さまざまなテクノロジーを活用した分析装置の開発・提供などを行うアジレント・テクノロジーは、科学技術の進歩が急速に進む現代のラボを支えている。そんな同社では2024年6月、新たな代表取締役社長に石川隆一氏が就任した。
今回は、1988年に新人技術者として横河電機に入社してから、営業部門の数々の部署を歴任し、そして社長という立場に就くまでの日々、そしてアジレントのトップとして見る将来の分析市場について、石川氏にインタビューを実施。前編では、入社から社長就任に至るまでのターニングポイントや、社長として歩みだした中で掲げる信条などについて話を伺った。
技術者から営業担当への異動は「クビになったのかと」
慶應義塾大学大学院の理工学研究科 計測工学専攻を修了した石川氏は、1988年に横河電機へと入社。いわば自然な流れで、新人技術者として製品の設計開発を担当する部署の一員となった。そこではICP質量分析計の設計チームに配属され、トラブルシューティングを学ぶところから始まり、入社から1年を経過したころには装置を構成するうちの検出器の設計に従事することとなった。
そしてある検出器の開発に一区切りがついたころ、石川氏に1つの辞令が下される。それが“営業部門への異動”だった。技術職として入社して2年3カ月ほどで訪れた突然の転機に、一人の会社員として受け入れる以外の選択肢はなかったという石川氏だが、「当時の心中はもちろん穏やかではなかった」と回想する。「異動の話を聞いた時、私は本気で“技術部門をクビになった”と思いました。2年と少しで見限られ、営業部へと出されたんだと推測していた」と、とても前向きに捉えることはできず、当時同居していた両親にもなかなか打ち明けられなかったという。
しかし石川氏は数年にわたって営業マンとしての日々を重ねた後、異動の決定に関わった当時の営業部長との会話の中で、真意を知ることに。「メーカーとして製品を販売する中で、ハードウェアそのものをよく理解している人が営業活動を行うことは、技術や知識が武器になる」という狙いから、技術職出身者に営業担当を任せることを検討していたといい、その第1号トライアルとして石川氏の異動が決定したことを知ったという。
石川氏自身も現在では、「当時は製品の強みを具体的に語る営業スタイルは浸透しておらず、製品の強みを現実的に語れるのは武器になっていた」と振り返り、「それ以降は業界各社が同様の方向に進んでいったことを考えても、当時の決定は間違っていなかったと思います」と話す。
上司でありながら“ありのまま”を伝える重要性
そして営業職となってからは、それまで技術者として携わっていたICP質量分析計の販売を担当。前出の強みを活かしながら、十数年にわたってひたすら販売を行っていたという。その間には所属企業も変遷を遂げ、かつての横河電機から横河アナリティカルシステムズへ、そして2007年にはアジレント・テクノロジーへと名称が変更されていったが、特に業務として大きな変化はなく着実に経験を重ねたとする。
石川氏はその後、販売店営業を経て初めてセールスマネージャーを務めることに。しかしそこで担当となったのは、それまで経験を積んできたICP-MSではなく、アジレントが主力製品とするGC/MSだったという。「無機分析であるICP-MSと、有機分析を行うGC/MSとでは、ターゲットとなる顧客や寄せられるニーズがまったく異なっていて、GC/MSの方が圧倒的に顧客領域も広かった」と話す石川氏にとって、その領域は未知のもの。そんな中でセールスマネージャーとしての役割を果たそうとする中で、改めたひとつの考えがあったという。
「マネージャーになった当初は、部下に馬鹿にされないように“知ったかぶり”をしようか、などと考えていました。ただある時から、部下に対して『この領域にはわからないことが多いから教えてほしい』と伝えたり、『ここまではわかるけれど、その先はわからないから任せる』などと、素をさらけ出すようになった。“上司は当然自分よりも仕事ができる”と思われる中で、わからない領域を担当するのはとても苦しかったけれど、そこで周りに“よろしく”と言えたのが大きかったのかもしれません。」
自分自身のありのままを伝え、足りない部分は周囲と連携を取りながら事業を進める石川氏のマネジメントは、どこか現代的な手法と言えるかもしれない。自らすべてを掌握するのではなく、チーム全体として目標を達成するために協力し合う方針は好循環を生み、石川氏はその後もアジレントのさまざまな営業部・営業部門を率いていくこととなった。
突然の就任打診、石川氏が“社長”として心がける姿勢は
そして石川氏は2024年7月、以前からの役職であり営業部門の後方支援を担うセールスアシスト部門長と兼務する形で、アジレント・テクノロジーの代表取締役社長に就任した。本人にとってその打診は急転直下だったといい、「もともと自分が社長を目指していたわけではない」とのこと。60歳という節目を迎えるタイミングで企業のトップという役割を担うことに、打診当初は迷いもあったという。
その決断を迫られる中、当時の代表取締役社長で技術部時代の先輩にあたるという松崎寿文氏に相談する機会もあったといい、徐々に就任の方向へと意思が傾いたとのことで、当初は反対していた妻にも最終的には背中を押され、社長就任を決めたとする。
社内組織のマネージャーから企業全体のトップへと肩書きを変えた石川氏だが、“わからないことはわからないと伝え、教えてもらう”という以前からの指針は変えないことを心掛けた。すると社員からは「社長になっても今までと変わらず話しやすい」との声も受けたといい、メンバーとの接し方は何も変えていないという。
しかし、「対外的なやり取りにおいて、社長という役職は“企業の顔”として認識される」ことから、「今までは漠然としか知らなかったことや、自分が専門としていなかった事業などについても『知りません』と答えるわけにはいかないので、社内外のさまざまなものを積極的に学ぶ機会を作っています」と話す。
「もちろん人間なので、興味がある領域もあれば興味がない領域も存在しますが、“興味がないから知らなくていい”とは社長という立場ではもう言っていられない。顧客との間でもマクロな視点で会話ができるように、業界全体のことや競合企業のこと、幅広い製品群のことなど、広く話ができるだけの知識を持ち合わせることを心がけています。」
予測不可能なキャリアを経た石川氏が見据える未来
技術者として入社したものの、気付けば営業マンとして経験を重ね、そして当初は目指していたわけではなかった社長の職に就いた石川氏。入社時点では想像もつかなかったようなキャリアを経て、現在ではアジレントの顔として同社を率いている。
そんな石川氏は、アジレントを筆頭にさまざまな企業がひしめき合う分析市場をどのように見ているのか。そしてこれからアジレントは、どんな将来に向けて歩みを進めていくのだろうか。後編では、市場全体のトレンドやアジレントが目指す方向、そして石川氏の目指す社長像に迫っていく。