3月にマイナス金利解除など一連の金融政策正常化措置を決定した上で、さらに追加の利上げを視野に入れている日銀。その政策委員会メンバー9名の構成は現在、執行部(総裁・副総裁)3名、リフレ派の学者・エコノミスト2名、金融界(銀行・証券)出身者3名、産業界出身者1名という構成になっている。金融以外の産業界で企業経営に携わった知見が金融政策に反映される度合いは、小さなものにとどまっていると言える。
そのただ一人の産業界出身者で、マイナス金利解除に反対票を投じるなどハト派の立場をとっている中村豊明審議委員の講演が、札幌市で6月6日に行われた。強引にも思えるロジックを前面に出しながら政策正常化を急ぐ執行部に対し、警鐘を鳴らした形である。
中村審議委員の問題意識の中心は、中小企業にはまだ「稼ぐ力」が十分についておらず、政府や日銀が加勢した世の中のムードに押されて賃金の大幅な引き上げを行うとしても、遅かれ早かれ行き詰まる可能性が高いという点にある。賃金や物価は上がらないというノルム(規範)が崩れつつあり、「賃金と物価の好循環」が実現して「物価安定の目標」2%が持続的・安定的に達成されるだろうという、日銀執行部が掲げている政策正常化ロジックの弱点を突いた形になっている。
今回の中村審議委員の講演では、下記の発言が筆者には特に印象的だった。
「私自身は賃上げの持続性に確信を持てておらず、経済成長をリードする大企業の改革成果の中小・中堅企業への波及はまだ弱いと考えています」
「持続的な賃上げを可能にするには、賃上げ分の価格転嫁で終わらず、収益体質を向上させた中小・中堅企業が、競争力強化を志向し、改善した収益基盤をベースに生産性向上や付加価値拡大を図る投資や事業構造強化を進めることが必要です」
「2023年は、雇用者報酬が前年比+1.7%でしたが、家計の購買力を示す可処分所得は、社会負担の増加や前年の政府による住民税非課税世帯への給付金支給の裏要因等から+0.2%に止まりました」
「私は、2025年度以降については、家計の貯蓄率低下の巻戻しや節約志向の高まり等から個人消費が低迷し、値上げ鎮静化が進むと、(生鮮食品を除いた消費者物価上昇率が)2%に届かない可能性があるとみています」
中村審議委員は、税・社会保険料負担を除いた家計の可処分所得の伸び率が実はかなり鈍い点も、しっかり指摘していた。個人消費が弱ければ、賃上げを含めたコスト増加分の販売価格への転嫁は進みにくく、日銀の言う「賃金と物価の好循環」は実現していかない。
こうした中村審議委員の見解は、日銀政策委員会内では孤立無援に近い状況である。だが、仮に日銀が強引に政策の正常化を進める場合には、後日になって再評価されるのではないか。