東京大学、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、名古屋大学、神戸大学の4者は3月20日、赤外線天文衛星「あかり」のデータから、我々の天の川銀河内に広く豊富に分布し、生命の起原物質の1つとしても注目されている有機物分子「多環芳香族炭化水素(PAH:polycyclic aromatic hydrocarbon)」について、その大きさを推定する手がかりや、周囲の環境に応じて「変成」を受けて構造が変わっていく様子を明らかにしたと発表した。

成果は、東大大学院 理学系研究科博士課程の森(伊藤)珠実氏(日本学術振興会特別研究員)らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、3月20日付けで米天体物理学専門誌「The Astrophysical Journal」に掲載された。

宇宙にもさまざまな種類の有機物が存在しており、中でも、特にPAHは隕石や彗星、そして星間空間や遠方の銀河といった多種多様な環境に豊富に存在し、その豊富さと、初期地球の過酷な環境に耐えうる強靭さから、地球生命の素となった物質の候補の1つとして注目されている。しかし、PAHが星間空間のさまざまな環境に対応してどのようにその性質を変えていくのかについては、まだ十分な理解が得られていない。

PAHは、炭素や水素などの原子が数10から数100個集まってできており、その大きさや構造によりさまざまな種類が存在する(画像1・2)。星間空間に存在するPAHは星の光で暖められ、その構造や物理状態に応じて、いくつかの特定の赤外線波長で輝く。この「放射バンド」は、主に波長2~15μmの領域にあるが、その中でも今回注目されたのが、波長2.5~5.4μmの範囲だ。

この範囲には、特に星間空間に存在するPAHの種類や、性質を探る上で重要な手がかりとなりうる放射バンドが存在する。ただし、この波長域は大気による吸収の影響が強く出るため、完全なスペクトルを地上で取得するのは非常に難しい。そのため、天文観測衛星による検出が強く求められるというわけだ。

しかしその重要性にも関わらず、赤外線天文衛星の運用はあまり多くない。実際、欧州宇宙機関が1995年に打ち上げた「赤外線宇宙天文台(ISO)」が1998年に運用が終了したあとは、JAXAが2006年に「あかり」を打ち上げるまで長い空白期間があった。「あかり」は2011年11月に運用が終了したが、膨大なデータの解析が現在もなお進行中だ。また現役の赤外線天文衛星としては、NASAの「スピッツァー宇宙望遠鏡」がある。

画像1・画像2:画像1:PAHの例。炭素原子(黒丸)が六角形状にいくつかつながった構造をしている。白丸は水素原子を表している。構成する原子の数によりさまざまな種類がある。(東京大学ハモンズ氏より提供された画像)

そうした中、森氏らは「あかり」に搭載された近・中間赤外線カメラ(IRC)を用いて、天の川銀河内に存在する若い大質量星から放射された紫外線が周囲のガスを電離し、明るく輝いている領域「HII領域」の中でも、特に活発に星形成が行われている天体36個の観測を実施。そのスペクトルを通じてPAHの性質が系統的に調べられたのである。「あかり」はISOと比べ、2.5~5.4μmの近赤外線領域のスペクトルに関しては1桁以上の高感度で観測することが可能であるため、HII領域の近赤外線スペクトルとしては、世界最大級、最高感度のデータであるといえるという。

このデータから、森氏らは5.25μmを中心に現れるPAHの炭素-水素結合によるかすかな放射バンドの存在を明らかにした(画像3・4・5)。これまで、このバンドはその存在が示唆されていたものの十分な観測的研究は行われておらず、今回の研究の大規模なサンプルによってその存在が初めて確実なものになった形だ。このバンドは、星間空間に存在するPAHの大きさを測定するための指標として有効であると期待されるという。

今回の観測で得られた典型的なスペクトル(画像3(左)・4(中))。(C)JAXA/東京大学。右(画像5)は、そのターゲット天体の9μmでのイメージ。(C)JAXA/東京大学/名古屋大学。画像5は、「あかり」中間赤外線全天サーベイデータからのものだ。観測はスリットを用いて、天体の一部を抽出して行われた。画像5の天体イメージ中央付近の青で描かれた四角は、実際にスペクトルが測定された領域を示したものだ。この同一領域に対して、画像3と4のように、2種類のスペクトルが得られている。なお画像4のスペクトルは、4.4μmより長波長側のみ示されている

また、3.3~3.6μmに現れる放射バンド群におけるスペクトル形の違いから、PAHが星からの紫外線に照らされて「変成」を受け、構造が変化していく様子を多数のサンプルからとらえることに成功したほか、スペクトルの特徴から示唆される星間空間の物理環境と、「あかり」中間赤外線全天サーベイデータにより得られた「赤外線カラー」の比較も実施。その結果、これらの領域で有機物を含む星間ダストの組成の変化が起きている可能性が示唆されたとする。

森氏らは今後も同衛星が収集した膨大なデータを基に、氷の吸収などほかの特徴についてさらなる解析を行う予定としている。また、今回の成果については、宇宙の物質進化を紐解く星間物理学の分野において、特に有機物や氷といった星間ダストの研究に非常に有用なものとなることが期待されるとしている。

なお、今回の成果に対して森氏らは、「今回の研究により、星間有機物の進化の解明につながる新たな手がかりを明らかにすることができました。これを基に、次世代赤外線衛星「SPICA(スピカ)」の観測計画の検討・立案に貢献していきたいです」と意気込みを語っている。