さて、最後に内田洋行がなぜ教育事業に注力しているのか、その理由を紹介したい。

話は戦前にさかのぼる。1910年に中国の大連で満鉄の社員が創業した内田洋行は、測量・製図機器やタイプライター等、当時の最先端事務機の輸入・販売事業を行っていたが、やがて、「ヘンミ式計算尺」の国内総代理店となる。この計算尺は、欧米諸国では建築、鉄道や飛行機、艦船などの設計に欠かせないもので「技術者必携」と称された器具だ。ヘンミ式計算尺は竹の素材を使用し、日本独特のものとして開発され世界に広がった。

当時の日本は“科学立国”という合い言葉が旗印となり、そして近代化に進んでいった。日本列島や満州に鉄道網は広がり、土木・測量・建築設計が発展したほか、戦闘機や軍艦が増産され、計算尺の需要は伸び、国内だけでなく輸出量も増加していった。筆者は観たことがないが、宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」の主人公が計算尺を手にしているシーンもあるそうだ。

敗戦による経営難から教育産業へ

故久田忠守会長は「豆鐘」の収集家として知られているが、戦後同社の再建の一助になればと「梵鐘」の販売も行ったという

だが、敗戦を迎え、計算尺の需要は一気にしぼんだ。収益の半分を失った内田洋行は、企業存続の危機に陥ることになる。

そうした折、計算尺が学習指導要領に採用された。これまで、兵器の開発に大きな役割を果たしていた計算尺は、国の将来を担う子どもたちの学習器具として息を吹き返したのだ。やがて新学制により、計算尺の授業はなくなるが、顕微鏡の導入、コンピュータ教育システムの開発など、内田洋行は教育現場に寄り添って事業を続け、現在に至る。

特に意識はしていなくとも、誰もが内田洋行の製品を学校で触れてきたことだろう。タイトルで“隠れた文教企業”と記したのは、この意味合いからだ。