九州大学(九大)は6月5日、梅雨前線に対する台風の遠隔影響の全容解明のために、領域気象モデルを用いて、理想化された梅雨期の背景場の下で疑似的な台風を埋め込む数値シミュレーション「台風ボーガス実験」を実施した結果、はるか遠くの南シナ海から台風の東縁に沿って西日本へ多量の水蒸気を流入させる「水蒸気コンベアベルト」(MCB)が、四国・九州地方などの局地的大雨の発生に寄与していることを明らかにしたと発表した。

  • 台風によって、低緯度から西日本の太平洋沿岸地域に流入してくる暖湿気塊が流跡線で示されている(カラーは空気塊の高度)。フィリピン海周辺からのルートと、太平洋高気圧西縁に沿う2つのルートに大別される。

    台風によって、低緯度から西日本の太平洋沿岸地域に流入してくる暖湿気塊が流跡線で示されている(カラーは空気塊の高度)。フィリピン海周辺からのルートと、太平洋高気圧西縁に沿う2つのルートに大別される。(出所:九大プレスリリースPDF)

同成果は、九大大学院 理学研究院の川村隆一教授、同・吉田尚起大学院生(研究当時)らの研究チームによるもの。詳細は、極端な気象と気候に関する全般を扱う学術誌「Weather and Climate Extremes」に掲載された。

梅雨前線に対する台風の遠隔影響の力学・熱力学的プロセスは、まだ十分に解明されていない。その理由として、日本に接近する台風の多様性(経路・移動速度・強度・サイズの違い)や偏西風の流れなどの背景場が大きく異なることが、普遍的理解の障壁となっているという。そこで研究チームは今回、理想化された背景場の下で疑似的な台風の再現実験を行うことで、台風の遠隔降水の普遍的理解を目指したとする。

今回の研究ではまず、7月の気候平均場をもとに典型的な梅雨前線が再現されている背景場を作成。次に、台風ボーガス手法を用いて、発生位置を経度方向に一定間隔でずらした複数の台風を背景場に埋め込み、台風の強度・サイズ・移動速度がほぼ同じで経路だけ東西方向に異なるような数値シミュレーションを実施した。

擬似台風の埋め込み直後は日本付近の中緯度大気循環はほぼ同じで、台風間で中緯度循環の影響の違いはほとんど無視できるという利点があるとする。また、台風の構造をある程度の精度で再現すると同時に、台風の遠隔影響が歪められないよう、親ドメインは水平解像度20kmで東アジアから北太平洋の広域をカバーする一方で、子ドメインは水平解像度6.667kmで北西太平洋域をカバーし、両ドメイン間の双方向ネスティングを採用したとのこと。その結果、主に以下の知見が明らかになったという。

  • 梅雨期にフィリピン海付近から北上して日本に接近する強い台風の多くは、MCBを伴っており、台風の東縁に沿う南からの水蒸気の流れは、南シナ海上のアジアモンスーンの下層西風と接続するMCBの一部として捉えられることが判明した。
  • 2007年7月13日21時のMTSATの赤外画像。台風4号(Man-yi)が北上して日本に接近している一方、南シナ海から台風に向かって積雲の帯が拡がっている。雲の帯に沿って、多量の水蒸気が輸送されている。この強い水蒸気の流れが、今回の研究ではMCBと定義された。

    2007年7月13日21時のMTSATの赤外画像。台風4号(Man-yi)が北上して日本に接近している一方、南シナ海から台風に向かって積雲の帯が拡がっている。雲の帯に沿って、多量の水蒸気が輸送されている。この強い水蒸気の流れが、今回の研究ではMCBと定義された。(出所:九大プレスリリースPDF)

  • 台風が南からの低渦位の移流を通して日本付近の高気圧性循環を誘起し、太平洋高気圧西端のリッジを強化するという力学プロセスが支配的であることが確認された。その結果として、主要な梅雨前線帯は北上するが、西日本の太平洋沿岸地域では日降水量100mmを超える局地的な大雨(遠隔降水)が発生しやすいことがわかった。
    • 九州地方に接近する台風本体の降水域とは離れた地域(四国地方、九州地方などの太平洋沿岸地域)で日降水量100mmを超える大雨が発生している。

      九州地方に接近する台風本体の降水域とは離れた地域(四国地方、九州地方などの太平洋沿岸地域)で日降水量100mmを超える大雨が発生している。(出所:九大プレスリリースPDF)

  • 降水量および850hPaジオポテンシャル高度の偏差分布(台風ボーガス実験とコントロール実験との差)。台風が誘起する高気圧偏差が日本付近を覆っており、関連して梅雨前線帯は北偏している。対照的に中国東部の梅雨(中国ではMeiyuと発音)前線は、南偏の傾向が見られるとした。

    降水量および850hPaジオポテンシャル高度の偏差分布(台風ボーガス実験とコントロール実験との差)。台風が誘起する高気圧偏差が日本付近を覆っており、関連して梅雨前線帯は北偏している。対照的に中国東部の梅雨(中国ではMeiyuと発音)前線は、南偏の傾向が見られるとした。(出所:九大プレスリリースPDF)

  • 台風と、台風が誘起する高気圧偏差との間で水平気圧傾度が強まり、遠隔降水をもたらす多量の水蒸気の流入が促進されることが突き止められた。また水蒸気の流入経路は、MCB経由のみならず、太平洋高気圧の南西縁に沿う大気境界層経由も重要であることが発見された。特に、後者の経路による水蒸気流入の寄与は、可降水量分布では不明瞭で見逃されていたという。

今回の研究では、理想的な梅雨期の背景場を与えることで、台風の遠隔影響の基本的な描像が得られたとする。ただし、偏西風の流れなどの中緯度大気循環が外的要因や内部変動で急激に変化している背景場では、台風との間で複雑な相互作用が生じるため、今後もさらなる調査を継続していく必要があるという。また、より最適な台風ボーガス手法を適用して擬似台風を自由にコントロールできれば、台風の強度やサイズなどが異なる場合の遠隔影響の違いを評価することが可能になるとしている。

台風の遠隔降水の予測という観点では、台風自体の予測精度はもちろんのこと、(i)台風が誘起する高気圧偏差の位置や強度、(ii)台風がどの程度のMCBを伴っているのか、(iii)MCB内の凝結による水蒸気流入量の減少はどの程度か、(iv)海面からの蒸発による境界層経由の水蒸気流入量の増加はどの程度か、などのファクターが適切に再現されている必要があるという。特に、台風と、台風が誘起する高気圧偏差の両者の地理的位置関係の予測のズレは、局地的豪雨の発生地域の位置ズレに直結するため、地域スケールでの降水量の短期予測のハードルは依然として高いと考えられるとする。

いずれにしても、顕著なMCBを伴った台風は災害をもたらすような遠隔降水の発生ポテンシャルが高く、特に注意喚起が必要な台風だという。研究チームは、梅雨の将来予測の問題も台風の影響を考慮せざるを得ないため、台風の遠隔降水の定量的な評価を確実に進めていくことが、梅雨の将来予測の不確実性の低減につながることが期待されるとしている。

  • 今回の研究の定義におけるMCBは、インド洋・南シナ海上のアジアモンスーン下層西風とフィリピン海付近の台風との相互作用で形成される大規模な水蒸気輸送のベルトをいう。図は水蒸気の流れをベクトルで、流れの強さを陰影で表したもの。モンスーン西風と台風が接続してMCBが形成されていく様子(左上のDay2から右下のDay5まで)が見て取れる。

    今回の研究の定義におけるMCBは、インド洋・南シナ海上のアジアモンスーン下層西風とフィリピン海付近の台風との相互作用で形成される大規模な水蒸気輸送のベルトをいう。図は水蒸気の流れをベクトルで、流れの強さを陰影で表したもの。モンスーン西風と台風が接続してMCBが形成されていく様子(左上のDay2から右下のDay5まで)が見て取れる。(出所:九大プレスリリースPDF)