6月12日と13日の2日間、環境の整備や従業員のエクスペリエンスの向上をテーマに、「TECH+フォーラム 働きがい改革 2024 Jun. シナジー創出のカギとなる従業員エクスペリエンスの向上」が開催された。12日には、東京大学大学院 経済学研究科 准教授 稲水伸行氏が「個々に最適化した職場環境構築のすゝめ」と題し、講演を行った。

職場組織の総合科学と言える「オフィス学」 

同氏はまず、組織の在り方、働き方がコロナ禍を経て変化している点について触れた。

コロナ禍前は、1つの会社にフルタイムで、同じオフィスに勤務することが当たり前だったが、同氏はコロナ禍を経て人材の流動化やプロジェクト的な組織が増え、同時に複数のプロジェクトに所属して働くことが当たり前になってきていると指摘。また、副業のようなかたちで企業を超えて働くことも起きているとした。

このような中で稲水氏は、さまざまな企業と「オフィス学」を研究しているという。同氏はオフィス学を次のように説明した。

「ネットワーク型組織というかたちで、大きく働き方、組織の在り方が変わってきています。そんな中では、オフィスデザインに限らず、HRM(Human Resource Management)という人的資源管理の制度設計をどうするのか、コミュニケーションを円滑にやっていくためのICTのデザインをどうするのかといった制度設計が重要になってきます。その上で、実際に働いている一人一人がどういったモチベーションで働いているのか、メンバーを束ねるリーダーがどういうリーダーシップを取れば良いのか、さらには会社全体としてどういう文化や風土を持っていると良いのか、そういうところまで広げて見ていこうというのがオフィス学です。職場組織の総合科学とも言えるようなかたちでオフィス学を捉えています」(稲水氏)

  • 職場組織の総合科学としてのオフィス学

こういった制度設計や実際の働き方がうまくフィットすることで、パフォーマンス、イノベーション、クリエイティビティにつながるという。

ハイブリッドワークのジレンマ 

また最近は、「Activity-Based Working」(ABW)と呼ばれるオフィス形態が注目されている。

以前は、席が決まっている固定席で働くことが一般的だったが、2000年代から2010年代にかけて、フリーアドレス化という流れが出てきた。これは席を自由席にするというだけだったが、2010年代後半から「ABW」という動きが出てきた。ABWは、オフィスの中にカフェスペースや集中スペースをつくったり、会議室も、少人数でカジュアルにできるようなところから、少しフォーマルに会議ができる場所など多様なゾーンを用意したりと、アクティビティに応じて適切な場所を選んで働くオフィスを指す。

コロナ禍では、テレワークやハイブリッドワークなども導入され、さらに働き方の自由度が高まった。しかし、コロナ禍が収束に向かうにつれ出社型に戻りつつあり、その際、出社型に戻したい経営層側と、これまで通り自由な働き方を続けたい従業員の間で意識の差が生まれていると稲水氏は話す。

では、出社型とハイブリットワークなどの自由度が高い勤務形態では、どちらがクリエイティビティを高めるのか。これを検証するために、同氏は2020年2月、ある会社の1つの事業部330名を対象に調査を行った。この会社は、ABWを新しいオフィスで取り入れると同時に、テレワークやシェアオフィス等の社外オフィスの利用促進を行っている。

この調査では、ビーコンを利用して一人一人が実際にどういった場所で働いているのかという分析のほか、アンケート調査も実施し、実際に職場でどれくらいクリエイティビティを発揮できているのか、さらには仕事をどのくらい自律的にやることができているのかを測定した。

その結果、オフィスの滞在時間が増えると自律性の感覚が失われる一方で、社内でのFace to Faceでのネットワーキングが充実し、結果的にクリエイティビティに対してはプラスマイナスゼロという結果になったという。

ただ、オフィスの中でABW的な行動を取れている人は、自由や自律性も高く、社内のネットワーキングに限らず、社外のFace to Faceのネットワーキングも充実し、クリエイティビティが高まっているということが明らかになった。

「オフィスワークとテレワークをどのくらいの時間配分で行うと良いのかという発想があるかもしれませんが、テレワークにはテレワークの良さ、オフィスワークにはオフィスワークの良さがあり、一方を高めると一方が下がるという話になるので、なかなか簡単にこの問題を解くことはできません。広い意味でのABWを使って、主体的に場所を選んでいくことが自律性も高め、Face to Faceのネットワーキングも広がりが出て、結果的にクリエイティビティを高めるということが見えてきています」(稲水氏)

働く場所の多様化がもたらす影響 

ABWという概念自体は、オフィスの中で多様なゾーンをつくり、アクティビティに応じて適切な場所を選んで仕事をするというもので、それが自律性を高め、部門部署を超えたネットワークもできるため、クリエイティビティを高める。最近は、“広い意味でのABW”ということも言われており、これはオフィスを限定せず、在宅勤務やシェアオフィス、サテライトオフィスなども柔軟に使いながら、働く場所を自律的に選んで仕事ができる環境だ。

稲水氏は広い意味でのABWの効果を実証するため、2022年の10月と2023年1月に2つの企業を対象に3群の比較調査を行った。この調査では、主にオフィスに勤務する人(オフィス勤務群)、オフィスと在宅勤務の併用(在宅勤務群)、オフィスと在宅、シェアオフィスの3択(シェアオフィス利用群)の3つのグループ(3群)に分けて調査した。

自律的な働き方をできるようにすると、会社へのコミットメントがなくなることを心配するマネジャーも多いことから、この調査では、組織コミットメントを結果として見たという。

組織コミットメントは、会社の問題をまるで自分自身の問題であるかのように感じる、家族の一員になっているように思う、愛情を感じているといった質問項目で測れる指標だと稲水氏は説明した。

調査の結果、オフィス勤務群と在宅勤務群の比較では、組織コミットメントは、在宅勤務群のほうがかなり高く、オフィス勤務群とシェアオフィス利用群の比較では在宅勤務群よりも大きな差が見られたという(シェアオフィス利用群の組織コミットメントが高い)。

「組織コミットメントが一番高いのがシェアオフィス利用群で、その次が在宅勤務、残念ながら一番低いのがオフィス勤務群ということになりました。おそらく、働く場所の自由を認めてくれるということが会社へのポジティブな評価につながっているのではないかと考えています。いずれにしても、働く場所の選択肢があるということが自律性の感覚につながるということが言える」と稲水氏は分析した。

この調査では、組織コミットメント以外にも、クリエイティビティの指標なども確認しているが、同様の傾向が見られたそうだ。

「いろいろな場所で働くということは、社外のネットワーキングもできる可能性が高いので、クリエイティビティに大きな影響があると考えています」(稲水氏)

自律的な働き方を実現する「i-deals」 

同氏はここから、「i-deals(idiosyncratic deals)」という概念を軸にしながら従業員のエクスペリエンスの向上を図ってきたサイボウズの事例を紹介した。

i-dealsとは、一人一人の従業員が、上司や会社と交渉して、ある種の特別扱いを認めてもらうことだという。

  • i-dealsの概要

「個々の従業員が自分自身にとって一番良い働き方は何だろうかということを考えて、それを実現できるように会社と交渉を行うといった行動のことを『i-deals』と言います。これは従業員と会社がWin-Winの関係になることが前提で、一緒に働く同僚にもそういった個別な働き方をちゃんと認めてもらうということが必要になっています」(稲水氏)

サイボウズでは、M&Aによりグループウエア事業を拡大していった結果、社内の雰囲気が悪化し、一時は離職率が28%に達したという。そこで、ミッションを「世界一のグループウエアメーカーになる」と定め、人事制度を改善し、離職率を下げる取り組みを実施。長い年月を経てi-dealsを実践できるような会社になり、育児介護休暇制度や在宅勤務制度を導入、副業も早い段階で許可したほか、育自分休暇制度という会社に所属をしながら休みを取得し、自分のスキルアップを行ってまた会社に戻ってくる制度も導入している。

同社の人事制度策定のプロセスは、社員からの意見や提案をグループウエアに書き込んでもらい、共感する人が多いと、次のステップに進むという。

次のステップでは、提案内容に興味のある人を集めて、フランクに話ができる場をつくって意見を吸い上げる。これを繰り返すことで、問題点を整理し、その後、人事が制度にまとめて起案を作成、本部長会にて社長が意思決定する流れだ。

稲水氏は、サイボウズの制度導入プロセスには3つのポイントがあるとした。

1つ目は合理性、メッセージ性、わびさびの3軸から制度を検討していることだ。経営者のビジョンが人事制度に反映されているかどうかが重要視され、一人一人が制度を使いやすいよう、柔軟に運営できるようになっている。

2つ目は、自分が気になったことを説明し、理想を伝える質問責任や、自分の意志決定について説明し、他の社員からの質問に答える説明責任が明記されている点である。

3つ目は公明正大で、隠し事なくいろいろな情報を公開した上でオープンに制度を導入している点だ。

同氏は最後に、サイボウズの制度導入プロセスを次のように解説し、講演を結んだ。

「こういった『i-deals』がある程度できるようになっていかないと、自律的な働き方、一人一人の人にとって最適な働き方はなかなか実現できません。サイボウズは、経営トップがかなり高いコミットをした上で、10年ぐらいの時間をかけて自主的な文化の改革をされています。やはり、そのぐらいしないとなかなか根付かないという話ではあると思います。ただ、そういったことがちゃんと実現できれば、おそらくクリエイティビティやイノベーションを発揮できる日本企業になっていけるのではないでしょうか」(稲水氏)