「空港へ向かう長距離客を乗せるタクシー運転手の売上は、実は低い」——この意外な事実は、データ分析が明らかにした業界の常識を覆す発見だった。
5月19日~22日に開催されたオンラインセミナー「TECH+ Business Transformation Summit 2025 May. 課題ごとに描く『変革』のミライ」で、東京工科大学コンピュータサイエンス学部 教授で、EigenBeats・Principal Data Harmonizer、早稲田大学 総合研究機構 客員主任研究員、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター 主任研究員、デジタルハリウッド大学大学院 客員教授、博士(工学)の中西崇文氏が語ったのは、勘と経験に頼る経営から脱却し、AIを活用したデータドリブン経営への転換の必要性だ。
データサイエンスが変革するビジネスの現場
データサイエンスという言葉が広く認知されるようになった今、その本質を改めて問い直す必要がある。中西氏は、データサイエンスを「データ、数理統計、コンピューティング、そしてドメイン知識を掛け合わせたもの」と定義する。特に注目すべきは、ドメイン知識の重要性だ。
「これまでのデータと数理統計とコンピューティングだけなら、物理学や心理学など学術分野での研究止まりでした。しかしここにドメイン知識、つまり現場の知識が加わることによって、ビジネスで使えるようになるのです」(中西氏)
AIの登場により、従来の科学的手法も大きく変わりつつある。これまでは仮説を立ててデータで検証するアプローチが主流だったが、AIを用いることで、データからモデル自体を帰納的につくり出すことが可能になった。
多くの企業経営者や管理職が「ビッグデータが必要だ」と考えがちだが、同氏は異なる見解を示す。実際には、小規模なデータからでも十分な価値を引き出せるという。
「うまく使えばAIはスモールデータからでも気付きを見つけることができます。小さく分析から始め、成功したら少しずつ規模を大きくしていくことがポイントです。小さな成功体験をつくりながらデータの取り方を設計していくことが大切なのです」(中西氏)
日常業務のなかには、POSデータ、物流のRFIDタグ、SNSの投稿、口コミレビューなど、意識しないあいだに蓄積されているデータが無数に存在する。重要なのは、これらのデータが必ずしも数値である必要はないということだ。テキストや画像、音声といった定性データも、大規模言語モデル(LLM)の技術により分析することが可能になっている。
タクシー会社が見つけた「隠れた真実」
データ分析の実践例として、中西氏はタクシー会社との共同研究を紹介した。タクシーの「流し営業」における売上データを分析した結果、業界の常識を覆す発見があった。
従来は「おばけ」と呼ばれる長距離客を乗せることが高収益につながると考えられていた。しかし、データ分析の結果、実際には1回の乗車運賃が高い長距離客を狙うよりも、乗車回数を増やし、近場でも効率よく顧客を乗せ続けるほうが、売上が高くなることが判明した。長距離客を乗せた後の空車での戻り時間が非効率だったのだ。同氏は「これは現場が見落としていたコツ。一部の運転手は気付いていたかもしれないが、会社全体で共有することで大きな改善につながる」と説明する。
ビジネスを、「勘と経験」から「再現性のある科学」へ
日本のビジネス環境は、高度経済成長期以来、比較的均質な人材構成のなかで「阿吽の呼吸」や「暗黙知」に依存した経営が成り立ってきた。しかし、グローバル化や人材の多様化が進む現在、このアプローチには限界が見えている。「これまでは勘と経験が重要視された時代だったが、転職が多い現代では属人的なノウハウは失われやすい。再現性のある成果へ昇華させる必要がある」と中西氏は訴える。観測→仮説立案→実験→分析→学習→改善という科学的なサイクルを高速で回すことで、勘や経験を超える成果が期待できる。
こうしたデータドリブン意思決定のメリットは多岐にわたる。勘や経験に依存しない客観的な判断、隠れた顧客ニーズの発見、収益最大化とコスト削減、そして何よりも「人が変わっても成果を出せる持続可能性」が生まれることだ。
しかし、同氏は意思決定プロセスにおける注意点を指摘する。
「データの整備、分析、モデル化、解釈までは多くの企業が行いますが、アクションと効果測定が抜けがちです。アクションをしないと、分析が本当に役に立ったのか分かりません」(中西氏)
データを使う文化を醸成することも必須となる。同氏は「現場の『なんとなくこう思う』を採用するのではなく、『こういう数字だからこうします』と数字で語るようにならなければいけない」と、データに基づいたコミュニケーションの重要性を説いた。
AIの恩恵を受けるためには、人間側の進化も必要
興味深い研究結果として、材料開発の研究者1000人を数年間追跡した調査が紹介された。生成AIを活用した場合、上位1/3の研究者は効率を向上させたが、下位1/3の研究者は逆に効率を下げてしまったという。この理由について、中西氏は次のように解説する。
「ドメイン知識がないためです。生成AIが出してきた答えが本当に合っているのかというファクトチェックに時間がかかってしまったわけです」(中西氏)
この事実は、AI時代においても人間の専門知識の重要性を示している。同氏は、ChatGPTなどの先進的なAIを活用することで、むしろ人間はより賢くなる必要があると指摘する。ChatGPT o3のIQが136程度とされるなか、人間側もそれに対応できる能力を身につけなければ、真の意味での協働は実現しないのだ。
「説明可能なAI」がもたらすブレークスルー
現在のAIシステムの最大の課題は、その判断根拠がブラックボックス化していることだ。Googleの写真アプリ「Googleフォト」が誤ったタグ付けをした事件のように、公平性や透明性が担保されない事例も後を絶たない。
中西氏は、独自に開発した「AIME」という手法により、この問題の解決に取り組んでいる。この手法は、AIの判断プロセスを逆方向から検証することで、人間が理解しやすいかたちで説明を生成するというものだ。
「AIの判断プロセスを近似し、人間に分かりやすくシンプルなかたちで示すというのが説明可能なAI(Explainable AI、XAI)のエッセンスになっています」(中西氏)
具体例として、画像認識AIが「飛行機」や「鳥」を判断する際、どの部分を見て判断しているかをAIMEで可視化できることが示された。これにより、AIが誤った判断をする可能性のある箇所を事前に特定し、修正することが可能になる。同氏は「AIが学習データから潜在的に取り込んでしまった差別やバイアスを発見できるようにもなる」とXAIが信頼できるAI開発に不可欠であることを示した。
変化の時代を生き抜くために
講演の締めくくりとして、中西氏は1900年代初頭のニューヨークの写真を示した。わずか十数年で馬車から自動車へと移行した歴史を振り返り、現在のAI革命はそれを上回るスピードで進行していると警告する。
「時代に取り残されないように、生き残りませんか」——中西氏のこの言葉は、単なるテクノロジー導入の推奨ではない。データドリブンな意思決定と説明可能なAIの活用は、もはや選択肢ではなく必須要件となっている。企業が持続的な競争力を維持するためには、今すぐにでもデータ活用の文化を醸成し、小さな実践から始めることが重要である。