新潟大学は、同大学人文学部の橋本博文教授が代表を務める牡丹山諏訪神社古墳発掘調査団がこのほど、同古墳において新潟県最古となる古墳時代中期の鎧を発見したことを発表した。これは古墳時代の鎧としては日本列島最北の出土例となる。

新潟市東区の牡丹山諏 訪神社古墳は、新潟県内で初めて円筒埴輪を伴った古墳として確認されている。2013年にその存在が知られ、2014年以降、新潟大学人文学部考古学研究室を中心にした「牡丹山諏訪神社古墳発掘調査団」によって毎年調査が行われており、本年が第3次調査となった。

今回の調査における最大の成果は、「副葬品」と考えられる鉄製品が確認された点だ。鉄板2枚のそれぞれに円孔を穿ち、そこに革紐を通して綴じ合わせていることが、同大医歯学総合病院診療支援部によるX線撮影により判明したという。これは、新潟県内では南魚沼市飯綱山10号墳の2点の短甲等に次ぐ4例目となる鉄製甲の出土であり、新潟県内最古の甲となること、さらには日本列島最北の古墳時代甲冑の出土例になるということが重要視される。

すなわち、飯綱山10号墳では鉄覆輪と皮包み覆輪の横矧板鋲留め式短甲2領が出土しており、皮綴式短甲の例は技術的にそれらに先行することになるという。新潟県内では、約650基の古墳中2基のみ埴輪が確認されているうち、壺形埴輪をもつ飯綱山10号墳と円筒埴輪をもつ牡丹山諏訪神社古墳にそれぞれ短甲が存在することとなった。ヤマト政権にとって如何に両古墳被葬者が重視されていたかを物語るものと言える。

また、埋葬施設に関して、昨年度の2次調査で墳頂参道西側より検出した粘土集積を立ち割った結果、その下の白色砂層のさらに下方から現代磁器が出土したことより、粘土集積は古墳時代のものではなく現代のものの可能性が出てきたという。ただし、部分的な撹乱の可能性もあることから今後慎重に検討していくとのことだ。

このほか、粘土集積周辺の調査では、粘土の下に墓坑状の掘り込みがある可能性が高まったという。掘り込みは東西4m43cm、南北4m40cmのほぼ正方形で、深さは55cmほど。これが確実に墓坑であれば、棺の位置は現・コンクリート製参道の真下となる。

また、須恵器器台破片の出土位置から同古墳に造り出しの存在が想定されたが、今回の調査ではその想定どおり、円丘の南側に造り出しが検出された。 幅約6m、長さ約5mで、造り出し部の長さは円丘部直径のおよそ6分の1に相当する。よって「前方後円墳集成」の定義によれば、円丘部直径4分の1以下は帆立貝式古墳ではなく、造り出し付き円墳の範疇となる。

今回の調査では、副葬品の一部が墳頂部から出土したが、それは断片であるうえ土地点が攪乱層中であることから、埋葬施設の一部は既に破壊されていることになる。今後、破壊されていない埋葬施設の一部が発見されれば、その他の副葬品の様相を明らかにすることが期待される。