今や日本酒の世界的ブランドになっている純米大吟醸酒「獺祭」は、山口県の小さな酒蔵だった旭酒造が生み出した酒だ。同社 会長の桜井博志氏は、かつての逆境の中で「安い酒を大量販売することから方針を転換したことが成功につながった」と言う。8月2日から18日に開催された「ビジネス・フォーラム事務局×TECH+ EXPO 2023 for Leader DX FRONTLINE ビジョンから逆算する経営戦略」に同氏が登壇。獺祭を軌道に乗せるまでの経緯や良い酒造りのための考え方、海外進出に対する思いなどについて語った。

  • 旭酒造 会長の桜井博志氏

「ビジネス・フォーラム事務局×TECH+ EXPO 2023 for Leader DX FRONTLINE ビジョンから逆算する経営戦略」その他の講演レポートはこちら

山口県の地元に市場がなかったことが獺祭の原点に

講演冒頭で桜井氏は、同社の日本酒「獺祭」が世界で高く評価されていることを示す写真を2枚紹介した。まず、2015年に当時の安倍晋三首相が訪米した際の公式晩餐会の写真だ。この際、乾杯で使われていたのが同社の獺祭だった。もう1枚は、ジョエル・ロブション氏と獺祭がコラボレーションしてパリに出店する際の記者発表の写真である。ロブション氏は、世界で最も多くミシュランの星を持つ料理人として知られているが、このとき「獺祭に出会って恋に落ちた」と語ったという。

今ではこのように高く評価されている獺祭だが、その裏には地理的条件があったと桜井氏は明かす。同社の酒蔵は山口県の山の中で地元には市場がなく、売上も低迷していたのだが、それが逆に飛躍のカギになったのだ。桜井氏が父親から会社を引き継いだ当時は、地元向けに安い酒ばかり売っていて、売上はその10年前の1割まで落ち込んでいた。

「過去10年で売れなかった商品を、売れなかった取引先を通し、売れなかったお客さまに一生懸命売る努力をしていたんです」(桜井氏)

そこで桜井氏は考え方を変えた。大量販売を目指すことを止め、顧客の幸せのための商品、つまり酒の美味しさに幸せを感じられる酒を造る方向へと転換したのだ。そこで純米大吟醸を造ることにしたのが、今の獺祭につながっている。

「本音を言うと、安い酒を売っても上手くいかなかったから、やむなく路線変更をしたのです」(桜井氏)

その結果、売れる市場の存在しないはずだった純米大吟醸酒が売れた。その理由は消費者の変化にあったと桜井氏は言う。それまでは消費者は商品に選択権がなかったが、選べる時代になってきた。だから美味しい酒を選んで買うようになったのだと同氏は語った。

良い酒造りに必須となる酒米の増産を働きかけた

ただ、その純米大吟醸酒も簡単に軌道に乗ったわけではない。特に苦労したのは原料となる酒米・山田錦の確保だ。特殊な米である山田錦は生産者が少なく、いろいろなしがらみもあって簡単に増やすことができなかった。桜井氏は、農家にとって山田錦のような値段の高い米をつくることこそ正義なのではないかと考え、さまざまな働きかけを行っていたところ、当時の安倍首相に呼ばれた。政府が日本酒を海外に売り出そうとしていることを知った桜井氏は、海外で売れる良い酒を造るためには良い原料米が必要になるのだから、農家の経営に資する高級な米は減反政策で減らすべきではないと首相に訴えたそうだ。

「これが酒米の減反政策を転換させるきっかけになったと思っています」(桜井氏)

他県の生産者との連携も積極的に進めた。ちょうどそのころ、それまでは温暖な地域でしかつくれなかった山田錦が、より北の地域でもつくれるようになったのが追い風となり、栃木や茨城、新潟などでも山田錦の生産が行われるようになった。さらに、山田錦コンテストを開催するなど、農家が米づくりに対して希望を持てるようにするための努力も惜しまなかった。こうして山田錦が増産され、安定的に入手できるようになったという。