ロシア国営宇宙開発企業ロスコスモス(旧ロシア連邦宇宙庁)は4月28日5時1分(モスクワ時間)、ロシア連邦の極東部・アムール州に新たに建設した「ヴァストーチュヌィ宇宙基地」から、初めてとなるロケット打ち上げを実施した。ロケットは順調に飛行し、搭載していた衛星をすべて軌道に投入。打ち上げ成功をもって、新宇宙基地の門出を祝した。
これまでロシアのロケット打ち上げは主に、カザフスタンから租借している「バイカヌール宇宙基地」と、ロシア北西部にある「プリセーツク宇宙基地」から行われていた。このうちバイカヌールは、毎年多数の宇宙船や人工衛星を打ち上げ、ロシアの宇宙開発における中心地としての役割を担っているが、カザフスタン国内にあることで、ロシアは毎年100億円を超える租借料を支払わなければならず、金銭や安全保障の点から、長年頭痛の種でもあった。
しかしヴァストーチュヌィ宇宙基地が完成することで、ロシアはついに悲願である、完全に自立した宇宙へのアクセス手段を手にすることができるようになる。
カザフスタンに残された伝説の発射場
バイカヌール宇宙基地は1955年に、ソ連のミサイル発射場として誕生した。広大な草原地帯をもち、気候も安定したこの場所は、その後1957年の世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げを皮切りに、宇宙ロケットの発射場としても活用され始め、1961年にはユーリィ・ガガーリンが乗った宇宙船「ヴァストーク」の打ち上げ成功によって、「バイカヌール」の名前は世界に知れ渡った。
しかし、実際にはこの発射場はチュラタームという街にあり、ソ連自身はこの発射場をNIIP-5という名前で読んでいた。バイカヌールという街も実在はしたが、この発射場から300kmも離れたところにあった。このようなややこしいことになった背景には、ガガーリンの飛行後に、ソ連が嘘の申告をしたという事情がある。ガガーリンの成功を世界に認めさせるわけには出発地を申請する必要があったが、正直に申請しては極秘のミサイル発射場の位置をばらすことにもなる。そこで、遠く離れたまったく別の街の名前を書いて提出したのである。
もっとも、1957年8月にはすでに米国の偵察機がこの発射場の存在を掴んでおり、後年の研究者を混乱させる以外の効果はなかった。さらに嘘から出た実として、1996年には街全体がバイカヌール市に改称され、名実ともに「バイカヌールにあるバイカヌール宇宙基地」となっている。
宇宙基地としての活用が始まって以来、バイカヌール宇宙基地は月・惑星探査機や、宇宙ステーションのモジュール、また近年では日本人宇宙飛行士を含む国際宇宙ステーションへの打ち上げなど、ロシアの宇宙への玄関口としての役割を担い続けてきた。ロシアのバイカヌール宇宙基地といえば、宇宙開発になんらかの形でかかわるものにとっての「聖地」である。
ロシアのバイカヌール宇宙基地、と書いたが、現在の所在地はカザフスタンにある。ソ連の崩壊で、バイカヌール宇宙基地は独立したカザフスタン共和国の中に残ってしまったため、ロシアはカザフスタンから租借しなければならなくなってしまった。租借地であるからロシアの統治が及ぶため、自由に使えるものの、租借料は毎年100億円を超えており、さらにカザフスタンからは、ロケットが環境や人体に有毒な燃料を使っていることや、飛行中のロケットが分離したタンクなどがバイカヌールの外、すなわち租借地ではない歴としたカザフスタンの領土に落下することへの非難をたびたび受けていた。最悪の場合には、カザフスタンの命で打ち上げができなくなる可能性もないわけではなく[*1]、ロシアにとっては不都合なことが多かった。
バイカヌール宇宙基地のサユース・ロケットの発射台 (C) Roskosmos |
バイカヌール宇宙基地から打ち上げられる「プラトーン」ロケット。人体や環境にとって有毒な推進剤を使っており、カザフスタンからは嫌われている (C) Roskosmos |
ロシアはバイカヌールとは別に、ロシア北西のアルハンゲリスク州にプリセーツクという宇宙基地ももっている。しかし、こちらは軍事衛星の打ち上げに特化した軍事基地として使われており、また地球を南北にまわる極軌道への打ち上げに合わせて造られていることから、バイカヌールとは趣を異にしている。そもそも、発射台の関係でバイカヌールからしか打ち上げられないロケットもある。
バイカヌールを使うためにはカザフスタンにお金を払い続けなければならないが、かといってプリセーツクに集約することもできない。ソ連崩壊以来、ロシアはこうした痛し痒しな状況を味わい続けてきた。
そこで、これらの問題を解決し、ロシアが自律した宇宙へのアクセス手段を維持し続けるため、ロシア国内に、バイカヌールの機能を完全に代替できる新しい発射場を建設することが必要とされたのである。
幻のスヴァボードヌィ宇宙基地
あらゆる軌道へ向けて宇宙にロケットを打ち上げるためには、東と、そして南北のどちらかが開けている必要がある。たとえば日本の種子島宇宙センターは東と南に、米国のケネディ宇宙センターも東と南が開けている。前述したロシアのプリセーツクは北に、韓国や北朝鮮の発射場は南にしか開けていないが、極軌道にしか打ち上げないのであればあまり障害にはならない。
しかし、極軌道から静止軌道、さらに月や惑星に向けた出発地であるバイカヌールを代替するには、東はもちろん、南北のどちらかに開けていることが絶対条件となる。また、分離したロケットが住宅密集地や、他国の領土や国境近くなどに落下するのも避けたい。ロシアは広大な土地をもっていながら、それらの条件を満たせる場所は少なかった。
ロシアはすでに1991年の崩壊直後から、バイカヌール宇宙基地の代替場所を探し続けていた。そして1993年には、かつて「スヴァボードヌィ18」というミサイル基地として使われていた場所が選ばれた。スヴァボードヌィ18はアムール州の中国国境に近い場所に位置し、1968年に建設されて米国などに向けてミサイルを狙いを定めていたものの、米国との軍縮条約START-2がきっかけとなり1993年に閉鎖された場所である。周囲には森林地帯が広がり、東にはオホーツク海もあることから、ロケット発射場としては最適だった。
ここを改修し、大規模なロケット発射場「スヴァボードヌィ宇宙基地」を造ろうという構想は1993年から始まったものの、資金難によりほとんど進展することはなかった。大陸間弾道ミサイルのRT-2PM「トーパリ」を改造した「スタールト1」というロケットによって、1997年から2006年までに5機の衛星が打ち上げられたが、宇宙基地としての目立った活動はこれだけで、開発中だった新型ロケット「アンガラー」の発射台などの建設はまったく進まなかった。
2005年ごろになるとスヴァボードヌィ宇宙基地の閉鎖が取り沙汰され(そもそも開港したと言えるかすら怪しいが)、2007年2月にはスヴァボードヌィ宇宙基地は完全に機能を停止することになった。同じころ、バイカヌール宇宙基地の改修や使用延長契約が行われることになったが、問題が根本的に解決したわけではない。そのため代替地を求める動きは止まなかった。
そして再度、新しい発射場の候補が出され、気候や地震の頻度などから、ふたたびスヴァボードヌィ宇宙基地のある場所が選ばれることになった。2007年11月6日、プーチン大統領によって新たに「東の宇宙港」こと、「ヴァストーチュヌィ宇宙基地」(カスマドローム・ヴァストーチュヌィ)の建設が決定された。
【脚注】
1. もっとも、カザフスタンにとってバイカヌールは、ロシアからの金銭的な収入が得られ、また基地外の街への経済効果といった利益も大きいため、いくつか細かい問題はあるもの、カザフスタンがロケット打ち上げを全面的に禁止することは考えにくい。
【参考】
・http://www.roscosmos.ru/22198/
・http://www.roscosmos.ru/22199/
・Vostochny cosmodrome
http://www.russianspaceweb.com/vostochny.html
・Vostochny (formerly Svobodny) Cosmodrome
http://www.russianspaceweb.com/svobodny.html
・Start-1 Launch Vehicle - Russia and Space Transportation Systems
http://fas.org/spp/guide/russia/launch/start1.htm