東京大学 生産技術研究所(東大生研)を中心とする研究グループは11月14日、水素が金属結晶中のどこに存在しているのかを把握できる構造解析手法を開発し、これまで困難とされていたナノ薄膜中の水素位置の同定に成功したことを発表した。
同成果は、東大生研の小澤孝拓 助教、同 福谷克之 教授(兼 日本原子力研究開発機構 グループリーダー)、同大大学院理学系研究科の清水亮太 准教授、一杉 太郎 教授(兼 東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 特任教授)、大阪大学(阪大) 大学院工学研究科の濵田 幾太郎 准教授、筑波大学 数理物質系の関場大一郎 講師らによる研究グループによるもの。詳細は、同日付で英国科学誌「Nature Communications」に掲載された。
分かっているようで分かっていない「水素」という存在
持続可能な社会の実現に向けて水素エネルギーの活用が期待されているが、そうした水素は、大きく「軽くて小さい」「化学的反応性が高い」「強い量子性」という3つの性質を有していることが知られている。小さく軽い存在であるため、金属原子が規則正しく並んでいる格子の隙間に入り込むことが知られているが、実際には表面からナノオーダーの深さ領域における水素の振る舞いなどが水素貯蔵合金などの性能にもつながってくることから、そうしたナノ領域における水素の構造を知ることが求められていた。
またそうしたほかの材料の中に入りこむといっても、どのような格子の中にでも入れるわけではなく、金属と水素、互いの原子核を形成する陽子や電子の反発や相互作用などから入り込みやすい場所などが生じ、それに応じて、金属結晶中の電子と水素がやり取りを行い性質を変えてしまうことまでは分かってきたが、どのようにそうした水素の位置を制御するのか、といった技術は確立されていなかったという。
さらに、水素には軽水素(H)、重水素(D)、三重水素の同位体が存在しているが、水素は絶対零度でも不確定性原理のために静止せずに振動する(ゼロ点振動)の存在であり、そうしたゼロ点振動エネルギーによるエネルギー補正が必要になるが、それぞれの同位体が結晶の同じ場所に存在しているのかどうかについては水素の観測が難しくわかっていなかったという。
水素の位置を知ることができる手法を開発
物質の結晶構造を見る手法としてX線や電子線がよく用いられているが、いずれも水素に対しては感度が低いという問題があり利用が難しいことから、一般的には中性子が用いられるほか、水素のスピンを活用した核磁気共鳴なども用いられている。しかし、こうした手法は水素に対する感度はあるものの、ナノ薄膜や表面からナノメートルの領域だけを見るといった使い方はできなかったという。
そこで研究グループは今回、そうしたナノメートルの領域の水素を観測する手法を考案することを目指したという。具体的には、。加速した高エネルギーイオンと標的原子の核反応を利用して元素を非破壊検出する実験法である「共鳴核反応法(NRA)」をベースに、イオンビームの入射角度とターゲット試料の結晶軸の角度が揃っている時、結晶軸の隙間(チャネル)をイオンが通り抜ける現象である「イオンチャネリング」を組み合わせる手法を考案したという。
今回の研究ではNRAとして、15Nイオンと水素の核反応1H(15N,αγ)12Cにより放出されるγ線に対し、イオンビームの入射角ごとに核反応が生じる、生じないという特性を利用することで、結晶内の深さごとの水素を見ることを可能としたことに加え、イオンチャネリングとして、結晶の隙間に水素がある時とない時(金属分子の裏に居る時)での核反応の違いによるNRA収量の変化を解析することで、実際の結晶内部のどこにどういった水素がいるのかを調べることを可能にした。研究グループではこの手法を「チャネリングNRA」と命名。実際に0.1°未満でイオンビームの入射角を制御できる三軸回転ステージを有する装置を東京大学本郷キャンパス内に設置(今回の実験では用いなかったが、試料の温度を変えたり、その場で水素ガスや水素イオンの出し入れも可能)して、実験を行ったという。
軽水素と重水素の特性の違いも判明
同装置は、ナノ薄膜や表面近傍の水素の格子位置の同定が、水素濃度1%オーダーの精度でできるほか、軽水素、重水素の違いを見ることもできることから、研究では、チタンターゲットとプラズマで生成した水素ラジアルを用いた反応性スパッタリングによる膜厚90nm(試料サイズは10mm×10mm)のチタン水素化物TiH1.47エピタキシャル薄膜を作り、この試料の表面から裏面にわたって水素原子の位置の解析が行われた。
先行研究の中性子を用いた実験ではチタン結晶中の四面体のTサイトと呼ぶ領域に水素が入ることが知られていたが、ナノ薄膜ではその通りかどうかは不明だったが、解析の結果、Tサイトに水素の89%が含まれるが、八面体のOサイトと呼ぶ領域にも11%ほど水素が存在していることが判明。シミュレーションを含めた考察から、もともとはTサイトにしかないと考えられていた水素が2種のサイトを共占有していることが判明したとする。
そこで水素の配置を考慮して網羅的に第一原理電子状態計算を行い、理由を考察したところ、水素が部分的にOサイトにいるときは、電子状態に特異なギャップ(擬ギャップ)を形成し、構造が安定化していることを確認したという。この水素配置を用いた結晶の対称性低下による構造安定化機構を研究グループでは、分子や金属酸化物でよく知られた「ヤーン・テラー効果」を踏まえ、「水素ヤーンテラー効果」として提唱することにしたという。研究グループによると、この水素ヤーンテラー効果は、水素を含む物質で一般的に成り立つ概念であり、、特異な電子状態に起因した新奇物性探索の指針となることが期待されるとしている。
さらに、膜厚100nmの試料を用いて薄膜中の軽水素と重水素の位置解析を実施したところ(軽水素と重水素からでてくるγ線のエネルギーが異なるため区別ができるという)、軽水素はTサイトならびに0サイトに分布しているが、重水素はTサイトのみに分布していることが判明したほか、この原因は量子効果、つまりゼロ点振動に起因してサイトごとに軽水素と重水素のエネルギー量の差が異なるためであることも判明したとする。研究グループでは、この量子効果を活用することで、水素の位置制御が可能になることが期待され、アプリケーションとして水素の同位体の違いをみるセンサなどにつながる可能性なども見えたとする。
今回の実験結果。赤い画像はNRAの二次元角度終了マップ。白いところは水素がNRAのシグナルの変化(収量)が増加したところ、黒いところが減ったところ。従来知られていたTサイトのみならずOサイトにも水素が存在していることが判明。Oサイトに水素が入ることで擬ギャップが形成されることが示されたという
なお、研究グループでは今回の研究では最初から水素を含むナノ薄膜を作ったうえで解析を行ったが、チャネリングNRAでは水素を出し入れすることができるので、今後は、実際にリアルタイムで水素の出し入れを行いつつ、表面の状態変化や界面側の反応などの研究を進めていく予定としているほか、物性と電子状態が関わっていることが見えてきたことから、その位置制御を行うことで、水素誘起の新規物性や水素駆動デバイスなど、新たな水素の活用につながることを期待したいとしている。