
「根性論や精神論では売上は上がりません。良い環境で人を育てるということが企業の成長につながります。当社は社員も家族というような、日本的経営を続けています」とオタフクホールディングス会長の佐々木氏。1922年(大正11年)創業から112年という長い歴史の中で、海外にも積極進出。今や「Okonomi-yaki」として海外でも浸透し、寿司や天ぷらと並ぶ日本の料理として認識されている。他社とは違うユニークな研修制度で人材を育て、広島から全国、世界へ飛び出し成長をはかってきた同社の根本軸とは─。
五感を駆使する体験型研修とは
─ オタフクさんは広島で創業し、全国、世界へとお好み焼きのソースを広めておられます。佐々木会長が実行されてきた理念に基づく経営について話をきかせてもらえますか。
佐々木 わたしどもは特別なことはしておらず、いたって普通の経営をしていると思っております。
わたしが一番尊敬している経営者は伊那食品工業の元社長・塚越寛さんなのですが、塚越さんがよくおっしゃる年輪経営に当社も似ているところがあるかもしれません。
企業はバランスよく成長しないと必ずどこかに歪みが来ます。社員の目線以上に成長しませんし、品質も上がりません。ですからわたしが経営で大事にしてきたのは、人材育成と環境整備の2つです。
─ まず一つ目の人材育成について伺います。人材育成の根本規範はどういったところに置いておられますか。
佐々木 わたしは社長になる前には10数箇所の異動を含め、現場から、大阪支店長、東京支店長も経験してきました。先ほど申し上げたように、成長するためには社員の目線を上げるしかない。
根性論や精神論では売上は上がりませんから、営業社員に対してもさまざまな研修や教育を行ってきました。一般的に日本的経営というのは、終身雇用と年功序列、企業内組合、あと株の持ち合いがありますね。
でも、それだけではなく、他にも優位なところがあると考えています。単なる競争で奪い合いではなく、地域、企業同士で助け合い皆で繁栄してきた部分もありました。それを模索しているのが当社なんです。
─ いろいろな社員がいる中で、社員の目線を引き上げる意識改革をどのように工夫されたんですか。
佐々木 一番は共に学ぶということで、当社の研修はちょっと変わった研修がたくさんあるんですね。歴史探訪の旅や、一時は無人島サバイバル研修もやっていました。この五感、六感を使う非日常空間での研修というのが当社のテーマなんです。
なぜなら非日常の経験とか記憶は忘れないから。修学旅行や新婚旅行は忘れないですよね(笑)。そういう人間の本能に訴えかける仕掛けです。
サバイバル研修は瀬戸内海の無人島を使っていたのですが、わたしが5年前につくったリスクマネジメント部からハラスメントになる可能性があると指摘されまして、このご時世ということもありやめました。
その代わりというわけではないですが、6年前に体験型、社員の体験型研修・福利厚生施設として「清倫館」という、いわゆるオタフク版DASH村を作りました。
山口県の海沿いに、囲炉裏とかまどと土間がある、セミナーハウスです。そこではいわゆる五感を使った体験研修を続けています。
─ 食品産業ですから、感性を刺激する五感というのはとても大事なところですね。
佐々木 はい。それとやはり、社員同士が互いのことを知ることが凄く大事だと思っています。無人島で二泊三日過ごしたら、だいたい性格や人となりがわかります。
無人島では生き延びるために対立はなくて、協力することが多いんです。人と人が協力しあう、つながりあうということは非常に大事なことです。そういったことを会社経営の中に取り入れたいと思っています。
当社は昔からの社風なのか、揉め事が本当にないんですよ。社員も家族みたいな日本的経営を続けています。社員はどう思ってるか知りませんが(笑)。
─ もう一つの歴史探訪研修はどういったものですか。
佐々木 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と初代ドイツ帝国宰相ビスマルクが格言を残しています。歴史は心理学、行動学など全部が入っていて面白いですよね。わたしが歴史好きということも大きいのですが。
過去20回ぐらい歴史探訪研修をしていて、一番多いのは高杉晋作です。山口県の萩には3回行きました。萩という日本海沿いの小さな集落は100人以上の偉人が出ています。明治維新の吉田松陰を始め、政治家や学者もたくさん輩出しています。
─ 伊藤博文、山形有朋もこの萩から出ていますね。
佐々木 はい。人間というのは、環境によって化けるということを学びにいきます。2か月前には西郷隆盛を訪ねて鹿児島に行ってきました。そこは同じ町内で年長者が年少者を育てるという文化がありました。そういうものを会社の中に醸成できればという思いがあります。
本当に小さな町の中で、東郷平八郎、大山巌、大久保利通など、ここにもたくさんの偉人が出ています。やはり環境というのは人にとって最も重要なのです。
創業者の理念を受け継いで
─ 佐々木さんは非常に歴史を大事にされていますが、創業者は1922年(大正11年)にご夫婦で会社をつくられましたが、この原点を聞かせてくれませんか。
佐々木 創業者の妻の方の佐々木ハヤというわたしの祖母は、アメリカ育ちで向こうで移民として暮らしていました。
でも、佐々木家の名前を絶やしたくないと娘一人にお金を持たせ日本に帰し、その婿養子佐々木清一とともに商売を始めたのが、佐々木商店という酒と醤油の卸小売業なんです。
ハヤばあさんの「飲みんさい、食べんさい、寄ってきんさい」という言葉も残っていまして、今の会社の社訓にもなっています。お客さんにとにかく嬉しい会社というものを目指して、今でも年間2万人ぐらいお客様が会社見学に来られます。
─ 戦争などを経て広島もまたいろいろな体験をしてきて、創業から102年がたちましたね。
佐々木 ええ。振り返ってみて改めて今後を考えたときに、やはり創業者二人の理念に基づいてどう社会に関わっていくのか。これを今後も一番大事にしていきたいと思っています。
時代も変わっていく中で、ライバルメーカーはすべての食品メーカーだと思っています。スーパーに行けば、当社のソースだけでなくいろいろなものが売っています。その中から選んでいただける努力をしていくと。それから一番の敵は自社だと思っています。
─ 自らを戒めるという意味ですか。
佐々木 はい。広島発で全国展開し、海外進出してとなると、どこかに奢りが出ます。このままでいいのではと守りに入る。そう思った段階で成長は止まりますし、衰退に向かっていきます。
失われた 30年なんてない!
─ 現在海外売上比率は18%で海外にも工場を3箇所設立されています。インバウンドでもお好み焼きがかなり好まれていると聞いていますが、手応えはどう感じておられますか。
佐々木 もの凄いフォローの風を感じています。2023年のG7広島サミットのおかげで本当に急速に広まった実感があります。
各国首相にもお好み焼きを召し上がっていただくために、当社としても3日間で9カ所にお好み焼きを焼きに行きました。
─ 各国首脳も喜んで食べられていたと聞いていますが。
佐々木 はい。ハラルもベジタリアンも全部対応できますし、お好み焼きは平和につながる食べ物です。原爆焼け野原からの広島のソウルフードとしても、間違いなくそのようなメッセージは伝わっていると思っています。
社名のオタフクの語源も元々は漢字で「お多福」と書いたんですよ。
─ 文字通り多くの幸せを届けるということですね。広島の地から日本全体、世界を眺めておられる会長から若者へメッセージをいただけませんか。
佐々木 わたしも若者なんですけどね(笑)。インバウンドの24年は累計3400万人になる見通しで、2030年には6000万人来る予定です。
確かに円安はフォローの風ですが、それだけではありません。間違いなく日本の良さは世界が認めているということなんですよ。
でも、日本人は日本で暮らしていて、当たり前すぎて日本のもつ価値や良さに気が付いていません。ですからまずはその事実を客観的に自覚することから、日本の再生が始まるとわたしは思っています。世界から見たときに、こんないい国はありません。
─ そうですね。暮らしは安全ですし、物やサービスは高品質です。
佐々木 よく眠った30年とか、失われた30年とかいわれますよね。でも経済界は眠ってなんかいなかったです。逆に、磨き込んだり、コストダウンしたり。
だからこそ、いま日本が見直されて、これだけ人が来るんだとわたしは思っています。
デフレもコストダウンしたから成し得たことであって、高品質なものをこれだけ安く作る国なんてないんですから、もっと自信を持っていいと思うんですね。
─ そうですね。一方で30年間給料が上がっていない現実もありますが、賃上げについてはどう考えていますか。
佐々木 これは企業経営においては何を優先順位にするかだと思います。当社の優先順位は、お客さんが一番で、次が社員なんです。
だから経営者の仕事は、社員にどれだけ給料を多く出せるかです。人件費はコストではなく利益だとわたしはいつも言っているんです。
当社は期末に目標以上の利益が出たら、社員に現金で支給します。わたしも一部上場の社外役員を8年やっていますが、日本には株主の方ばかり見ている企業経営が多いのではと感じます。
賃金が30年間上がって来なかったことに関しては、女性の社会進出によりパート、アルバイトなどの非正規雇用が増えると分散されるため、延べはどうしても下がりますから、昔の給料と単純に比較はできないと思います。
─ なるほど。時代の変遷の中でそういった生き方、働き方も多様化していますが、これについてはどう考えていますか。
佐々木 わたしどもは巷でよく言われているワークライフバランスではなく、ワークライフシナジーが大事だといってます。バランスだと足し算、引き算でどちらかを犠牲にするという考えですが、当社は副業も可能です。当社の副業の副はお多福の福で「福業」といっています。
サブではなく、互いにメリットが出るのであれば、どんどんやっていくべきだと考えています。
創業家をまとめる家族憲章
─ 創業家では佐々木家が8家ありますが、制定された家族憲章の骨子について教えていただけませんか。
佐々木 よく同族経営は三代目が危ないと言われますよね。創業者が苦労して、二代目が頑張って、三代目はボンボンでダメになると一般的に言います。
創業者から世代で数えると、わたしがその三世代目に当たるのです(創業者の孫にあたるため、世代としては三世代目。オタフクソース社長としては6代目)。
三代目までは、親子、従妹ですが、四代目、五代目になると、縁も血も薄くなりますよね。ですからそこでちゃんと仕組みと決まりを作っておかないと揉めます。もっというと、社員には就業規則や評価基準があるのに、オーナー家には何もありませんでした。
─ 家族憲章の根本に据えられたのはなんでしょうか。
佐々木 これは会社と一緒です。まずは佐々木家の理念と行動規範や規定を伴う家族憲章を作りました。
それを運用するための家族を含めた会議を年4回開き、5年ごとに内容を修正する取り決めもしています。また、60年近く、毎年盆と正月には一族が集まり旅先で非日常を共有して近況を報告し合うなど、親族間の仲の良さを保つ行事もあります。
私たちは「1玉で売れるメロン」ではなく、「一山いくらのりんごやみかん」なんです。みんなで集まって価値を生み出し、これからも仲良くやっていきたいと思います。