道の真ん中が一番きれいになる理由

私が好きな江戸の小話的なものに、こういったものがあります。

  • 江戸下町はなぜ“道の真ん中”がきれいなのか?

江戸下町では、道向かいのそれぞれが軒先を掃くときに、“道の真ん中よりもちょっと向こうまで掃く”のが習わしだったそうです。両側の人がそれぞれ真ん中よりも奥まで掃くので、2回掃除される道の真ん中が一番きれいになる、というお話です。

もちろん、この話の真偽のほどは定かではありません。いわゆる「江戸しぐさ」には後世の創作も多いと言われています。ただ、事実かどうかよりも、この考え方が示唆する“責任の重ね合わせ”という発想こそが、現代のチームワークにとって重要なのではないでしょうか。

私は20年以上にわたりさまざまなプロジェクトに関わってきましたが、うまくいくチームには共通点があります。それは、メンバー一人ひとりが自分の担当範囲を少しだけ越えて動いているということ。まさに“道の真ん中より向こうまで掃く”精神が息づいているのです。

なぜ今「責任の重ね合わせ」が必要なのか

現代のビジネス環境は、江戸時代とは比べ物にならないほど複雑化しています。特にDX時代を迎えた近年のシステム開発では、以下のような新たな課題に直面することが少なくありません。

役割の境界線が曖昧になりがち

  • クラウドやアジャイル開発の普及で、従来の役割分担が流動的に
  • プロダクトマネージャー・エンジニア・デザイナーの協働が必須
  • 誰の責任か明確でないグレーゾーンが増加

DXがもたらす組織横断的な変革機会やステークホルダーの多様化

  • ビジネス部門とIT部門の境界の消失
  • データサイエンティスト・UXデザイナー・セキュリティ専門家の参画
  • デジタルネイティブ世代とレガシー世代の価値観の衝突
  • グローバル分散チームでの24時間開発体制
  • リモートワークによるコミュニケーションの難しさ

指数関数的な変化への適応

  • 生成AIの登場による開発スピードの劇的な向上
  • 週単位で更新される技術スタックとベストプラクティス
  • リアルタイムデータに基づく意思決定の必要性
  • 技術的負債の蓄積速度も指数関数的に

AI時代の役割の再定義

  • AI駆動開発により、人間の役割が「作る」から「導く」へシフト
  • プロンプトエンジニア、AIトレーナー、倫理担当者など新たな職種の登場
  • 人間とAIの協働における責任分界点の曖昧さ
  • “生成AIが作成したコードの品質保証は誰の責任か”という新たな問い

先日、ある大手企業のDXプロジェクトで印象的な出来事がありました。生成AIを使ってプロトタイプを2日で作成したエンジニアと、従来の手法で品質を重視し2週間の見積もりを出したベテランエンジニアの間で、激しい議論が起きたのです。これは単なる世代間ギャップではなく、「品質とスピード」「職人技とスケーラビリティ」という本質的な価値観の違いでした。

こうした環境下では、「これは私の仕事ではない」「それはAIの仕事」と線引きしていては、イノベーションは生まれません。むしろ人間同士、そして人間とAIの間でも、お互いの領域に少しずつ踏み込んで重なり合う部分を作ることで、真のDXが実現できるのです。

「のりしろ」という日本的な知恵

実は、この「責任の重ね合わせ」という考え方は、日本の伝統的な仕事の進め方にも通じています。たとえば、障子や襖を作るときの“のりしろ”は、紙と紙を貼り合わせるとき、少し重なる部分を作ることで強度を保ち、隙間ができないようにする。この知恵は、そのままチームワークにも応用できるのではないでしょうか。

私が過去に関わった、ある大規模ECサイトリニューアルプロジェクトでの経験をお話しします。開始当初はフロントエンド・バックエンド・インフラの各チームが明確に分かれており、それぞれが自分の領域だけに集中していました。その結果どうなったかというと、API仕様の認識齟齬、パフォーマンステストの抜け漏れ、本番環境でのトラブルなど非常事態が相次いで発生する事態に。まさに“道の真ん中”に相当する部分に、誰も気づかない問題が溜まっていたのです。

そこで導入したのが「横断チーム」という仕組みでした。各チームから1名ずつ選出し、週に2回、境界領域の課題を洗い出す会議を設定。最初は「余計な仕事が増えた」という声もありましたが、3ヶ月後には誰もが「これなしではプロジェクトが回らない」と言うようになりました。

プロジェクトにおける「道の真ん中」とは

では、現代のプロジェクトにおける“道の真ん中”とは、具体的にどんな領域でしょうか。私の経験上、以下のような部分が該当すると考えています。

1. 仕様と実装の間

仕様書やワイヤーフレームには書かれていないが、実装上で必要となる細かな仕様。ビジネス側とエンジニア側の両方が歩み寄る必要があります。

2. チーム間の情報連携

「あのチームが知っているはず」「向こうから聞いてくるだろう」という思い込みが、重大な認識齟齬を生みます。自分から情報を取りに行き、自分から情報を発信する。この双方向の動きが大切です。

3. 暗黙知の形式知化

ベテランメンバーの頭の中だけにある知識や、過去の失敗から学んだ教訓。これらを文書化し、共有する作業は誰の仕事でもないかもしれません。でも、誰かがやらなければチームの財産になりません。

4. 心理的サポート

プロジェクトが困難に直面したとき、メンバーの心理的な負担は増大します。「マネージャーの仕事」と片付けるのではなく、チーム全員でお互いをサポートする文化があるかどうか。これも重要な“道の真ん中”です。

さて、次回の後編では、こうした“道の真ん中”をきれいに保つための10の実践方法をご提案したいと思います。異文化の受容から始まり、意思決定ルール、可視化の仕組み、そして目標の共有まで。すぐに実践できる、具体的なアクションをお伝えします。

皆さんも、今日から少しだけ、自分の担当範囲を超えて動いてみませんか。その小さな一歩が、チーム全体を大きく前進させる原動力になるはずです。