鰻を育てるには薬品が欠かせない--。鰻に限らず、魚介や家畜など人が食物としていただく生き物を健康に育てるのに、薬品を与えるのは当たり前と考える人は多いのではないだろうか。確かに、一般的には病気の予防を目的として薬品を使う。薬品に頼らない在り方は例外である。

鰻に薬品を与えず育てる「無薬養鰻」を日本で初めて実現した会社がある。大分県佐伯市に本社を置く、創業60年(設立50年)の山田水産。水産加工を事業としていた中、自社で養殖から加工、出荷まで一貫して行う養鰻事業をスタートしたのは1997年と業界内では後発だった。無薬養鰻を成功させたのは8年後の2005年。以来、今日まで18年に渡り「オーガニック鰻」を育てている。

今でこそ、山田水産=無薬養鰻のイメージが定着しているが、先代社長(故・山田陽一さん)の問題提起がすべての始まりだった。陽一さんが養鰻を担当する従業員に対し「どうして薬品を与えるんだ」「本当に薬品は必要か」「薬品をやらないと病気になるというが、病気にしなければいいじゃないか」と問いかけたのが2000年のこと。

それから時を経た2018年7月には、水産研究・教育機構より、卵から人工的にふ化させた稚魚(シラスウナギ)を成魚まで養殖する実験を依頼される。人工ふ化したウナギの実用化を目指す養殖実験に民間事業者が携わるのは全国初。これをきっかけに2020年より「完全養殖」の研究を自社で開始した。

その後、2022年からは水産庁の「ウナギ種苗の商業化に向けた大量生産システムの実証事業」に参画し、親魚の催熟(さいじゅく。雄雌を生殖可能な状態に育てること)と採卵、ふ化稚魚の育成の研究に取り組んでいる。

しかし、山田水産が誇るのは鰻だけではない。シシャモやサバ、イワシなどの水産原料買い付けに始まり、加工、販売も行い、自社ブランド「山田のシシャモ」「サバかつ」などはSNSでも人気を博す。また、5店もの飲食店を展開。YouTubeチャンネルでは、養鰻場を取り上げて養鰻の舞台裏を披露したり、社長自身が自社店舗のグルメレポ―トをしたりと、山田ブランドを発信する努力を怠らない。

  • 山田水産 代表取締役 山田信太郎さん

    山田水産 代表取締役 山田信太郎さん

地方の元気な中小企業である山田水産を率いる代表取締役 山田信太郎さんに、鰻の完全養殖や無薬養鰻、今後の戦略などについてお話を伺った。

2050年までに…鰻の完全養殖への道のり

「人工ウナギの実用化に向け稚魚の養殖実験を開始」。このプレスリリースが出されたのは2018年7月19日。業界内外で大きな話題を呼んだこの報道から5年。山田水産の養鰻事業における最前線ともいえる完全養殖のテーマから迫りたい。

完全養殖の仕組みは、成魚から卵と精子を採り、次世代を生み出す人工的な工程を続けていくというもの。より具体的には、飼育下で成長した親ウナギから卵と精子を採って受精させ、卵をふ化させ、稚魚を成魚へと育てて、その一部を親としてまた子どもを作る。

人工ウナギはふ化仔魚からシラスウナギまで育てるのが困難で、国内で量産化技術は確立されていない。水産研究・教育機構から稚魚の提供を受け、山田水産の養鰻場で養殖実験を行ってきた。実験では天然稚魚との成長差や人工稚魚の生存率などを検証。

水産庁のデータによると、シラスウナギの漁獲量が減少し続けている。そんな背景もあって、ニホンウナギが絶滅危惧種に分類されたのは2013年に遡る。鰻養殖用の種苗は天然のシラスウナギに100%依存しているのが現状だ。

さらに、国内シラスウナギの採捕量は変動するのが常でもある。そんな状況を打破しようと、ニホンウナギという生物の保護、安定した食料供給を目指し、完全養殖での量産に向けた取り組みが近年、官民で進められるようになった。本取り組みもその一環だ。

  • 山田水産にある養鰻場と養鰻担当の鰻師

    山田水産にある養鰻場と養鰻担当の鰻師

政府は2050年までにすべての鰻を「人工授精させて生産した稚魚にすること(稚魚の完全養殖の量産化)」を目標に掲げている。水産庁の資料「ウナギ種苗の商業化に向けた大量生産システムの実証事業(2017年~2020年の成果概要)」によると、「天然種苗は1尾当たり約180~600円(平成24年~令和3年漁期)であるのに対し、人工種苗はコストダウンしてきたものの、3,000円程度(令和2年度)」とあり、種苗生産コストの引き下げが課題であることもわかる。

約5年に及ぶ実験の中で、2020年11月には人工授精でのふ化に成功。その後、人工ふ化した仔魚(レプトセファルス)を育成し、その仔魚が約150~200日でシラスウナギに変態し、現時点(2023年10月8日時点)で900匹程度の稚魚がいるという。この稚魚(1代目)が成長して子ども(2代目)を産むと、“山田生まれ山田育ち”の完全養殖が成功したことになる。

「薬品は本当に必要か?」から始まった

養鰻場1カ所からスタートした山田水産の養鰻。後発だったが、軌道に乗る前に積極的な設備投資を行い、次々と養鰻場を開設していった。他の養鰻場から買い付けて鰻の蒲焼きを作る方が低コストで済むが、「自社で育てた鰻を蒲焼にする“ストーリー”が事業には必要」との考えに基づいた取り組みだった。

その過程で最も大きなターニングポイントとなったのは、養鰻事業を始めて3年目の2000年ごろ、先代社長から「薬品を使わずに鰻を育てられないか」とのお題が出されたことだった。当時、近隣国では養鰻時に薬品が過剰に使われていることが問題になっていた時期でもある。

「『最後尾にいる自分たちが業界トップを目指すには、周りと同じことをしてもだめだ。加えて、薬品を使わずに育てた鰻を消費者が求める時代が必ず来る』と父(先代)から言われ、挑戦し始めたのが無薬養鰻です。『鰻を病気にするのは管理を怠った人間の側だ』との言葉に納得しつつも、はじめは全然うまくいきませんでした。

どうすれば薬品を使わずに元気な鰻を育てられるかという課題解決に向けて、いろいろと考えてたくさん挑戦しましたが、半分くらいの鰻は死んでしまい、3億円を超えるくらいの損失を出しました。大企業であれば責任を問われるような規模感でしょう。

当時、先代からかけられた言葉は今でも忘れません。『俺がやれと言ったことだから、君たちの責任は問わない。ただ、死んだ鰻を掬ったときの辛い気持ちは覚えておくんだ。そして、考え続けることで答えが見つかるから、恐れずに挑戦し続けなさい。これくらいで会社は潰れないから』と」(山田さん、以下同)

  • 今は亡き先代(写真左)と山田さん

    今は亡き先代(写真左)と山田さん

まだ誰も挑んでいない、未知の領域へ向けたチャレンジの土壌があったのは、先代の懐の深さによるところが大きいだろう。だからこそ、無薬養鰻へのチャレンジを果敢に続けることができた。その後も山田水産では次々と新たな事業に挑んでいるが、社長が代替わりしてからもそのマインドは息づいている。

我が子と思って鰻を育てる

無薬養鰻が成功し、安定した出荷ができるようになったのは、挑戦を始めて約5年経過したときだった。そこまでにさまざまな失敗を重ねて辿り着いた、病気にかからない健康的な鰻を育てる基本は「鰻を自分の子どもだと思って育てること」「鰻の気持ちになって考えること」だった。

これを「難題」と受け取る人もいるかもしれないが、子どもを持つ親であれば、我が子が病気にならないよう努めるのは自然なことだろう。子どもを持たない人であれば「子ども」を「大事な人」に置き換えてみると分かりやすいはずだ。大切な存在に対しては、五感を総動員して接することだろう。

鰻は人間の子どもでいうと赤ちゃんのように言葉を発さない存在だが、鰻を観察すれば「鰻が出すサインを読み取る」ことはできる。鰻と向き合い続けていると、水が濁っているから水替えをしてほしい、餌が欲しい、もう満腹…といった、泳ぎ方や餌の食べ方などの鰻の動きから見えてくるものがあった。

「鰻ファースト」で動くため、養鰻担当の加藤尚武さん(現・取締役、養鰻部部長、鰻師)は養鰻場内に住居を構え、24時間体制で鰻のコンディションに目配り・気配りしながら、鰻を育てる生活をスタート。現在も家族とともにその暮らしを続けている。

  • 早朝と夕方の1日2回の給餌の様子。餌は給餌直前に鰻師たちが練り上げた作り立て

    早朝と夕方の1日2回の給餌の様子。餌は給餌直前に鰻師たちが練り上げた作り立て

健康的な鰻を育てるには「良質な水と栄養」が欠かせない。基本をふまえ、病気に強い元気な鰻を育てるため、鹿児島県志布志の地下70mから汲み上げる、人が飲んでも美味しい地下水を使い、温度・水質・酸素量などを徹底的に管理している。水質検査は1日2回行い、その都度、水の匂いや濁りを確認し、水が最適な状態かどうかを把握するのが常だ。

  • 第5養鰻場の様子(山田水産YouTubeチャンネルより引用)

    第5養鰻場の様子(山田水産YouTubeチャンネルより引用)

2014年には既存の養鰻スタイルとは異なる閉鎖循環式の第5養鰻場を新設した。特徴は鰻との距離が近く、鰻の体調変化を察知しやすく、病気を未然に防ぐ対応を素早く行えること、外池よりも水質が安定していることなどがある。

別の養鰻場にいる育ちの遅い鰻を連れてきて元気にさせて、成魚になるまで育てて出荷することも少なくない。この経験を生かし、既存設備にも高濃度酸素溶解装置を導入し、鰻の飼育管理、品質向上への企業努力を続けている。

不確実な時代、自らの価値を上げて備える

昨今は変化のスピードが加速し、不確実性が高く、将来予測が困難な「VUCAの時代」と言われて久しい。

世界経済の低迷や高インフレ、政治情勢不安など、多様な不安定要因があふれ、多くの企業は厳しい戦いの舞台に立たされている。山田水産も例外ではない。輸送費や電気代をはじめとするインフラ費、人件費などが上がった影響は、コストを圧迫している。

これらの外部要因について山田さんは「自社で介入できる部分ではないので、防ぎようがない」と言う。確かに、その通りだろう。だからこそ、山田水産という会社の価値を上げることに心血を注ぐ。

「ファンは裏切らない」との考えのもと、「価格ではなく、価値で売る」商品を作るということだ。経済が低迷している今でも売れている、支持されているモノ・サービスを見回すと、価値が評価されているモノ・サービスばかりである。

  • 山田の鰻(東京・飯田橋)

    山田の鰻(東京・飯田橋)

東京・飯田橋に実店舗「山田の鰻」を出店したのもブランディングの一環だ。丹念に育てられた山田水産のオーガニック鰻をいただける関東唯一の店である。鰻丼や魚を使った丼だけではなく、鰻の骨で出汁をとった「鰻骨らーめん」(金土のみの提供)も大人気となり、長蛇の列ができて話題を呼んでいる。

「商品にかかるコストを下げようとは考えていません。たとえば、鰻のタレの価格を下げるために代替品となる素材を使うと質が落ちてしまう。スタッフのボーナスを減らせばモチベーションが下がって幸せではなくなってしまう。だから、そこは変えません。質のいいものを、山田水産という会社を愛する従業員とともにに作り続けます」

価値で売る会社としてあり続けるために、発信にも力を入れてきた。例えば、YouTubeチャンネルは動画制作会社と組んで制作・運営し、代表である山田さん自身が積極的に出演。養鰻場を公開したり、自社で経営する飲食店で食レポをしたり、料理研究家とコラボして料理したりと、多様なコンテンツを発信し、toB/Cともにファンを増やしている。

中小企業の星になりたい

創業時から一貫して「安心安全おいしいものを届けたい」との想いや「メイド・イン・ジャパン」を大事にしてきた山田水産。社長が代替わりしてからは、これらに加え「魚食を通じて日本の伝統食を伝えていくこと」も重要なミッションに掲げている。

その過程で、一中小企業として生き残るために格闘してきた。取引先と対等にやりとりをするために、先代が信条としていた「いいモノを作り、積極的に設備投資をして、地域の人々をたくさん雇用し、従業員を幸せにすること」を山田さんも引き継いだ。

攻めの姿勢も先代のときから変わらない。山田水産の歴史は挑戦の歴史でもある。先の完全養殖や無薬養鰻のほかにも、近年は新ブランド「山田のフラヰ」(現在はさばカツ1種類のみ)の展開、シシャモを束ねるストローをなくした「ストローレスシシャモ」の開発など、多様な取り組みが連続的に行われている。

次々といろいろな事業に挑戦する根底には使命感がある。「国や大企業がやってくれるだろうと思ったけど、実はそんなことはありません(笑)。それならうちがやらなきゃいけない、という使命感を感じて動き回ってきました」と言う山田さんはこう続ける。

  • 日経新聞に広告出稿したのも将来に向けた投資の一環

    日経新聞に広告出稿したのも将来に向けた投資の一環

「『山田水産みたいな小さい会社ができるのなら、自分たちにもできるだろう』と、他の中小企業に刺激を与える存在になりたい。私自身は山田水産がいないと世の中面白くないんじゃないのかな、くらいに考えています。いろいろな挑戦を通じて社会に一石を投じて、日本の中小企業に希望を与えるのはうちの使命でもある、と」

会社が存続する限り、山田水産の挑戦は止まらない。創業60周年を迎えた会社でありながら、スタートアップのようなしなやかさや高い起動力、スピード感を持つ在り方からも、この先目が離せない会社の1つである。