
アシックスの快走
「日本初のグローバルブランドになりたい。行く行くはナンバーワンを目指したい」─。
ランニングシューズ大手のアシックス会長・廣田康人さん(1956年=昭和31年11月生まれ)は〝頂上作戦〟をグループ社員一丸となって進めると力強く宣言。
企業経営を力強く推進するには、何より『経営と現場』の関係を円滑にし、共感し合えるようにしていかないといけない。「ナンバーワンを目指す」という言葉は社員(現場)の力を奮い起こす。
「われわれには商品力もあるし、技術開発力もあります。信頼と言うこともそうだし、そういったものを背負い、世界に打って出て価値を認めて貰うと。そういう姿勢がすごく重要だと思います」
グローバル市場では、ナイキ(米国)やアディダス(ドイツ)など、強力なブランドが一大シェアを誇る。
「両社は巨人だし、まだまだ足元にも及びませんけれども、目標はそういう高い所に置いて頑張りたい」と廣田さんは社員を激励。
目指すは頂上だ!
「頂上作戦でやっていく」─。廣田さんは三菱商事出身。三菱商事の代表取締役常務執行役員を経て、アシックスに入社。2018年に社長に就任。この間、悔しい思いもしながら、「本来なら、もっと自分たちの力を発揮できるはず」と社内を叱咤激励してきた。
売上高(2024年12月期)は約6800億円で、営業利益は約1000億円の見通し。時価総額は2兆7500億円(2月13日現在)─。何といっても、同社の現在の好業績を支えるのは技術革新だ。
今、ランニングシューズは〝厚底〟が人気。「早く走るためには軽くないといけないわけです。これはもう絶対なんですね。今までは軽くするためには、薄くするだったんですよ。ところが厚くても軽いという素材が出てきた。これはもうゲームチェンジですね」
この厚底を一番早く市場に出したのは米ナイキ。「ええ、ナイキさんの技術革新だったので、僕らがやられたんですけど、追い付きました」と廣田さん。
相手の特許に触れないようにしながら、独自の研究開発力を進めて、肩を並べる所にまで、同社の技術陣も奮闘。そして重量180グラムの厚底を開発。
「厚いほうがクッションがいいし、安定性も高くなる。特にマラソンなどの長距離を走るシューズは足に対する負担は相当なものですからね」
厚底で足にやさしいながらも、カーボンを一枚入れて、瞬発力を高めるなどの研究開発成果を取り入れた商品開発。
「箱根駅伝に出場する選手の間などでも、わが社の製品のシェアが高まっているのは嬉しいことです」と廣田さんも笑みを浮かべる。
大手商社の三菱商事からアシックスに身を転じて7年近く。社長就任当初に構造改革に着手。改革費用もかかり、赤字にもなったが、社員のヤル気を引き出す改革が功を奏して、高収益構造が実現。
業績好転には、廣田さんの経営トップとしての揺るぎない信念がある。本人は毎朝、自社製のシューズを履いて5、6キロ走るのが日課。商品開発も本人が「ウン」と言わない限り、認めないというほど、商品の改革・改善に真剣だ。
経営トップの揺るぎない信念が社員はもちろん、顧客(利用者)も走らせる。
小長啓一さんの〝BMW〟
高齢者でも元気な人はいる。そういう人は日々の生活でよく足を使っておられると思う。
元通産事務次官の小長啓一さん(1930年=昭和5年12月生まれ)は退官後、弁護士として活躍されておられる。
小長さんの生活信条は〝BMW〟。BはBus(バス)、MはMetro(地下鉄)で、Wは朝晩のWalking(散歩)という意味。
高級車のBMWに引っ掛けたユーモアで、小長さんは「趣味はBMWです」とおっしゃり、車はなるべく使わずに、自分の足を使うことで日々の健康を保っておられる。
小長さんには、『フロンティアに挑戦』(2020年刊行、発行元財界研究所)という著作がある。その中で、国も企業も、そして個人も前向きに生き、挑戦していくことが大事と説いておられる。
『微風和暖』─。小長さんに接していると、いつもにこやかな笑みが返ってくる。人にやさしく接し、自らは厳しく律する生き方。
1953年(昭和28年)、通商産業省(現経済産業省)に入省されるが、これも、「日本は石油などエネルギー資源がなく、遂に戦争に突入してしまった。必要な資源を確保するために働きたい」というのが通産省入省の動機であった。
日米通商摩擦、構造協議で日本が厳しい環境に置かれた1984年から1986年まで事務次官を務められ、退官後は、旧アラビア石油の社長・会長を歴任。湾岸危機時の危機管理に当たられた。
身の危険がある中、現地のペルシア湾カフジ油田で働く社員救済のため、見地に赴き、全員を救出されたことは有名。
強さとやさしさ─。小長さんの人となり、人格も、基本軸がしっかりしておられるからこそだと思う。その基本軸の強さは、日々の足の鍛錬にも表れている。足腰を鍛えるのは大事だと、その生き方を見ても、つくづくそう思う。
創業55周年のミキハウス
「最高級の子供服」で知られる『ミキハウス』(製造元は三起商行)。そのミキハウスが創業55周年を迎えた。それを記念した謝恩会が2月6日(木)、大阪市のリッツカールトンで開かれ、筆者も出席した。
各界各層から人が集まる中で、挨拶に立った創業者社長の木村皓一さんは、1945年(昭和20年)2月23日生まれ。3歳の時、小児マヒにかかり、歩行も困難で、車椅子生活を余儀なくされた。
足の筋肉を付けようと、小学生時代から歩行訓練に取り組み、中学時代は新聞配達に精を出し、歩行力を身に付けた。
「自分の足で歩きたい」という思いが、木村さんの何事にも挑戦する精神力を高めていった。
1971年、26歳で起業。今や世界で知られる最高級子供服ということで、ミキハウスファンは多い。大阪市八尾市の本拠からグローバル市場を見つめる経営だ。
戦後間もなく、繊維で栄えた関西は、八尾地区(河内)には、裁縫技術に秀でた女性、主婦が数多くいた。その人たちを雇用して子供服づくりの第一歩を踏み出した。
八尾からグローバル世界へ情報発信─。このことに八尾市長の大松桂右さんも「本当にありがたいし、頼りになります」と語る。
創業期は、全国の子供服店を行脚。ほとんど取引を断られたが、中には親切な人もいた。
「小倉の店の主人が信用してくれて、下関や防府など他の地区の有力店なども紹介してくれましてね」と本人は述懐。人情の厚さに感謝する木村さんである。