「デジタルやAIが新しい価値を生み出すのではない。それらを使いこなす人材が価値を創造する」。創業150年を超える大手非鉄金属メーカー・三菱マテリアルが取り組むDX戦略の核心には、テクノロジーではなく「人」への深い洞察がある。同社では、全社を挙げた経営改革の一環として、DX戦略「MMDX(三菱マテリアル・デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション)」を推進している。

11月26日~27日に開催されたウェビナー「ビジネス・フォーラム事務局×TECH+ EXPO 2024 Nov. for Leaders DX FRONTLINE いま何を変革するのか」で、三菱マテリアル CIO システム戦略部長の板野則弘氏は、人とデジタルが織りなす変革の現場の様子を語った。

IT戦略とDX戦略の違いとは

板野氏は、IT利活用とDXの違いについて、明確な視点を示す。従来のIT利活用は、業務の効率化や自動化による生産性向上が主眼だった。一方、DXは経済産業省のDXレポートで定義されているように「製品やサービス、ビジネスモデルの変革」と「組織プロセス、企業文化・風土の変革」という2つの変革を目指すものだという。

この違いは、CIO(Chief Information Officer)とCDO(Chief Digital Officer)の役割の違いにも反映される。同氏によれば、従来の情報システム部門は「アプリケーション」と「インフラ」の2層に注力する傾向があった。しかし、DXの実現には「ビジネスアーキテクチャ」と「データアーキテクチャ」を含めた4層全てを統合的に推進する必要がある。

「CIOとCDOは、この4つのレイヤーを一体として捉え、推進していく存在」だと板野氏は説明する。

  • DX実現のための4つのレイヤー

同氏は、こうした違いを認識しつつも、現実的な視点も示す。

「本質的なDXによる新しい価値創造と、従来型のIT利活用による効率化・自動化は、どちらも企業にとって重要です。早稲田大学の入山章栄教授が提唱する『両利きの経営』のように、既存の延長線上にある進化(IT活用)と、新しい価値を見出す探索(DX)の両方を組み合わせていくことが現実的なアプローチと言えるでしょう。本質のDXだけがDXではありません。今までのIT利活用から出てくる成果も、十分DXと言えるのです。これら全てを合わせてDXと考えることに、私は違和感を持っていません」(板野氏)

E-Scrapリサイクルのデジタル革新

三菱マテリアルのDX成功事例として注目されるのが、「MEX(Mitsubishi Materials E-Scrap Exchange)」だ。これは、パソコンやスマートフォンなどの使用済み電子機器に含まれる貴重な金属資源「E-Scrap」をリサイクルするための取引プラットフォームである。

「E-Scrapの取引は、従来は非常に煩雑でした。数百キログラムという単位で集められた電子機器の中に含まれる金属の量を正確に把握し、リサイクル業者との間で合意を形成する必要があります。この過程をデジタル化することで、取引の効率化と透明性の向上を実現しました」(板野氏)

MEXの導入により、取引予約や進捗管理、分析値の確認などがWeb上で完結できるようになった。さらに、2段階認証によるセキュリティ確保など、データ保護にも配慮している。この取り組みが評価され、同社は2023年度と2024年度の「DX注目企業」に選定された。

DX推進を支える「4つの箱」とマネジメントの役割

板野氏は、現場からのボトムアップ型DX推進を実現するための具体的な仕組みとして、「4つの箱」の重要性を説く。

「現場には、高い意識と熱意を持ち、優れたアイデアを持つ人材が必ずいます。そういった人材のパフォーマンスを最大限に引き出すためには、4つの要素が必要不可欠です」(板野氏)

1つ目の箱は「失敗を許容する予算」だ。新しいことへのチャレンジには必ずリスクが伴う。失敗を恐れずに挑戦できる環境を整えることが重要だという。

2つ目の箱は「スキル向上のための研修プログラム」である。意欲の高い人材の成長意欲に応え、新しいスキルや経験を獲得できる機会を提供する。

3つ目の箱の「専門家による伴走支援」は、新しい取り組みにおける技術的・実務的な壁を乗り越えるために不可欠な要素だ。

4つ目の箱は「データ基盤や解析ツールなどの環境整備」である。アイデアをかたちにするために必要な基盤やツールを提供する。

しかし、これら4つの箱を用意するだけでは不十分だと板野氏は指摘する。現場の挑戦者が直面する最大の課題は「孤立」だからだ。

「例えば、工場で新しい取り組みを始めようとする社員がいたとします。周囲は日々の業務に追われているなか、その社員だけが特別な環境で新しいことに取り組んでいる。これは非常に孤独な状況です」(板野氏)

ここで重要になるのが、マネジメントの役割だ。その取り組みが組織のビジョンにどう貢献するのかを明確に示し、周囲の理解を促進する必要がある。さらに、部門を超えたコミュニティの形成も重要だという。「物理的な孤立は避けられなくても、同じような興味や課題を持つ仲間とのつながりをつくることができる」と板野氏はその意図を説明した。

DX戦略の本質とは「気付きの種」を育むこと

板野氏は、DX戦略の本質を「デジタル化の推進」と「可視化された気付きの種に対する1人1人の創造性の発揮」という2つの要素で説明する。従来のIT利活用による成長曲線は、人の作業の効率化や自動化による生産性向上が主軸だった。しかし、真のDXが目指すのは、その先にある新たな価値の創造だ。

「デジタル化によって可視化された情報は、それを見る人それぞれに異なる気付きをもたらします。特に、現場で数十年の経験を持つ従業員には、データサイエンティストとは異なる視点での発見があります。DXの真価は、そうした1人1人の創造性を最大限に引き出し、新たな価値創造につなげることにあるのです」(板野氏)

DX成功の鍵は「人」への深い理解と投資

板野氏は最後に、DX戦略の成功には従業員1人1人のパフォーマンスを最大化することが不可欠だと説いた。そのためには従来から重視されてきた「スキル」と「モチベーション」に加え、「考える時間」の確保が重要だという。

  • パフォーマンス最大化のイメージ図

「多様な経験や知見を持つ人材から新しいアイデアは生まれやすいものです。IT人材であってもリベラルアーツなど専門外の知識を積極的に吸収することが重要です。そして、経営者には従業員が集中して考える時間を確保できる環境づくりが求められます」(板野氏)

三菱マテリアルのDX戦略は、デジタル技術の活用と人材育成を高度に融合させた先進的な取り組みと言えるだろう。その核心には、テクノロジーを使いこなす「人」への深い洞察と信頼が存在しているのである。