広島大学は、電気回路において擬似的なブラックホールを創生し、それを用いたレーザー理論を構築することに成功し、現在の技術では実際のブラックホールでの観測が不可能なホーキング輻射を観測可能にし、一般相対性理論(重力)と量子力学を統一する「量子重力理論」の完成に向けた取り組みを加速することになると発表した。
同成果は、広島大大学院 先進理工系科学研究科の片山春菜大学院生によるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。
自然界に存在する電磁気力、強い力、弱い力、重力の4つの力をすべて統一できるとされる超大統一理論は、重力を扱う一般相対性理論と、量子の世界を扱う量子力学を結びつけることができれば完成するとされることから、「量子重力理論」などとも呼ばれるが、重力と量子の世界は折り合いが悪く、その統一は困難とされ、4つの力の統一にはまだ長い時間がかかるとされている。しかし、世界中の研究者たちが、その実現を目指して「超弦理論」などによる研究を進めている。
故スティーブン・ホーキング博士が1974年に提唱した「ホーキング輻射(放射)」は、一般相対性理論と量子力学が出会う希少な現象として考えられている。量子力学では、真空の空間は至るところで粒子と反粒子の対生成と対消滅が発生しているとされ、ブラックホールの事象の地平線付近においてもそれは同様で、消滅する寸前に生成された粒子の半分が事象の地平線の内側へ、残り半分が外側へ放出されるという。
落ち込むのが反粒子で、放出されるのが粒子であれば、ブラックホールからの物質放出が起き、これこそがホーキング輻射となるほか、事象の地平線の内側に落ち込んだ反粒子が、内部の粒子と対消滅することでブラックホールの質量を減らすことで、最終的にはブラックホールは消滅すると考えられており、このことは「ブラックホールの蒸発」と呼ばれている。
しかしこのホーキング輻射は、提唱されて以来50年近い時が経過したものの、いまだに観測されていない。それは、恒星質量クラスのブラックホールでは、宇宙背景輻射温度(3K)よりも極めて小さい100万分の1K程度であると考えられるからだとされ、現状の技術では観測はほぼ絶望的とされているためである。
そこで、直接的ではないが、実験室系で擬似的にブラックホールを再現し、ホーキング輻射を観測しようとする試みがなされ、いくつかの物理系で研究が進んでいる。
ブラックホールは、近づいていくと重力がどんどん強くなっていき、事象の地平線を越えると遂に光さえ脱出できなくなってしまう。このことはさまざまな例が用いられているが、今回の研究では滝登りをする鯉(鯉は光に相当)が例に挙げられた。
滝の上流(ブラックホールから遠い地点)で川の流れは穏やかなのに対して、滝に近づいた下流(ブラックホールに近い地点)では流れが速く、空間的に流速が連続して変化していく。流速があまりに速くなりすぎると、鯉はもう川を遡れなくなる。つまり、上流から滝までの間のどこかの地点で鯉が遡れなくなり、そこが事象の地平線に対応する。このような流速が空間的に変化するシステムを作り出すことができれば、擬似的にブラックホールを再現できるということになる。
広島大大学院 先進理工系科学研究科の畠中憲之教授の研究チームでは、これまで超伝導伝送線路に潜む波動について探究し、孤立波ソリトンの存在を解析的に明らかにしてきた。その回路中を伝搬する電磁波の速度はインダクタンス(L)と静電容量(C)に依存し、ソリトンはLを空間的に変化させることから、ソリトンと共に空間的に電磁波の速度が変化することになる。
今回の実験ではこのソリトンが用いられ、その速度がブラックホールへの落下速度(川の流速)の役割を担うことになった。そして、その速度を境に電磁波の速度が遅い部分と速い部分に分離された事象の地平線が形成された。この仕組みを用いれば、ソリトンにより擬似的ブラックホールを再現できることが明らかにされている。また、擬似的なブラックホールだけでなく擬似的なホワイトホールが対となって生み出されることも発見済みだという。
今回の研究では、このブラックホール・ホワイトホール対を利用したホーキング輻射のレーザー理論の構築に成功したという。レーザーは、共振器によって光の位相を揃えると共に、共振器内部で誘導輻射という量子物理現象を利用して、位相の揃った(コヒーレント)光の増幅を行う。
レーザーを作るには、共振器を用意する必要があるが、この共振器は、2つの鏡を対向させた構造であり、電気回路中でのブラックホールの事象の地平線は、光がブラックホールから出られないので、この鏡の役割を果たしているといえ、このことから、ブラックホールとホワイトホールの2つの事象の地平線を利用すると共振器を作れると考えられたとする。
ただし、ホワイトホール側では光は漏れ出すので、鏡の役割を果たさない。これをどう克服するかが課題であり、電気回路においては擬似的ブラックホールが提案されてから20年以上、ブラックホールレーザーが考案されることがなかったという。
そこで今回、用意されたのが、ホワイトホールの事象の地平線近傍の特別な仕掛けで、メタマテリアルを電気回路に付加することで、鯉にターボエンジンを装着し、鯉の能力をパワーアップさせることでホワイトホールから抜け出せないようにすることに例えられるという。
また、誘導放出による光の増幅も実施。通常のレーザーでは、反転分布した原子と光を相互作用させることによって、原子から光を取り出すことができ、増幅することができるが、ブラックホールにはそのようなものはないことから、ソリトンの非線形性を利用し、非線形光増幅させることで、誘導放出と同様の効果を導入したという。
これらの工夫により、これまで電気回路での擬似的ブラックホールでは困難であったレーザー現象が実現可能であることが示されたとする。
このレーザーは、ホーキング輻射を増幅したものであることから、レーザー現象の確認は、素過程では微弱で検出困難なホーキング輻射を観測可能にし、重力と量子力学の統一に向けた取り組みを加速することになるという。また、非線形光学効果を利用したレーザーは、通常のレーザーとは異なり、ホーキング輻射の素過程に由来する量子性が反映された「スクイーズド状態」と呼ばれる、特別な性質を持ったレーザーになるとしており、これは新しい光源として量子情報技術などの先端技術での応用が期待されるとする。
その一方で、今回の研究成果については、電気回路においてブラックホールレーザーが構成できることが示され、その基本的特性が明らかにされたに過ぎないとしている。そのため今後は、実際にホーキング輻射を観測するためにシステムを洗練化する具体的な取り組み行う予定だとしているほか、実際の宇宙で観測されているブラックホールジェットとして知られている現象をレーザーの立場から検討することも予定しているとする。
さらに、ブラックホールとホワイトホールが結合すると、異なる時空を結びつけるトンネルであるワームホールとみなすことができることから、これを利用した時空間量子通信、ならびに時空のより深い理解へと研究を展開する予定ともしている。