【追悼】桜ゴルフ創業者・ 佐川八重子さん

「ゴルフ場会員権ビジネスの草分け」の佐川八重子さんが亡くなった。佐川さんは1970年(昭和45年)、26歳で会員権ビジネスを創業。戦後25年が経ち、高度成長期の真っ只中で、ゴルフ人口も増加、社交の場としても注目された時期である。

 しかし、当時の会員権ビジネスは社会的にそれほど認められた存在ではなかったが、佐川さんは誠実に、丁寧をモットーに、顧客重視の事業を実践し、桜ゴルフの存在感を高めてこられた。

 どんなに苦境に立たされようとも、笑顔を忘れず、丁寧に顧客対応することで桜ゴルフは社会の信用を獲得。景気の動向を探るメディアなどからも取材を受けることが多くなっていった。

 踏ん張りの人である。佐川さんは1944年(昭和19年)1月千葉県生まれ。戦後の混乱期に少女時代を送った。8人きょうだいの末っ子として両親の面倒を最後まで見る心温かい女性でもあった。

 創業当時は日本の社会もまだまだ男性中心の社会。女性経営者が珍しい時期で、マスコミの注目も浴びた。だが、本人は浮かれることなく、社業に励み、桜ゴルフの経営に打ち込む日々。

 そういう姿に有力経済人の中で支援する人々も現れた。日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取の正宗猪早夫もその一人。鉄鋼、化学、機械など重厚長大産業の主要産業を支えてきた興銀も、その頃ニュービジネスの掘り起こしに努めている時期。

 製造業中心から、サービス産業の拡大へと向かう時期の佐川さんの創業であった。

 その佐川さんも修羅場を経験。某大手エレクトロニクスメーカーが関係するゴルフ場の共同経営を求められたのである。しかし、その事業が頓挫し、もう一方の共同経営者は逐電。結局会員権購入者に数億円の賠償を個人で引き受けることに陥った。

 それをそこから逃げることなく、十数年かけて返済を完遂。このことが佐川さんの社会的信用を高めた。

 その後もバブル経済崩壊、東日本大震災、コロナ禍、と危機が次々と襲う。同業の倒産が出る中で、桜ゴルフが立派に存続して来られたのも、誠実な人への思いやりがあったからである。

 佐川さんを長い間取材していて、本当に人脈の広い人だなと感心させられる場面がよくあった。作家の川端康成(ノーベル文学賞受賞者)や文芸評論家の小林秀雄氏などとも縁があった。

 また、趣味も広く、囲碁、ゴルフだけでなく、小唄も嗜んだ。毎年東京・銀座の新橋演舞場で「銀座くらま会」にも参加。今年も10月28日(火)に佐川さんも2回出番を予定していた。

 関係者へ配った案内の手紙には、「本番まであと2週間あまり、只今舞台に向けて特訓中ですが、しっとりと、そしてさりげなく『江戸の粋』を唄うことができればと思っております」とあった。

 実のところ、佐川さんは今年初め体調を崩し、入院も繰り返していた。親しい人には「余命を宣告されているのよ」と打ち明けていた。

 本誌『財界』で今春、佐川さんは「人生やれないことは何もない。そう思って突き進んできました」と述懐。人への思いやりを含め、〝強さと優しさ〟を併せ持つ経営者であった。

 合掌。