
私自身が社長という立場になったのは、27歳の時だ。元同僚と一緒に、日本初の投資信託評価会社アイフィスを起業した。
それまで、「社長」という存在は、遠く、高く、権力に満ち溢れたものだと思っていたが、現実は全く違った。何しろ、ぽっと出の20代の若者が作った小さな会社の社長など、なんの信用もなく、オフィスを借りるのも、銀行口座を開設するのも簡単ではなかった。
さらに当たり前のことだが、事業においても、会社の登記から資料作り、営業、データ収集、プログラミング、オフィスの掃除まですべてを自分でやらなければ、事業は立ち上がらない。
深夜までプログラムを修正したり、データを入力したりは日常茶飯事で、営業に行けば、2時間近く説教のような話を聞かねばならないことも何度もあったし、そもそも、外資系企業で働いていた際の取引先さえ、ベンチャーの立場になったとたん、手のひらを反すように冷たくなった人も何人もいた。
起業するまでの自分という個人は、社会的信用などなく、名刺に書かれた社名と肩書によって、信用を得ていたのだということを痛感した。いつか、所属先が書かれていない個人名だけの名刺で仕事をできるようになりたいと、その時心底思った。
しかし、当時を振り返ると、名ばかりの社長で、なんの信用もなかったけれど、夢と希望だけは無限にあった。
我々の事業が日の目を見れば、誰もがフェアな情報を見て投資信託を買える世界が実現できる。さらには、投資信託運用会社の若手は、データ入力という単純作業から解放され、我々のデータ分析サービスを使って、高度な営業資料を作ることができる。未来を考えるとワクワクが止まらなかった。
一方で、個人の収入は激減した。1年目の年収は98万円。前年までの1000万円の年収に係る税金は、自治体に相談して、期限なしの分割払いにしてもらった。
それでも、やはり当時のことは、きらきらと輝く日々としてしか思い出せない。
企業の数だけ社長がいるとすれば、今の日本に社長は約500万人いることになる。社長は決して偉いわけでもないし、権力を掌握することができるわけではない。でも、社長には特権はある。それは、未来を指し示すことができることだ。
その未来に共感する仲間が集まり、事業が形を成す。描いた未来が仲間の成長と共に現実のものになっていく様を見る喜びは社長の特権だ。逆に、その重い責任の先にある深い喜びを感じない人は社長に向かないと思う。