ハイキングや旅行などで自然を満喫していると、野生動物出没についての看板標識を目にしたことがあるのではないだろうか。
近年、シカによる枝葉の食害や剥皮被害などの森林被害が深刻化しており、林野庁のデータによると、令和2年度の野生鳥獣による森林被害のうち約7割がシカによるものだという。
今回は、森林において悪事を働くシカが主人公である。
東京農工大学大学院グローバルイノベーション研究院、森林研究・整備機構 森林総研(森林総研)、サウスイーストノルウェー大学、東京農業大学地域環境科学部らの国際共同研究チームは、ニホンジカ(以後、シカ)の増減でツキノワグマ(以後、クマ)の食生活がどう変わるかについて調査した。
その結果、シカの生息数の増減に合わせてクマがシカを食べる割合が変化し、さらにクマの性別や体重によってその変化は異なることが明らかとなった。
詳細は学術誌「Journal of Wildlife Management」に掲載されている。
雑食動物はその時々のさまざまな食物の現存量に合わせて食性を変化させる。また、個体ごとの食性の違いが大きいため、利用できる食物の現存量が変化した際の食生活の変化の程度も個体により異なると推測されている。
クマは雑食動物であり、植物や昆虫を中心とした食生活であるが、死体や幼獣と遭遇する機会があれば、シカなどの哺乳類も食物とすることが知られている。
過去30年間でシカの生息数が全国的に増えたことにより、各地でクマがシカを食べる機会が増加したと考えられる。その一方で、全国的にシカの駆除が進み、近年シカの生息数が減少傾向にある地域もある。
これまでシカの生息数が増加することで、クマの食物の中でシカの占める割合が増加することは報告されてきたが、シカの生息数が減少に転じた際にクマの食性※1がどのように変化するのか、またシカを食べる度合いとクマの形質※2との関連については不明であった。
同研究では、東京都奥多摩町北部におけるシカの生息数が増える前(低密度の時期)、および増えた後(高密度の時期)、そしてシカが減った後(中密度の時期)のクマの食性変化について検証した。さらに、シカを食べる度合い(量)と体重の関係を調べ、シカを食べることとクマの形質には関連があるのかを検討した。
まず、1993年から2014年のシカの生息密度を検証したところ、1993年から1998年は低密度、1999年から2006年は高密度、2007年から2014年は駆除などにより中密度で推移した。
続いて、この地域に生息するクマの個体群※3について、期間中に起こった食性の変化について調査した。期間中に採取されたクマの糞(計253個)を採取時期である夏(6-7月)と秋(9-10月)に分けて、糞の内容物の分析を行った。
その結果、低密度の時期にはクマの糞にシカが含まれている割合が極めて低かったものの、シカが高密度の時期になると、その割合は急激に上昇していた。一方、のちにシカの生息数が減少し、シカの生息数が中密度の時期になると、クマの糞にシカが含まれる割合は低下した。
すなわち、この地域に生息するクマはシカの生息数の変化に合わせて、シカを食べる割合を変化させている可能性が示唆された。
また、クマの個体ごとの食性を明らかにするために、2000年から2014年にかけて学術捕獲された46個体および駆除や狩猟で捕獲された4個体のクマの体毛の窒素安定同位体比※4(δ15N)を測定した。
その結果、夏、秋ともに、シカの生息数が高密度の時期は、メスよりもオスの方が、シカを食する割合が高くなってた。そして、シカの生息数が高密度から中密度に減少しても、この関係に変化は見られなかった。
また、夏には、成熟したクマ(5歳以上)では、体重と食物に占めるシカの割合に一定の関連が認められた。
これらの結果から、この地域に生息するクマは、シカの生息数の変化に合わせてシカを食べる割合を変化させている、さらに先行研究の結果も踏まえると、シカの生息数が少ない時期(低密度の時期)はクマの性別に関わらずシカをほとんど食べていなかったと考えられる。
また、シカの生息数が急増してもメスのクマはオスよりもシカを食べる割合が低く、従来の植物中心の食生活を続けていたと推測される。
一方、オスのクマはシカの生息数の増加に応じてシカを食べる頻度が増加したと考えられ、さらには、シカの生息数が減少しても一部のオスは選択的にシカを食べ続けていた可能性がある。
シカの生息数が多い状態であっても、クマにとってシカは果物などの植物に比べて遭遇する機会が少なく手に入れにくい食物であるため、シカを巡るクマの個体同士の競争が予想される。
オスのクマはメスよりも体が大きく、一般的に食物をめぐる競争では体が大きいことが有利に働くために、オスの方がシカを多く食べることができた可能性がある。また、体重と食物に占めるシカの割合には関連が認められたことから、より体が大きい個体の方がシカをより多く食べていたと推察される。
同研究において、シカの生息数の増減に伴うクマの食性変化は個体の性別や形質によって異なることが示唆され、地域のシカの生息数が増えたとしても、その地域のすべてのクマがシカを食べられる状況にはないと考えられる。
また、シカの生息数が大幅に減少すると、多くのクマが従来の植物中心の食生活に戻る可能性がある。
研究チームは、これまではシカの増加による影響などの課題が注目されてきたが、シカの生息数が減少したときについてはほとんどわかっておらず、同研究の結果から、シカの減少はさまざまな生物種との関係を通じても、生態系のバランスにも大きく影響を与えるかもしれないとした。
増えてしまったものは減らせばすべて元通り、という単純なものではないようだ。人間関係のように、生態系も一度かたちが変わってしまうと元に戻るのはなかなか大変なものらしい。
文中注釈
※1:動物の食べ物の種類や食べ方についての性質のこと
※2:生物のもつ性質や特徴のこと。
※3:ある空間(地域など)に生育、生息する同種個体の集まり
※4:動物の体は採食によって得られた物質で形作られる。そのため、体毛などの体の組織の安定同位体比を測定することで、過去に食べた物の種類を推定することができる。本研究では、食物に占める動物質の割合が高いほど窒素安定同位体比が高くなることを利用して、クマによるシカの消費の変化を評価した。クマは昆虫などシカ以外の動物質も利用するが、本研究では現存量が変化した動物質はシカのみであったことから、クマの窒素安定同位体比の変化をクマがシカを食べる度合いの変化とみなすことができた