中外製薬はがんとバイオの領域に強みを持つ研究開発型の製薬会社である。またロシュ社とのアライアンスによりグローバルでの医薬品の開発・販売チャンネルを共有し、研究開発を効果的に進めている。さらなる研究開発の高度化や生産性の向上を目指して、同社が全社的に推進しているのが生成AIの活用だ。

8月22日~23日に開催された「TECH+EXPO 2024 Summer for データ活用」に中外製薬 デジタルトランスフォーメーションユニット長の鈴木貴雄氏が登壇。生成AIを活用するための取り組みの内容と、その成果について説明した。

  • 中外製薬 デジタルトランスフォーメーションユニット長 鈴木貴雄氏

革新的な医療サービス実現のために、生成AIを人間のバディと考えて活用する

同社が2030年の絵姿として目指しているのは、医療関係者や患者に対して革新的な医薬品およびサービスを提供することだ。そのなかでも、例えば疾患全般に対する薬ではなく、患者Aに効く薬、患者Bに効く薬というような、一人一人の遺伝子情報や病気のタイプに合わせた治療を行う真の個別化医療の実現を目指していると鈴木氏は話す。そのために、データドリブンによる研究および早期開発(RED:Research and Early Development)の高度化や、治験のデジタル化やスマートファクトリー導入による全バリューチェーンの生産性向上に取り組んでいる。そしてその実現のため、全社基盤である「Chugai Cloud Infrastructure(CCI))」を構築した。

  • 中外製薬DXの2030年の絵姿

これらの取り組みでは生成AIの活用も重視しているが、生成AIを人間のバディとして位置付けて活用を推進しているのが特長的だ。

「生成AIを単なるツールではなくパートナーとして考えることで、よりイノベーティブな仕事ができ、人や組織の可能性も広げられると考えています」(鈴木氏)

こうした考えの下、これまでに生成AIによる業務効率化や社内に眠る知見の活用を進めてきた。今後は、インサイトの抽出や意思決定支援といった、よりイノベーティブな業務にも生成AIを活用していく方針だ。

薬の研究開発においては、すでに数多くの場面でAIを導入しているが、生成AIによってAIの活用の幅が広がる。例えば研究分野では、世界中の論文や自社の過去の成功や失敗からの知見の調査、現在取り扱っているケースとの相関から有効性の判断、薬の化合物の候補を決めるための標的分子探索などへの活用、早期臨床では画像や音声、バイタルデータなどの非構造化データの構造化に、そして臨床開発では試験のデザインに活用が期待されている。さらに、製薬企業はエビデンスを大量の文書として残さなければならないが、その文書や各種申請書、報告書の作成支援にも生成AIが活躍できるという。

積極的に活用できる環境、安心して活用できる土壌を構築する

全社的な生成AIの活用を推進するために立ち上げたのが、コアチームとなる「生成AIタスクフォース」だ。このチームを中心に研究や臨床、生産、営業など各機能との連携を進めている。ここでは主に生成AIプロジェクトの推進支援、自社独自の生成AIの構築、生成AIを活用するための基盤や環境の構築、さらに人財育成支援とガバナンスの5つに取り組んでいる。

このうち、まず取り組んだのは積極的に活用できる環境の構築だ。そのために、2023年にはChatGPTを迅速に導入した。生成AIが実際にどう使えるのか、どのように役立つのかが分かれば積極的な活用につながると考えたためだ。また、活用したいアイデアを取り上げてPoCも実施している。さらに、ハルシネーションや著作権の問題による不安を払拭するためのガイドラインを策定するなど、安心して活用できる土壌の構築にも取り組んでいる。

中外製薬は生成AIをマルチクラウド環境で使えるようにしている。クラウド技術には各社それぞれの特長があり、目的に応じて使い分けられるよう、同社のクラウド基盤であるCCI上でGoogle Cloud、AWS、Microsoft Azureの3つを全て使えるようにしている。さらに生成AIの積極的な活用を促すために、ChatGPTやClaude、Google Geminiなどのモデルを切り替えながら使える「Chugai AI Assistant」を用意した。日頃PC作業に取り組む社員向けにはCopilot for Microsoft 365も導入し、経営層を含めた300名でトライアルを実施している(2024年7月時点)。

「広く全社員が使える環境を整えることで、AIが身近なバディになる可能性を皆に認識してほしいのです」(鈴木氏)

ガバナンスを利かせたうえで、部門を超えたデータの共有活用を推進

AIをうまく活用するためにもっとも重要なのはデータだ。同社ではデータ戦略のグループを置いてデータの管理方法やガバナンス、セキュリティなどを考えたうえで、部門を超えたデータの共有活用を推進している。例えば研究部門の価値あるデータを創薬研究のみに活用するのではなく、バリューチェーン全体で考えて、そのデータを臨床、生産、営業でも活用したり、患者さんが使った薬の効果を研究にフィードバックしたりすることで安全で効能の高い薬を生み出せる可能性もある。ただし、各種ヒト由来データを扱うこともあるため、アクセス権限などセキュリティの問題に対応できるよう、データファブリックではなくデータメッシュの考えに基づいて体制をつくっているという。

生成AIを安心して活用するためのガイドラインも作成している。昨今ではAIに関する規制や法律も策定されており、海外では巨額のペナルティを伴うハードローもある。こうした規制は次々に新たなものがつくられているため、それを待っていては動きが取れない。そこで同社では、アジャイル・ガバナンスの考え方でガイドラインを策定することにした。まず現状の規制に基づいたガイドラインの暫定版を短期間で作成。そして今後新たな規制が登場すれば、それを織り込んで改定していけるようにしている。

複数のプロセスで業務削減を実現

生成AIの活用により成果につながっている事例も複数でてきている。その例として、治験計画届提出後の照会対応における回答案のドラフト作成がある。治験計画を出した後に、当局からのコメントを受けて修正をしていく必要があるのだが、従来は過去の類似事例を網羅的に検索して回答案をつくるのに多くの時間を要していた。そのドラフトを生成AIで作成するようにしたところ、57パーセントの業務を削減できたそうだ。

社内の過去の類似プロジェクトやそれに関する知見を検索するといった業務では、生成AIにより資料の場所や知見を保有する人物を素早く特定でき、属人化していたノウハウを壁打ち的に検索できるようになったため、業務削減割合は87パーセントにもなっている。

製薬業界ではその規制を遵守するための、標準業務手順書(SOP)に従って業務を遂行することが必要となるが、これまでSOPに対しての知識量やノウハウには個人差が大きかった。しかしここに生成AIを導入することで、該当するSOPを誰もが素早く検索できるようになり、情報検索作業の均一化・脱俗人化につながったことで、50パーセントの業務を削減できたという。

「これは知の共有ができるようになった例です」(鈴木氏)

最後に鈴木氏は、生成AIの活用にあたって、業務効率化だけではなく価値創造に使うこと、マネジメント側が生成AIのインパクトを正しく認識して自らが活用すること、テクノロジーや各種規制を把握して、社内の施策にリアルタイムに反映させること、そしてリスクをコントロールしながら自社の経験を積み重ねていくことなどが重要だと話した。

「今、生成AIは創世期です。恐れずにいろいろなトライ&エラーにチャレンジして、経験と知見を積み重ねていきましょう」(鈴木氏)