信越化学工業社長・斉藤恭彦の基本軸強化論「さすが信越、と言われるようなモノづくりを」

変動の大きい世の中を 「機敏に対応していく」

「世の中は目まぐるしく変動していますし、いろいろな事があれよあれよという間に起きます。いかに機敏に動けるかが勝負ということです」

 信越化学工業社長・斉藤恭彦氏は、次々に起こる変化に対して機敏に対応していくことが大事という認識を示しながら、「ただ動き回るだけではなくて、平時から常に骨格になるものを身に付けていないと、逃げ回っているだけで終わってしまう」と次のように付け加える。

「やはり、しっかりとした事業を持ち、波風で揺れて倒れるということがないような耐性、強さが必要だと思います」

 信越化学は全売上高の8割近くを海外市場であげる。

 今、世界中で"分断・対立"が深まる。自国第一主義が強まり、"協調"が薄れ、とかく自国の利益確保を図ろうとする各国の思惑がムキ出しになっている。

 米国ではD・トランプ氏が大統領に返り咲き、関税を引き上げようと早速動き出している。

 また、同大統領は安全保障の観点から、デンマークの自治領であるグリーンランドを"領有"したいという意欲を示す。

「世界認識だとか、そういった次元の話は、それに相応しい方がいくらでもいらっしゃると思いますので、わたしの見方とか意見とかいうのはあくまでも個人のものですから……」と断りながら斉藤氏が語る。

「もちろん、わたしも世界認識についてのイメージを持ち、想像したりします。それも大切なことなんですが、それが固定観念になったり、先入観になったりするのは良くありません。ですから、世の中の激しい変動に対し、機敏に動ける態勢が必要だということですね」

『疾風に勁草を知る』の諺ではないが、激しい風雨に揺さぶられても、しっかりと地中に根を張る草のように、企業にも"耐性"、"強さ"が求められるという経営トップとしての問題認識。

 同社は、日本の化学業界の中で時価総額1位(約9兆1607億円、2月3日時点)。日本国内全業種の時価総額ランキングでは、20位(ちなみに19位のソフトバンクは約9兆6119億円、21位の三井物産は約8兆9034億円)。

 化学領域に絞って見ると、三菱ケミカルグループの時価総額約1兆1654億円、三井化学の約6647億円、住友化学の約5414億円と比べても、桁外れに高い。

『基本に忠実に』

 2020年の初めにコロナ禍が発生し、パンデミック(世界的大流行)となった。この間、人々の往来、モノの交易が減少し、その後、コロナ禍がひと段落した後も、ウクライナ戦争、イスラエルとイスラム過激派との戦闘など、世界では様々な出来事が起きている。

 その間も同社は好業績をあげてきたが、2024年3月期は減収減益となった。この期の同社の売上高は約2兆4149億円、営業利益約7010億円(ちなみに2023年3月期は売上高約2兆8088億円、営業利益約9982億円)。

 2024年3月期決算が減収減益と言っても、売上高営業利益率は29%強と高収益企業という位置付けは変わらない。

 そして今期(2025年3月期)は売上高約2兆6000億円、営業利益約8000億円の見通しで、再び増収増益になる見込み。

 こうした現状にあって、斉藤氏は、「これまでも会社が揺るがないようにやってきたつもりですし、今後もそうやっていきたい」と語る。

 斉藤氏は2016年(平成28年)6月に社長に就任し、8年余が経った。この間、「何事も『基本に忠実に』の精神で仕事をしていこう」とグループ内に呼びかけてきた。

 今は、環境変化が激しく、行き先不透明な時だけに、『基本に忠実に』の精神で、風雨に揺さぶられない経営をという斉藤氏の考えだ。

世界1位、あるいは2位の 高いシェアを持つ!

 何と言っても、信越化学の強さの基は、塩化ビニル樹脂と半導体シリコンウエハーで世界首位というところにある。

 また、シリコーン(無機と有機の性質を兼ね備え、製品設計の自由度の高い高機能樹脂)は国内1位で、世界では4位のシェアを誇る。

 この他にも、合成石英(液晶用フォトマスク基板)、合成性フェロモンは共にシェア世界1位。セルロース誘導体(医薬錠剤のコーティング剤などに使用)、フォトレジスト(シリコンウエハーの表面に塗布され、回路パターンを形成)、フォトマスクブランクス(回路の原版として使われる)などはいずれも世界2位の高いシェアを誇る。

「幸いにして、現在取り組んでいる事業は業界と市場の中で地位を確立しています。これらを伸ばしていくことが重要です」

 斉藤氏は、高いシェアを持つ分野を伸ばしていくとしつつ、「ただ、現在の地位に安住してはいけません。新しい事にも取り組んでいます」と社内の士気を鼓舞する。

 例えば生成AI(人工知能)の開発競争が激しくなり、データセンターも相次いで増設されるなど、半導体領域での需要も大きくなった。

半導体関連の技術開発が ハイスピードで進む中

「半導体業界は、お客様の数は決して多くはありません。限られたお客様に『信越化学の製品であれば間違いがない』、『必要なものを必要な時に届けてくれる』と頼っていただける存在である必要があります」

『ムーアの法則』というものがある。この法則の骨子は、半導体回路の集積度は18ヵ月、あるいは24ヵ月で2倍になるというもので、1965年に米国の有力IT(情報技術)企業・インテルの創業者の一人であるゴードン・ムーア氏によって提唱された。

 以来、50余年、その"法則性"が実証されるように、半導体関連の技術開拓はハイスピードで進められてきた。

「半導体の技術については、一時期、『ムーアの法則』は終焉したと言われましたが、今も改めて目を見張るような技術の進歩があります」

 斉藤氏は、「材料は半導体の進歩を支える役割があり、しっかりお客様の要望を捉えていかなければいけない」と次のように気を引き締める。

「技術の進歩に食らいついていくとともに、少しでも先んじることができるように取り組んでいます」

電力消費の効率を高める

 生成AIの時代を迎えて、電力消費をいかに効率化し、エネルギーの無駄遣いをいかに無くすかという今日的課題。

 こうした観点から注目されているのが、"ワイドバンドギャップ半導体"である。やや専門めくが、その一つにGaN(窒化ガリウム)がある。GaNは1990年代前半に高輝度青色発光ダイオードの発明により注目されるようになった。

「GaNデバイスは、パワー半導体だけではなく、高速で大容量の通信を可能とするなど、非常に応用範囲が広いんです。今まさに、AIを兼ね備えたデータセンターへの投資が相当な勢いで進んでいます。AIは大量に電力を消費しますから、電力効率が極めて重要」と斉藤氏は、GaNデバイスの開発意義についてこう語る。

 このGaNデバイスのさらなる発展のために、同社は他メーカーやベンチャーとも提携しているが、「もちろん自分たちの技術がしっかりしているから提携できます」と斉藤氏は強調。

 沖電気工業などの情報通信系の大手企業との提携や、スタートアップが開発した技術との連携で、"複合技術"の開拓に注力していく方針だ。

『さすが信越』と 言われる製品を

「『さすが信越』というふうに言っていただけるような製品開発や経営に取り組んでいきたいと思っています」

 先述のように、斉藤氏が社長に就任したのは2016年(平成23年)6月。

 米国子会社のシンテック社を同社の大きな収益源に育て上げた金川千尋氏(1926ー2022)の後、森俊三氏が社長を務めた(社長在任2010―2016)。その森氏の後を受けて斉藤氏が社長に就任。

 日本国内では中堅化学と位置付けられていた信越化学は、金川氏の時代に大躍進を遂げる。森社長時代を経て、日本を代表する化学会社としての地位を固め、グローバル市場での存在感は高い。

 何といっても、同社を飛躍させるきっかけとなったのは、塩ビを生産する米子会社シンテック(SHINTECH)である。

 シンテックは、1973年(昭和48年)に、米資本との合弁でスタート。折しも第一次石油ショックが起きた年である。

 先進国は省資源・省エネルギーへの政策転換を余儀なくされ、世界を取り巻く環境も大きく変わった。

 シンテック社設立の際の合弁相手は、米国の塩ビ製パイプ大手メーカー、ロビンテック。信越の"シン"とロビンテックの"テック"を取り、シンテックと命名された。この時の米国進出を決断したのは、当時社長を務めていた小田切新太郎氏(1907ー1997)。

 その後、ロ社の経営が傾き、信越化学が100子会社にするのだが、これを強く提言したのが、1975年、49歳で取締役になった金川千尋氏であった。

 塩ビでは後発であった信越化学だが、この時の決断がその後の同社の大躍進の礎となる。

『基本に忠実に』の路線が 塩ビ事業の躍進に

 塩ビは汎用樹脂で、誰もが参入しやすい分野。第2次世界大戦前の1931年にドイツで開発され、日本での工業化が始まったのは1941年(昭和16年)である。

 誕生してから90数年が経つが、この間、塩ビを手掛ける企業の整理淘汰が進んだ。

 日本では、旧財閥系化学会社が塩ビ事業に参入していたが、それらはほぼ撤退。逆に、信越化学は塩ビ事業に一大投資を進めていった。この時の経営判断はどういうものであったのか?

「基本に忠実に、という経営路線があったからです」と斉藤氏。

 塩ビは汎用品であり、グローバル市場で勝ち抜くには、何よりコスト競争力が求められる。同社が進出したテキサス州は石油、天然ガス、エチレンといった原材料が豊富に産出される土地柄で、原材料価格が高騰する石油ショック時に、同州に進出したことが、同社に有利に働いた。

 そして何より、他社と比べて優れた製造技術を同社が確立していたことも勝因の一つに挙げられる。

 塩ビ生産では、重合器の内壁に残滓(スケール)が付着する。同社は、それらを取り除き、生産性を上げるノン・スケール技術を独自開発し、量産化に成功していたのである。

 こうした一連の塩ビ強化策は、小田切―金川コンビの下で進められた。

 何より、生産拠点を米テキサス州やルイジアナ州に置いたという決断が50年後の今日、プラスになっている。当時、大手日本企業は中国に製造拠点を求めた。しかし、同社は中国ではなく、米国を選択。その選択がその後の盛衰を大きく分けた。

 斉藤氏が信越化学に入社したのは、シンテック社設立の5年後、1978年。その5年後の1983年にシンテック社勤務を命ぜられ渡米する。その後33年間に及ぶ米国勤務に斉藤氏が思う事とは何か─。

『天の時』、『地の利』 、『人の和』があってこそ…

 汎用樹脂の塩ビ事業に、多くのメーカーが参入、競争によって整理淘汰が進む中で、なぜ、信越化学が生き残り、世界首位の地位を築くことができたのか?

「ええ、その点については、塩ビメーカーの中で、当社ほど利益をあげている所はないということでよく聞かれるんです」

 斉藤氏はこう語り、米国での塩ビ事業をここまで成長させることに注力した金川千尋・前会長(故人)を引き合いに、次のように続ける。

「金川も、塩ビという製品で、これだけの利益率を上げていけるのなら、もうスペシャリティだと言っていました。では、どうやっているのかと聞かれるのですけれども、『こうやっています』ともちろん言うわけはありません(笑)。それはわれわれの仕事のやり方の結果であるわけです」

 他社が塩ビから撤退する中、信越化学は米国進出を機に、塩ビ強化策に打って出ていった。

 原材料を豊富に得られる米国に製造拠点を構えた事は、時代の転換期における一つの大きな決断だったと言えるのか?

「それは間違いないことです」と斉藤氏ははっきり肯定。

「こういう(モノづくりの)仕事というのはやはり、立地に大きく左右されます。これはもう、失敗したから移しますと言っても、そう簡単に引っ越しはできませんから。立地が雌雄を決するという面があるんです」

 石油ショックによって原材料価格が高騰した時の決断という面で、『天の時』であり、石油、天然ガス、エチレンなどの原材料が豊富に得られる米国南部に進出したという『地の利』に恵まれたということ。

 そして、塩ビ事業に注力し、米国の合弁会社を完全子会社化し、さらなる事業拡大を決断した故金川千尋氏と、現地での33年に渡る勤務を経験した斉藤氏らにつながる『人の和』である。

経営者の"決断の重み"

 経営者の決断ということで、斉藤氏が振り返る。

「シンテック社はもちろん金川が始めたわけですが、その当時の信越化学はあまり資金が多くない会社だったので、技術供与を行っていた。つまりライセンスを海外の会社さんに与えることで収益を上げていたんです。信越化学のプロセス(技術)というのは良かったということです」

 自分たちが開発し、蓄積してきた技術を売ることによって、利益はあげられるわけだが、それは皮肉にも塩ビ事業の競争相手を作り出すことにもなる。

 斉藤氏が入社した頃、技術供与は盛んに行われていた。

 同社は当時、国内市場を相手に塩ビ事業を行っていたので、海外メーカーに技術を供与して利益につなげようという考えもあったのであろう。

「正確に言うと、ヨーロッパにも小さい工場を持っていたんです。(全体的には)日本で展開していただけでしたけれども、競争相手をつくっているようなものだから、金川も疑問を持っていたようです」

 そうした疑念を抱いていた時に、米国の企業からライセンス供与の話が持ち込まれた。

 そこで、金川氏は単純なライセンス供与ではなく、その企業と合弁会社を設立し、その合弁会社に技術を供与することを思いついた。

 もっとも、米国で簡単に市場を開拓できる保証もなく、当時の日本企業も多くが二の足を踏む中で、金川氏は決断したのである。以降、シンテック社の成長が始まり、米国市場で躍進を遂げていったという経緯だ。

「金川の発想がなければ、今のシンテックはなかった」と斉藤氏。

 時代の転換期、環境の激変期に、他社とは一味違う決断が、今日の信越化学の隆盛を招いたということ。

日本および日本企業の 立ち位置と使命とは?

 GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック=現メタ、アマゾン、マイクロソフト)などを見ても、米国にはチャレンジし続け、イノベーションを起こす企業が多い。

 その米国で33年間働いてきた斉藤氏は、米国という国をどう見ているのか?

「アメリカの強さは、いろいろな方がいろいろな事を言っておられるので、わたしがどうこう申し上げる必要もないのですが、とにかく政治を見ていても、お分かりの通り、結構冒険をしますよね(笑)」

 斉藤氏は、「失敗を恐れずにリスクを取りに行く風土ですね。それに対する見返りも非常に大きなものがあります」と語る。

 成功を収めようと、米国には世界中からヒト、モノ、カネが集まってくる。「一方で格差など様々な問題があるわけですが、そうした問題があっても人や企業が集まるだけの魅力があります」と斉藤氏が続ける。

「私はアメリカと同じやり方を日本に期待するのは無理があると見ています。例えば、日本の特徴である『穏やかさ』を前面に押し出して、『くつろげる国』にすることが大事ではないかと思います。国内外の人達にとっての憩いの場所になるということです」

 もっとも、斉藤氏は、「それだけでは国民を養っていくことはできませんから、国内にきちんとした産業があることが大前提になります」と強調。

 世界は混沌とし、グローバリゼーションは紆余曲折を経ながらも、その流れは変わらない。

 それに加えて、日本は人口減、少子化・高齢化が進行。さらに人手不足は全産業で深刻になっている。

「ええ、日本は人も含め何もかもが足りなくなるわけですから、日本の中だけで物事を解決しようというのは無理な話です。やはり世界で事業ができないと困ります」

 自国第一主義が横行する中で日本企業が生き抜く道とは?

「当社のような素材の製造業として問われるのは、やはり技術です。そして品質と安定供給に寄せていただいている信頼を決して損なわないようにしていかなくてはなりません」

 グローバル世界を眺めながら、同社は現在、国内投資にも注力している。伊勢崎市(群馬)の新工場では、DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人工知能)を活用し、"人手を要しない"工場づくりを実践。付加価値を上げる技術革新へのチャレンジが続く。