人材不足は、企業の規模を問わず大きな課題となっており、とくに米国と比較して日本の状況が深刻であることを示した。

さらに、デジタル分野では求められるスキルが急速に変化する「スキルディスラプション」が起きており、エンジニア自身もスキルの陳腐化に強い不安を抱えている。経済産業省の「未来人材ビジョン」によると、企業側も約4割が「すでにスキルギャップが顕在化している」と認識しているのが現状だ。

では、なぜこれほどまでに状況が好転しないのか。三谷氏は、その根源的な課題が「企業」「個人」「社会」の3つのレイヤーに存在すると分析する。

1. 企業の問題:人材に投資せず、評価基準も曖昧

まず企業側の問題として同氏は、日本企業は人材に投資をあまりしないという根深い問題を挙げる。とくにOJT以外のOFF-JTへの投資額は国際的に見ても極めて低く、近年は減少傾向にさえある。かつて日本の強みとされたOJTについても、「近年の調査では、OJT自体もかなり不十分であることが明らかになっている」と同氏は指摘。現場の余力喪失や長期雇用の揺らぎにより、かつての徒弟制度的な育成モデルは崩壊しつつある。

さらに深刻なのは、多くの企業がデジタル人材を「欲しい」と言いながらも、「どんな人材が必要か」「その人材をどう評価するか」という具体的な人材像や評価基準を設定できていない点だ。三谷氏は「ゼネラリスト志向の強い現行の人事制度を抜本的に変えてまで、デジタル人材に特化した施策を講じようという状況には至っていない」と述べ、既存の制度の枠内でしか考えられていない実態を明らかにした。

2. 個人の問題:学んでも報われないなら学ばない

個人に目を向けると、「社会人は学ばない」というデータが突き付けられる。社外学習や自己啓発を行わない人の割合は、世界的に見ても日本が突出して高い。その背景には、単に学習意欲がないというだけでなく、構造的な問題が存在すると三谷氏は分析する。

経済産業省「Society 5.0時代のデジタル人材育成に関する検討会」での議論を踏まえ、同氏が問題の核心として挙げたのは「予見可能性の低さ」だ。リクルートワークス研究所多国間調査によると、日本の従業員は、勤続年数や職務遂行能力が給与や昇進にどう影響するのかを「よく分からない」と回答する割合が世界で最も高いという。

「従業員から見れば、スキルを習得しても必ずしも評価に結び付かず、キャリアアップや処遇改善の見通しが立ちにくい。この『予見可能性の低さ』が、学習意欲を阻害しているのではないでしょうか。端的に言えば、スキルアップが報酬や昇進にどうつながるのかが見えにくいのです」(三谷氏)

3. 社会の問題:円滑でない人材流動

最後に社会全体の問題として、人材の流動性が低く、最適な人材配置が行われていない実態がある。リクルートの「就業者の転職や価値観等に関する実態調査2022」によると、転職希望者のうち、実際に翌年転職する人はわずか13%程度。転職しなかった理由には、「自分に合う業種や職種が分からない」といった情報の非対称性や探索コストの高さが挙げられる。また、多大な労力をかけて転職しても、約4割の人しか10%以上の年収アップを実現できていないのが現実だ。

全ての根源にある「不明瞭さ」という病

なぜこうした問題が生じているのだろうか。三谷氏は「不明瞭さ」であると指摘する。

個人は、リスキリングしても評価されるか不明瞭なため、キャリアを会社任せにしがちになる。企業は、どんな人材が必要なのかが不明瞭なまま、漠然と「人材が足りない」と嘆く。転職市場では、個人も企業も求めるものが不明瞭なため、マッチングが困難を極める——。この不明瞭さが、スキル向上の需要を削ぎ、結果としてリスキリングサービスの供給も最適化されないという負のスパイラルを生んでいるのだ。

  • 不明瞭さが招く負のスパイラル

    不明瞭さが招く負のスパイラル

処方箋としての「スキルベース」アプローチ

この根深い課題を解決するため、三谷氏が提言するのが「スキルベース」という考え方だ。これは、学歴や経歴だけでなく、個人が保有する「スキル」を軸に、育成・採用・配置・評価を行うアプローチである。

スキルが共通言語化されることで、企業が求める人材像、個人がなりたい人材像、そして社会が必要とする人材像が明確になり、相互に認識し合えるようになる。

この実現のためには、2つの社会的なインフラが必要だと同氏は続ける。

1つは、スキルを定義し、分類・体系化した標準的な辞書となる「スキルタクソノミー」の整備だ。米国やシンガポールではすでに精緻なタクソノミーが整備されているが、日本はまだ発展途上にある。まずはIPAの「DX推進スキル標準」などをベースに、デジタル人材領域から整備を進めることが現実的だろう。

  • 国内外の主要なスキルタクソノミー

    国内外の主要なスキルタクソノミー

もう1つは、個人のスキルデータを蓄積・可視化し、キャリア形成を支援する「スキルデータプラットフォーム」の構築だ。シンガポールやカナダでは、政府や民間が連携してこうしたプラットフォームを構築し、個人のスキル分析やリスキリングプログラムの提供、求人とのマッチングを行っている。日本でも、IPAが中心となり、同様のプラットフォームの検討が開始されているという。

組織変革の突破口へ、企業が今すぐ取り組むべきこと

社会全体の仕組みづくりと並行して、個々の企業が先行してスキルベースを導入することには大きな意義があると三谷氏は強調する。それは既存の人事制度を全て覆すような急進的なものではなく、現行制度を補完するものとして始めることができる。

例えば、従業員の保有スキルを可視化し、研修計画やジョブローテーションの参考にする。採用時には、求めるスキルを明確に定義することで、ミスマッチを防ぎ、採用のスピードと精度を向上させる。最終的には評価への紐付けも視野に入れるべきだと同氏は語る。

「企業は、従業員が新しいスキルを習得すれば、そのスキルを活かせる仕事を提供する。そして、その仕事で成果を出した際には、正当に評価する。このようなサイクルを確立することが、個人にとって何よりのインセンティブとなるはずです」(三谷氏)

このような取り組みは、これまで企業主体であったキャリア設計の主導権を個人に取り戻すことにつながる。自分のスキルを起点に自律的にキャリアを考える文化が生まれれば、学びへのモチベーションは自然と高まるはずだ。

講演の最後に三谷氏は、スキルベースの導入がもたらす最も大きな価値について次のように語った。

「これは、変化を恐れず学び続けるマインドセットを持つ人材を正当に評価し、優遇する環境の創出につながります。言い換えれば、『努力が報われる環境』を作ることそのものです。そしてそれこそが、健全な組織変革を促す原動力となるのです」(三谷氏)

* * *

求める人材の解像度を上げ、努力する個人が正しく報われる環境をつくること。スキルベースへの取り組みは、変化の時代を生き抜くための組織変革そのものの突破口となる可能性を秘めている。