
「今は厳しい状況だが、抜本的に経営のあり方を見直し、改善に動くチャンスと捉えていただきたい」─野村氏は自らの顧客をこう鼓舞する。トランプ関税や金利上昇など、第一勧業信用組合の顧客である中小企業、小規模事業者の経営に影響を及ぼす材料は多い。その中で、課題解決に向けて様々な提案をすべく取り組んでいる。創業60周年を迎えた今、「お客様の生産性を高めるお手伝いを」と話す野村氏が今後目指すものは─。
小規模事業者の中に景気回復感はない
─ 日本はコロナ禍を乗り越え、金利が付く世界が戻るなど、今は時代の転換期にあると思います。現状をどう見ますか。
野村 コロナ禍では政府が苦しむ企業を影で支えてきました。そして我々も、ただ延命するだけでなく、お客様の体質改善や事業再構築のお手伝いをしてきました。
確かに、足元で景気は多少よくなっていますが、小規模事業者にまでは、その恩恵が浸透していません。その中で、米トランプ大統領が関税政策を打ってきていますから、今後我々のお客様にも様々な影響が出てくると思います。
また、金利が上がってきていますから、小規模事業者で、それなりの借り入れをされている企業は負担感が出てくると思います。かつ、国の政策もあり、人手不足の中で賃金も上げていかなければなりません。
簡単には中小企業の生産性は高まりませんから大変だと思いますが、この環境を「大変だ」と言っていても仕方がありません。むしろ、抜本的に経営のあり方を見直し、改善に動くチャンスと捉えていただきたいと思っています。我々も、そうした相談に応じています。
─ 経営者の意識は前向きですか。
野村 正直申し上げて、前向きな方もいる一方で、不安になっている方の方が多いですね。同じ状況、規模でもうまくいっているところもありますが、おしなべて言うと、小規模事業者の中に景気回復感はないと思います。
そこに来て米国の関税や金利など不安材料が多く、少し戸惑っているような感じです。
しかし、先程申し上げたように、ここをチャンスと捉えて、自分の会社の存在意義を再定義し、社会に必要な存在であるならば、その本質を守りながらやり方を変えることが大事です。何とか生産性を高めて乗り切っていくしかありません。
─ こうした顧客にはどのように寄り添っていますか。
野村 コロナ後に、お客様のビジネスモデル変革をお手伝いするプロジェクトチームを立ち上げて支援してきました。これが本来の金融機関の役割ですし、当組合の役職員も、その機会を得たのだと思います。
それまでは、地域の方々と仲良く、例えばお祭りに出ればいいというような状況もありました。
もちろん、お祭りに出ること自体も直接的な地域貢献ですが、そこで信頼関係を築くことで、お客様からご相談を受けたり、我々から課題をお伝えして体質を改善するきっかけにすることが大事です。
顧客の最後の時まで役割を果たす
─ 野村さんは理事長として6年目に入りましたが、この間、嬉しかったことは?
野村 倒産、廃業は悲しい場面ではありますが、ある書店さんが廃業をされた時の話をさせて下さい。書店の仕事に誇りをお持ちでしたから、経営は立ち行かないけれども、なかなか踏ん切りがつかないという状態が続いていました。
しかし、やはりそのままではジリ貧で、最後はどうにもならなくなるということで、しっかりとお話をさせていただいた上で、書店の経営と従業員さんを取次店に引き取ってもらいました。
経営者の方は保証がありましたから、保有されていたビルを売却していただきました。
そのままだとかなりの譲渡益が出るのですが、保証債務ということで損失計上を認めてもらい、税金を抑えて、その後の生活資金をかなり残していただいた上で廃業していただきました。これは非常に感謝されましたね。
─ 書店の経営者ご本人から感謝されたと。
野村 ええ。それまでは企業を再生させて感謝されるということはありましたが、その時は最後のところまで立ち会って、「背中を押してもらってよかった」と言っていただきました。
─ 解決策を見出すことで、関係者の人生も次につながっていきますね。
野村 そう思います。私が当組合に来た時によく言っていたのですが、やはり信用組合は庶民にとって「最後の砦」です。廃業という最後の時まで側にいる。そうした役割を果たしていくことが大事だと思います。
─ 改めて、コロナ禍の教訓は何だったと思いますか。
野村 変わるきっかけと捉えることだと思います。高度経済成長が終わり、いいものを安く、大量にという時代はとうに終わっていますが、多くの企業でやっていることはあまり変わっていなかった。コロナ禍で、本来変わっていなければいけなかったものを、変えざるを得なくなったのです。
その意味では神の思し召しと考えて、自分の存在意義を再定義し、変わる努力をすることが大事だと思います。
我々のお客様でも、コロナ禍で大変な頃、長年勤めてくれた従業員1人ひとりと面談し、丁寧に説明しながら人員整理をした方がおられました。その後、苦境に耐えながら頑張って、今は相当順調に行っています。
そういうお話を聞くと、経営者は「情」をかけたいけれど、会社が全て駄目になってしまうと全員が路頭に迷ってしまう。それを従業員ときちんと対話して解決していくことが必要なのだと思いましたね。
─ 社員との信頼関係を築いている経営者は強いですね。
野村 ずっと一緒に、共に苦しみながら歩んできた人たちでしたから、人員整理をするのは断腸の思いだったと思います。ただ、経営者がそれだけ真剣にやっていると、わかってもらえるようですね。
世の中に貢献するために生産性を高める努力を
─ 賃上げは産業界の大きな課題の1つですが、大企業は上げられても中小企業の半分は上げられていないという問題がありますね。
野村 やはり仕事のやり方を変えて、生産性を高めない限り無理なんです。それを我々はお客様と一緒に考えていくということです。
DX(デジタルトランスフォーメーション)もそうです。単なるデジタル化が目的なのではなく、仕事のやり方を変えるということです。自分の会社の存在意義、その本質を外さずに、世の中に貢献するために生産性を高めていく。生産性を高めるというのは、我々自身も同じことです。
─ 今、従業員に向けて、どういう言葉をかけていますか。
野村 当組合の理念、ビジョンをしっかり共有するために、毎年、役職員1人ひとりと面談をしています。そして役職員には、わくわく、生き生きと仕事をしてもらいたいと思っているんです。
「人的資本経営」と言われますが、経営者として、役職員が能力を最大限に発揮できるように取り組むのは当然のことだと思います。人が最大限の能力を発揮しようとしている、あるいは発揮していれば、内からは「わくわく」とし、外から見れば「生き生き」として見えると思うんです。
それを確かめるためにも面談しています。またもし、わくわく、生き生きしていないならば、その理由は何なのか、どうすればいいのかという意見を聞き、自らも考え、それを経営に活かしています。
─ 経営はチームで行うものですから、1人ひとりの当事者意識が大事になりますね。
野村 当事者意識の醸成は道半ばです。これは当組合の歴史、成り立ちにも関係していますが、大手銀行の傘下の信用組合として歩んできましたから、以前は幹部のほとんどが銀行から来ており、どうしても指示待ちの傾向が強かったんです。
この点を少し直していかなければいけないという問題意識があり、「参画型」の経営を心がけています。研修も座学ではなく、職員に考えてもらう形を意識しているんです。
24年には、支店単位で「素敵な店づくり」をコンテスト形式で行いました。1年かけて、各店でいろいろなアイデアを出してもらいました。いいアイデアは継続してもらったり、他の支店で取り入れたりしました。
25年は、支店ごとのキャラクターをつくるという取り組みを行い、いいキャラクターがたくさんできました。みんな、ワイワイガヤガヤとアイデアを出し合って作り上げたもので、全て採用しました。それらを、お客様にお配りした60周年記念のお菓子の箱に印刷しました。
こうした取り組みで、職員は自分たちが関わったことが、そのまま経営に使われるということを実感してくれたのではないかと思います。
大企業だと、経営に向けた提言書を半年かけてつくらせて、発表会をやって終わりというところも多いと思いますが、当組合のような小ぶりな組織は、貢献実感を養う取り組みが可能なんです。
─ 野村さんから見て、伸びているのはどういう人ですか。
野村 やはりお客様のことを常に考えている人が伸びています。常に考えているので工夫していますし、自分でわからないことがあれば、積極的に周りに意見を聞いたりしながらやっています。そうやって動き回っている人は伸びますね。
次の景気の波が来ても顧客を支えられるように
─ 改めて、60周年ということで1965年(昭和40年)の設立ですね。
野村 そうです。最初は日本勧業銀行(現みずほ銀行)の職員を対象とした職域組合として発足しました。1963年に東京昼夜信用組合という組合が不祥事で業務停止になったのですが、日本勧業銀行が東京都から救済を要請され、それを受諾しました。
債務を引き取り、地域信用組合に転換することで、当時は新規での設立が難しかった信用組合として認められました。店舗の出店もかなり厳しく規制されていた時代ですが、5年間で15店舗の出店までは認可してもらい、引き継いだ負債の損失は無税償却という条件でスタートしたんです。
当時、中小企業等協同組合法に基づく信用組合は都道府県所管とされた中で、勧銀の信用組合が全国組織であったため大蔵省の所管となっていましたが、これは異例のことでした。
東京昼夜信用組合を救済する前には解散を迫られていて、そこに救済の話が来て、それを受諾したことで地域信用組合としての存続が認められたという歴史があります。
─ 決断を迫られた歴史があるわけですね。
野村 組合、そして銀行それぞれの決断がありました。
─ バブル崩壊以降、金融機関は軒並み厳しい状況を迎えましたが、第一勧業信用組合はどうでしたか。
野村 当組合も同じく、厳しい状況となりました。バブルの時に不良債権も膨らみましたから、銀行及び銀行の親密先からの優先出資を受けて資本増強を図ることとなったのです。
この5年で償還を加速していますが、まだ残っています。お客様に「借りたお金は活きた形で使って返しましょう」とお伝えしている手前、我々が返さないわけにはいきません。
職員には自分たちの状況を理解し、自らの身を省みた上で、お客様を持続的にお支えするように取り組んで欲しいと思っています。
そうして、耳障りなことでもお客様のためだと思えば、きちんとお伝えするようにといつも言っています。次にまた、景気の大きな波が来た時にも、お客様をお支えできるような体制をつくっておく必要があります。
─ コロナ禍の就任で厳しい時もあったかと思いますが、野村さんを支えてきたものは何でしたか。
野村 当組合の役職員は、本当にいい人間ばかりで、皆前向きなんです。ですから、きちんと優先出資を償還して、その上で組合の中から次のトップが出てくるような体制を構築していきたいのです。
そうすることで、今以上に「自分たちの組合」という気持ちになってもらえると思います。
もちろん、みずほ銀行との関係は引き続き親密ですから、当然様々な業務の関わりはあるわけですが、気持ち的に独立心を持ってほしいと思うし、そう思わせてくれる職員たちです。
そして何よりも、我々はお客様に恵まれています。この方々を何とかお支えしたい、困らせるわけにはいかないという使命感が私を支えています。